逆転の一手
「どうせこのままだと、どんな幸運が起きても重傷者多数は免れない。それなら行動した方がマシだ。そうだろう? シャーロット」
問われたシャーロットさんは、額に汗を浮かべながらうなずいた。
「はい。ナインの言う通り、私はアオさんを信じます」
言われて僕は、杖を握り直す。ここまで言われてやらなかったら、男がすたる。
「ヴェレーノ!!」
杖を地面に突き刺し、さっき聞きかじった魔法を唱える。ナインさんが倒した敵に、大きな外傷はなかった。ならば彼が使っていた魔法は、恐らく毒かなにかで相手の動きを封じるもの。
その作用が味方に及ばないように、効力をできるだけ壁の外へ追いやるイメージ。失敗した時のことは考えるな、やれるだけやるんだ!
杖の先から、毒々しい紫色の光が広がっていく。それは地中へ沈みこんでいき、しばらく姿が見えなくなった。
「壁の外だけを狙え……!」
僕は杖を握り締めながら、イメージに専念する。いつしか、周りの状況はすっかり目に入らなくなっていた。全身に冷や汗が流れ、服が背中にべたりと張り付く。その感触だけをずっと感じていた。
「見て、倒れる!」
先輩のその声で、僕ははっと我に返った。視界がかすむ中、今まで壁にのしかかっていた巨体が、苦悶の声をあげてのけぞっている。天井が見え、次いで遺跡の石壁についていた虎たちも同じように苦しんでいるのが見えた。
「打って出る、魔法を解除して!」
僕は解除方法が分からず、ただ手にしていた杖を放り出した。その杖が地面に落ちると同時に、僕たちを守っていたバリアが消える。先輩が、胸を張りながら飛び出していった。
虎たちのボスも、最後の力を振り絞って先輩に飛びかかる。しかし動きには明らかに切れがなく、先輩はほとんど動かないままにそれを避け、高く空中へ飛び上がる。
「──さっさと、そこで寝てなさいっ!!」
先輩の叫びと同時に、強烈な踵落としが虎の頭蓋骨を直撃する。盛り上がっていた後頭部が平らになり、巨体は抵抗する術もなく床に沈んだ。
轟音があがると同時に、僕の周りにいたレックスさんが動き出す。
「行くぞ、残党狩りだ!」
気炎をあげた仲間たちは、小さな虎たちを倒していく。大半の虎が毒が回って動けなくなっていたため、彼らはただとどめを刺すだけでよかった。
全てが終わるまでに、そう長くはかからなかった。やがて広間を勝ち鬨が満たし、目を閉じていた僕は聴覚だけでそれを聞いている。……さっきから目がくらくらして、視界が真っ黒に染まってきたからだ。
ああ、また倒れる。
ああ、また倒れる。
「迷惑かけて、すみません……」
僕は最後にようやくそれだけ呟いて、意識を手放した。
次に目が覚めると、目の前には真っ白な天井があった。蛍光灯が、僕の顔を照らしている。体にはオレンジのタオルケットがかかっていて、起き上がるとかすかな音をたてて床に落ちた。
「ここは、いつもの世界か……戻ってきたんだ」
「あ、目が覚めた?」
僕は床に寝ていたらしい。パソコンのデスクに先輩が座って、なにやらコメントに目を通している。
「再生回数、どうなりました?」
「今回は階層突破で切りが良かったからね。伸び率、前回より良いよ」
「そうですか……」
あの後どうなったか心配だったが、先輩がなんとかまとめてくれたようだ。正直、僕は配信されていることもすっかり忘れていたけれど。
「アオくんへの激励や質問もいっぱいきてたんだけどさ、何せ気を失ってるでしょ。次回解答、ってことにしといたから、コメントに目を通しておいて」
「すみません、体力がなくて」
「今回は体力の問題じゃないよ。全く、無茶するんだから」
「無茶?」
「毒の魔法使ったでしょ! それ、自分に思いっきりかかってたんだからね」
「え……」
