推しと私と死亡フラグと。
「…………は?」
推しが死んだ。
何を言っているのか分からないかもしれないけれど、うん。私も意味が分からない。
ベッドに寝転がったまま、見上げたスマホの画面をスワイプする。
数行分戻った文字列を、再び目で辿った。
『鋭い刃が、ユージンの心臓を刺し貫いた』
読み返した一文に、ぶわっと冷や汗が浮かぶ。
飛び起きて前のめりになった私は、必死になってその先を読み進めた。
うそだ。嘘だ、推しが死ぬなんて、そんな馬鹿な。
真っ白になった頭は理解を拒むけれど、まだ希望は潰えていないと言い聞かせながら文章を追う。
けれどそんな私の懇願を嘲笑うかのように、推しの死は、静かに語られた。
推しが、死んだ。
ヒロインである聖女を庇って、恋敵の勇者に見守られながら、死んだ。
それを理解した途端、込み上げてきたのは哀しみではなく。
「……はぁああああああ!?」
あまりに理不尽な展開への怒りだった。
あんまりだ。あんまりじゃないか。
作者はうちの推しに、いったい何の怨みがあるのか。
憤っている私の推しは、ライトノベル、『落ちこぼれ聖女と孤独な王子』の登場人物である。
主人公は貧乏な子爵家令嬢にして、聖女候補者のクレア。
少女小説のヒロインらしく、元気で明るく逞しい女の子。
癒しの力を持つ聖女候補ではあるが、魔力は極めて少なく、擦り傷程度しか治せない落ちこぼれ。
ヒーローはその国の第二王子であるアレン。
兄である王太子が優秀過ぎた為に誰にも期待されず、捻くれた。城を抜け出して市井の子供達に紛れて過ごしていた時に、ヒロインのクレアに出会う。
そしてもう一人の主要人物。
その国の王太子であり、アレンの兄でもあるユージン。
彼こそが私の推しである。
文武両道、容姿端麗。なにをやらせても完璧にこなすのに驕り高ぶらず、真面目で努力家。穏やかな気性で、将来を嘱望されていた。
けれどユージンの人生は十五歳の時に大きく狂う。
二百年前、その国の王に封印された魔女が蘇り、次期国王として民から愛されていたユージンを呪った。
誰よりも麗しいと謳われた容姿は、世にも醜い姿へと変わり、彼は一夜にして全てを失う。王太子としての地位も、両親の愛情も、臣下の忠誠も、民の敬意も、全部泡のように消えてなくなった。
魔女は、清らかな乙女の愛の口付けで呪いは解かれると言い残したが、誰も彼に近寄ろうとはしない。
辺境の砦へと追いやられたユージンは、人間不信になりながらも、国の為に魔物と戦い続けた。
そうして時間は流れ、五年後。
力を蓄えた魔女が王国を滅ぼそうと戻ってきた時、物語が始まる。
なんやかんやあって聖女の力に目覚めたヒロインと、同じくなんやかんやあって勇者の力に目覚めたヒーローが、力を合わせて魔女へと立ち向かうのが話の主軸だ。
その途中で仲間にする為にユージンの元へと向かうのだが、当然の事ながら彼は拒否する。
そりゃそうだ。誰が自分を見捨てた人間達の為に、命を懸けたいと思うのか。
辺境で魔物退治していただけでもユージンは偉い。聖人と呼ばれていいレベルに人間出来ている。
それなのにクソ……ごほん、第二王子は憤った。そんでビッt……聖女は泣いた。
優しい兄上に戻ってくださいとか、貴方はそんな人ではないはずですとか、まぁ好き勝手な綺麗ごとを並べ立てて推しを追い詰める。
二人纏めて外に放り投げても許されるだろうに、優しい推しは彼等を排除したりしなかった。
たぶん、寂しかったのもあると思う。ずっと一人だったから、人恋しかったんじゃないかな。
結局絆されて渋々、魔女退治に付き合うと了承した時に、聖女が喜びのあまりに抱き着き、推しの唇の端っこに、聖女の唇が当たる。
そうしてアッサリ呪いは解けて、ついでに純情な推しはヒロインに恋してしまった。
そこまでは、いい。
『孤独だった推しを幸せにしてあげてね、ヒロイン』と親戚のおばちゃんみたいな気持ちで見守れた。
でも、ヒロインは推しを好きにはならなかった。
それどころか、幼馴染である第二王子の事が好きだと、旅の途中で気付いてしまう。
キスしといて!?
