降りてくる絶望
理屈としてはそれが正しい。分かってはいる。しかし、唯一の命綱がなくなってしまう恐怖に、僕は震えた。
「なんじゃい、震えまくって。心配せんでも、お前の出番なんかあるかい」
「え?」
「お前さんは、超高出力・広範囲の魔法が得意だからな。あまりの体力のなさによって、それが実現している。さっきのナリを見ていてよく分かったさ」
「どういうことですか?」
「魔法使い、魔導師というのは、一概に体力がない。本来ならば身体強化に使われるはずの余力を、魔術という余計なものにつぎこんでるのが我々だ。お前はその中でも特に極端」
「だから、自然と魔法が高火力になってしまうということですか……」
サイカさんはそれを聞いてうなずいた。
「全然そんなつもりはないんですが」
「先天的に才能がある奴は、生まれた時から自然と体力を削ってるからな。その分ひ弱で幼い頃に死にやすいが、育てば強力だ」
そういうことだったのか、と僕はうなずく。僕の育った世界には魔法がないのに、この体はせっせとそのための準備をしていたわけだ。……もしかしたらそんなかみ合わない才能を持った人間が、まだたくさんいるかもしれない。
「今回は敵味方、入り乱れての乱戦だ。私はその間を縫って奴らの主──最大の個体
を狙う役目。だが、お前がやったら……敵味方問わず、吹き飛ばしてしまうだろう。こんな遮蔽物がないところではな」
僕は前方を見ながら、無言でうなずいた。
「今回は大人しく見ていろ。ただ、ぼーっとしてるだけじゃダメだぞ。味方の動きの癖やモンスターの習性……学べることは無限にある」
「分かりました」
僕は前方にいる先輩たちを見つめた。会話をやめて耳を澄ますと、やりとりが手に取るように分かる。
「敵が思ったより素早い……皆、隊列から離れないように!」
「防御強化の追加をしたいわ。レックス、盾になって」
「かしこまりました」
先輩、シャーロットさん、レックスさんはやはり強い。その一団は順調に敵の数を減らしていった。しかし、少し離れた一般兵たちになると、一筋縄ではいかない敵に苦戦している。
「くそ、第一班と第二班が集中攻撃を受けてるぞ!」
「こっちも手一杯だ。ヘタに動いたら食われる」
「畜生、集中攻撃で隊の数を減らす気だな!」
動きが慌ただしくなってきた。今こそ、守ってもらっているサイカさんが動く時……と思っていたのだが、彼はなぜかぴくりとも動かない。
「そ、外が危ないみたいですけど……」
「そんなことは見えている。集中を乱すな」
「でも、このままじゃ味方の隊が全滅しちゃいます!!」
僕が悲鳴に似た声をあげると、サイカさんがにやりと笑った。
「全滅はすまいよ。奴がいる」
その言葉が終わると同時に、虎たちの喉から苦悶の声があがった。次いで、影のような巨体が次々に地面に落ちる。
「……ヴェレーノ」
その落下音に混じって、小さなつぶやきが聞こえてきた。サイカさんではない、もっと若い男の声だ。
「誰か、いる……!」
「奴は盗人のナインだ。いつもは身を隠し様子をうかがっているが、仲間が危なくなるとああやって出てくる」
もう一人主力がいたのか。上には虎がいるから常にざわざわしていたが、下からは全く気配を感じていなかった。
「盗人は速さが命だから、武器も軽装だ。主クラスの退治には力が足りない。雑魚は
あっちに任せて、我々は主を集中砲火するのが役目」
僕は黙ってうなずいた。
「……といっても、お前のやることは一つだ。結界が破れた時に死なないよう、儂の後ろを離れないこと。いいな」
「分かりました」
味方の奮戦あって、虎の数は徐々に減り始めていた。その時、天井付近にいた何か
が、ぞわりと動く気配がする。僕でもはっきり感じ取れるほどの、強いオーラ。主が来る、と直感的に感じ取った。
「シャーロット、後ろへ!」
