メイはサトシのことをナンパ野郎と呼ぶ
メイとサトシは同じ大学に通う大学院生と大学生。メイは香港から来た留学生で日本語学を学んでいる。二人は、学内を散策しながらお喋りしている。
サトシは、メイから責められていた。先週、大学から少し離れた場所で、女の子に声をかけている現場を押さえられたのだ。サトシは誤解だと抗弁しているが、メイは聞き入れない。メイは『このナンパ野郎』と連呼していた。
小説本編はノベルデイズに掲載しています。
https://novel.daysneo.com/works/f34555024a07ac6f5a5149dc464d1816.html
「メイ、僕のことナンパ野郎って呼ぶの止めてよ」
「どうして。事実でしょ」
「そうじゃなくて。日本で『野郎』って言うと、侮蔑的で悪い言葉って印象なんだけど」
「日本語学校で、野郎は若い男のことを表し、英語ではguyに相当するのだと習った。boy以上、man未満」
「侮蔑的な表現だとは習わなかったんだ」
「うん。ウチとソトの違いだって習った」
「どう言うこと?」
「日本はウチとソトの違いに厳格だから、人称代名詞もちゃんと使い分けなさいって」
「英語のスラングってことだね。親しい人や仲間内では違うと」
「そう。野郎はguy、奴はmanまたはwoman。不定人称代名詞だし、形容詞や副詞を組み合わせると対象の特徴も表現できるから、使い勝手良さそうじゃない。留学生寮にいた頃、周りの子は結構使ってた」
「どう言うこと」
「ネイティブじゃない言葉を使うときは、短ければ短いほど楽でしょ。だから意味が通じるギリギリのところまで短縮と省略をするの」
「へー」
「学校で習った言い方だと、『あなたはナンパしているから悪い人だ』ってなるよね。第三者に言う時は、『サトシはナンパしている悪い人なのです』って主語と副詞、形容動詞を変えて文脈に合わせるよね。ここで野郎を使うと、ナンパしている悪い人をナンパ野郎って言い換えることができ、『あなたはナンパ野郎だ』『サトシはナンパ野郎です』で良くなる。主語と形容動詞は省略できるから、サトシに言う時は単に『ナンパ野郎』って言えば通じるし、第三者に言う時は、『あいつナンパ野郎なの』と主語と副詞を文脈に応じて付ければ通じるでしょ。まあ、サトシに言う時はサービスして呼びかけの感動詞である『この』って付けてあげてるけどね」
「サービスだったんだ。悪意が込められているとしか思わなかった」
「サトシだって英語話す時そうでしょ。少しでも短くしたいって」
「まあ、確かに。一人称でも使うの? 私は悪い野郎ですって」
「野郎は男性名詞だって言ったでしょ。奴は使うけどね。『メイは素敵なヤツですが、サトシは悪いヤツです』って別に変な表現じゃないよね」
「例文が気に入らないなあ。それにしても、言葉の習い方、教え方って大事だね」
「そだね。日本の英語教育も危ないよ。二人称をyouで教えてる。街中で知らない人にいきなりhey youなんて呼びかけたら撃ち殺されても文句言えないよ」
「おい、そこのお前! って感じだもんね」
「そう。だから人称代名詞はもっと丁寧に教えないとダメだよ」
「うん。でも、『野郎』じゃなくてもう少し綺麗な言葉にしようよ」
「イギリス風に嫌味っぽく言うなら、gentlemanかな。オーストラリアでもこういう使い方するしね。サトシもそう呼ぼうか。おい、そこのナンパ紳士」
「急に老人になった気分だ。それにナンパはないでしょ」
「英語には日本語のナンパって言葉はない。あるとすれば、バーやダンスフロアで女の子捕まえるって意味のhit onかな。他には言葉巧みに女を騙す、詐欺に近いニュアンスでart。アメリカ英語っぽく言うとhit on man。イギリス英語だとartist」
「artって否定的表現だったんだ」
「うん。イギリス英語だからね。駆け引きとか、策を弄するとかの意味。じゃあ、これからはサトシじゃなくてサギシって呼んであげるよ。ナンパ野郎よりは良いでしょ。メイも三音節で済むし」
メイはサトシの腕に手を回し、甘えるように言った。
「ねえ、サギシ」
サトシは独りごちた。
「やれやれ、もっと酷くなった」