事故とはいえ、唇奪っといて!?
つーか呪いが解けたのは何だったんだよ! 親愛なの!? 親愛でもオッケーとか判定ガバすぎないか!?
っていうか、そもそもタイトルにある孤独な王子って、ユージンの事じゃないの!?
確かに第二王子も、孤独な時期はあった。
優秀な兄の影に隠れちゃって、誰にも興味を持ってもらえないのは寂しかったと思う。でも彼には市井の友人とヒロインがいた。
対するユージンは誰からも愛されてはいたけれど、異形になった途端、掌を返したように周囲から誰もいなくなった。両親も、婚約者候補も、側近候補の友人達も、全員が彼に背を向けた。
どっちが真に孤独なのか。私と作者の見解は違うらしい。
キラキラの王子様に戻ってもヒロインに振り向いてもらえない推しを、それでも私は見守り続けた。
きっと世界に平和が戻って、ヒーローとヒロインが良い感じになった裏側で、推しにも素敵な恋人が出来るだろうと期待していたから。
それなのに、今日、推しが死んだ。
ヒロインを庇って死んだ。
当て馬のまま、誰にも愛されないまま、死んでしまった。
そんなのある?
そんなの許せる?
「……許せるわけないでしょうがっ!」
行き場のない怒りをぶつけるように、枕に向かってスマホをぶん投げた。
「えっ?」
勢いあまって、体勢を崩す。体がベッドから滑り落ちる。
がつん、と鳴ったのは私の頭か、それともローテーブルの角か。脳を揺さ振るような大きな衝撃と共に、視界が暗転。
私の人生は、そこで終わった。
「……キャロル様! 大丈夫ですか?」
「……えっ」
侍女に肩を揺すられて、私は我に返る。
さっきまで見ていた前世の記憶の情報量が大きすぎて、頭がついていけない。
現世の記憶とごちゃまぜになりそう。
今の私は、キャロル。十二歳の侯爵令嬢。ついでに王太子の婚約者候補。
「……ん?」
キャロルで王太子の婚約者候補?
聞き覚えのあるフレーズに首を傾げる私の肩を、侍女が再び掴む。
「お嬢様、ここは危険です! 中へ戻りましょう!」
「きけん……?」
意味を理解しないまま単語を繰り返し、顔を上げる。
王城の中庭にいる私たちの頭上には暗雲が立ち込め、そこには奇妙な生き物がいた。
糸を張り巡らせるように広がる長い黒髪、病的なまでに白い肌、そして目尻が吊り上がった、血の如き赤い瞳。
華奢な肩と豊満な胸、くびれた腰。そこから生える六本の腕。不自然に盛り上がった下半身はドレスに隠れているものの、おそらく、モチーフである蜘蛛に似た腹部が存在するのだろう。
「魔女……!」
空に大写しにされた禍々しい生き物は、二百年前に封印された魔女として、小説の中に描かれた姿、そのものだった。
「キャロル様、こちらへ!」
「お嬢様、お気を確かに!」
護衛の騎士と侍女に誘導されながら、城内へと戻る。
客室の一つに放り込まれ、ここなら安全だから大人しくしていてくださいと言い含められた。
良い子のふりで頷いたけれど、大人しくしているつもりなんて、もちろんない。
だって、あそこに魔女がいる。
つまり、彼女の視線の先には、私の推しがいるはずだ……!!