広間中央付近にいた、先輩たちが後ろへ飛びすさる。それと同時に、天井から巨大な影が落ちてきた。
影は大きく口を開き、周囲を威圧する咆哮をあげる。血走った眼球が室内を見回し、それから拳を掲げる先輩の方へ移動した。
「あんたがボスね。かかってきなさい!」
先輩の言葉を理解したように、虎の太い腕が動く。その腕は一撃でぶ厚い石床を割り、石塊にして周囲に飛ばした。
「ずいぶん強いじゃない」
それでも先輩は楽しそうに、石塊を避けて飛び回る。位置取りをしているのだ、と僕にも分かった。
サイカさんが立ち上がり、シャーロットさんに視線を送る。結界はやはり先輩の能力で、その解除のタイミングを伝えようとしているのだと分かった。
徐々に、小さな虎たちの視線が先輩に注がれていく。自分たちの主と対等にやりあう人間に、敵意のこもった目を向けた虎たちは、一斉にそちらに向かって飛翔した。
僕たちから虎が離れたところで、サイカさんが叫ぶ。
「今ですぞ!」
「聖女様!」
シャーロットさんの声と同時に、先輩が寄ってきた虎を蹴り飛ばす。そして大きく両手を打った。
壁がかき消える。僕は言われた通り、サイカさんの真後ろに陣取った。
「貫け、フレイムランス!」
サイカさんの杖から炎がほとばしる。真っ直ぐに進んだ炎は、迷うことなく大きな影の頭の部分を貫いた。
苦悶の声とともに、肉が焦げるにおいがする。雑魚も炎を見て飛びすさり、さっきまであった敵の気配がみるみる薄れていった。
なのに、どうしてだろう。僕の背中に走る寒気が、なくならない。握り締めた杖を、放すことができない。──どうしてだ。
「う……上を見ろ!!」
誰かが叫んだ。目の前の敵を処理していたはずの兵たちが、はっと顔を上げる。彼らが見たのは、暗闇の中に爛々と光る、二つの黄金の眼。それは明らかにこちらを見据えていて、敵意に満ちていた。
「まさか、さっきのが親玉じゃないのか──!!」
「ほか全部省略、出なさい、ホーリーバリア!!」
先輩の叫びで、皆を多う巨大な壁が出現する。その上に、今までとは比べものにならないほど大きな虎が落下してきた。先輩の壁も、重さに耐えかねてミシミシと嫌な音をたてる。
「つうっ……」
先輩の額から冷や汗が出ている。やはり、相当こたえるようだ。虎はそれを分かっているのか、のしかかったまま執拗に壁を殴打してくる。
「聖女さま、頑張って」
皆が応援しているが、限界が近いのは明らかだった。壁にうっすらとヒビが入り、みるみる全体に広がっていく。きしみ音を聞いて、勝ち誇ったように虎が吠えた。
「なんとか魔法で押し返せないか!?」
「無理だ! 壁を解いたら、次の瞬間に俺たちはあいつに潰されるぞ!!」
僕の周りはパニックになり始めていた。シャーロットさんは先輩の肩に手を置き、回復の魔法をかけている。
「急所に入り込めれば、あんな奴……!」
先輩が悔しげに言う姿が見える。レックスさんも同じことを考えているのか、その横で歯ぎしりをしていた。サイカさんは、泣き出す兵たちを励まし、なんとか秩序を保とうと走り回っている。
──僕しかいない。今思いついた作戦を、やれる余裕があるのは僕しか。
それは分かっているのに、失敗する可能性で足がすくむ。僕は顔をひきつらせたまま、しばらくじっと杖を見つめていた。
「おい」
傍らから、若い男の声がする。落ち着き払った声。先ほど、仲間の間を駆け回っていた男の声だった。振りかえると、真っ黒な鎧をまとった優男が立っている。
茶色い短髪に切れ長の目、モデルでもやれそうな顔だったが、さすがにこの状況では眉間に皺が入っている。
「聞いているのか。お前だ、お前」
「は、はいっ」
男女問わず美形に見つめられると足がすくむ。僕がおどおどしているのを見て、男は舌打ちをした。
「何か思いついているなら、やってみろ」
「でも……」