僕は愕然とした。確かにバリアの中に広がらないようにと気を遣ったが、自分のことは全然勘定に入れていなかった。……そんなことしなくても、術者は勝手に避けてくれるものだと思ってたし。
そのことを聞くと、先輩は苦笑いした。
「上手くコントロールできる人はそうだけどね。神宮寺くんはまだその領域には早いってことだよ。いやあ、解毒できてホントに良かった」
やっぱり助かるなら全員じゃないと、と笑う先輩に、僕は再度頭を下げた。
「で、これはサイカからの提案なんだけどさ。しばらく、パーティーから離れて二人で修行してみないかって」
「修行? でも、サイカさん抜きで冒険は大丈夫なんですか?」
「第三層の敵は、サキュバスとかセイレーンとか、魔力が高いヤツが多いんだって。そういう相手は魔法の防御力も高くて、あんまり効かないんだってレックスが言ってた」
中途半端な威力の魔法しか使えない自分が行くより、高火力で防御を抜ける可能性のあるアオを育てた方が皆のためになる。後から合流するから、皆は先に行ってくれないか。そう、サイカさんは言ったらしい。
「どっちみち、このまま暴言したんじゃ神宮寺くんも危険だし。修行の話、私はいいと思うんだけど。どうする?」
僕はうなずいた。
僕はうなずいた。移動はレックスさんに抱えてもらい、魔法を撃ったら自分が倒れるのではいいとこなしだ。せめて大事な場面では力になれるよう、努力しないと。
「分かった。サイカに伝えておくね」
「……先輩、お世話になりました。後は自分で帰れそうです」
僕は立ち上がって、先輩に頭を下げた。先輩は少し心配そうにしながら、玄関まで見送ってくれる。
「さて……」
僕はスマホの画面を見つめて、とある単語を入力した。そして地図上に浮かんだ赤いマークを見て、うなずく。
「行くぞ。やってみなくちゃ始まらない」
その決意をもって、僕が足を踏み入れたのは──
「いらっしゃいませ。先ほどお電話いただいた、体験希望の方ですか?」
「はい、神宮寺です。よろしくお願いします」
「お待ちしておりました。我がマッスル・ジムは、ハードなトレーニングをなさりたい方には大変好評なんですよ!」
今まで行ってみようとも思わなかった、地獄のような空間だった。
「神宮寺さん。神宮寺さーん」
「……はい」
「そろそろ昼寝やめて、仕事してほしいんですけどお」
僕を見下ろしていたのは、あの日先輩の家から逃げ帰った女子だった。あれは全て夢だと思うことにしたのだろうか、特にトラウマになっている様子はない。
「ご、ごめんよ……痛っ!!」
「ちょっと。ホントに調子悪いんですか?」
背中を伸ばした途端に激痛が走る。僕の様子を見て仮病でないと察したのか、女子の声が少し低くなった。
「早退します? そんなんでいても邪魔ですよ」
「辛辣だなあ……ただの筋肉痛だから、大丈夫だよ」
「筋肉痛!?」
女の子は、「不治の病」と言われた時のような顔をした。僕とその単語が、よほど結びつかなかったらしい。
「神宮寺さん、筋肉使うことあるんですか?」
「あるよ。なかったら会社来られないでしょ。最近、ちょっとジムにね」
ジム、という単語を聞きつけて、僕の向かいに座っていた上司が話しかけてきた。
「どうした神宮寺? 急に健康意識に目覚めたのか」
「い、いえ……別にそういうわけじゃないんですけど、あちこち歩き回るには体力がいるかなって……」
「おお、そうか! お前も殊勝な考えをするようになったな」
もちろん歩き回るのはダンジョンのことなのだが、上司は都合がいいように誤解してくれた。
「いやあ、少しずつだがお前の成績も上がってきてるしな。結構結構、この調子で頑張れよ」
「は、はあ……係長、ちょっと声を小さく……」
僕は先輩に聞かれないかとひやひやしながら、話を打ち切った。