侍女が席を外したのを見計らい、窓からこっそり抜け出して、鍛錬場を目指す。
王太子であるユージンはそこにいる。
今日は婚約者候補の一人であるキャロル……つまり私との月一の面会日だったけれど、その前に日課である鍛錬をしていた。
そして切り上げようとした時に、別の婚約者候補の令嬢に捕まってしまって足止めされる。
そこに魔女登場、が小説の流れだったはずだ。
二百年の間に封印に綻びが生じ、現代に蘇った魔女は、自分を封印した王に瓜二つの姿をしたユージンに呪いをかけた。
「きゃあああああっ‼」
「!」
甲高い悲鳴が、鍛錬場の方角から響いた。
それに倣うように、悲鳴がどんどん広がっていく。重なる甲高い哄笑は魔女のものか。
『良い恰好ね。あの男の子孫である貴方には、その惨めな姿がお似合いよ』
そう言って見下ろす先、鍛錬場の中央に蹲る人影が一つ。
周囲の人々は遠巻きに眺めるだけで、誰も彼に近付こうとはしない。
『……とはいえ、わたくしも鬼ではないわ』
ねっとりと絡み付く毒のような声で告げて、魔女は口角を吊り上げた。
『清らかな乙女が、真の愛を以て口付けるだけで呪いは解ける。……簡単でしょう?』
純粋無垢な幼女のように稚い仕草で小首を傾げた魔女は、弧を描く真っ赤な唇から残酷な言葉を吐き出す。
『貴方のその姿に臆さず、口付ける女がいればの話だけれど』
あっはっは、と高らかな笑い声を上げて、魔女は空高く昇っていく。
そして曇天に溶けるように、その姿は搔き消えた。
真っ黒な雲が割れて、青空が覗く。差し込んだ陽光が、鍛錬場の中央にいる王太子の姿を照らし出す。
ぐしゃぐしゃに伸びた髪は元の金色ではなく、くすんだ鋼のような色へと変わった。側頭部からは螺旋状に巻いた二本のツノが生えている。
ひび割れた肌は真っ黒。目には白目の部分がなく、血のような赤い目に金色の縦長な瞳孔が光る。
耳まで裂けた大きな口からは、咥内に収まりきれない鋭い牙が沢山覗いていた。
顔を覆い隠す手は異様に大きく、長い指が三本、そこから鋭い爪が伸びている。上半身は筋肉が盛り上がり、足は不自然に細く、偶蹄類に似ていた。
「ひっ……」
腰を抜かした見習い騎士が、乾いた悲鳴をあげながら後退る。
友人であり、側近候補である男達は、真っ先に逃げ出した。
婚約者候補である令嬢は白目をむいて倒れ、お付きの侍女は恐怖に号泣している。
ああ、遅かった。
間に合わなかった。
そう落胆しながらも、駆ける足は止めない。
彼の、ユージンの絶望を、一秒でも早く終わらせなくちゃ。
その為に私は、ここにいる。
「ユージンさまっ!!」
「……っ!?」
叫ぶのと同時に、地面を蹴る。
反射的に振り返ったユージンの首に、がしっとしがみ付いて。
「!?」
そのまま体当たりするみたいに口付けた。
もう、キスなんて可愛らしいものじゃない。衝突事故だ。
唇だけじゃなくて顔全体ぶつけたし、正直、痛い。恥ずかしいとか嬉しいとかメンタル面よりも、物理的な痛さが先行する。
そのまま押し倒す形で後ろに転がり、推しの胸の上に乗り上げた。
逞しい胸筋に頬を押し付けたまま、痛みに悶絶する。
「いったぁああ……」
痛い。まじ痛い。涙出てきた。
推しってば、異形化しても顔立ちがはっきりしていて芸術品みたいだから、凸と凹のところに食い込んでめちゃめちゃ痛かった。大丈夫? 私の鼻、ちゃんとある?
いやいやいや、泣いている場合じゃない。
今のって、キスにカウントされたかどうかの判定、微妙だよね。
もう一回、確実にぶちゅっとやっとかないと。
ここできっちり呪いを解いて、推しのトラウマを無くすんだ。
将来的に推しを選んでくれない聖女に、彼は渡さない。もっと彼を大切にしてくれるお嬢さんを、私が見つけてみせるんだから。
決意も新たに顔をあげると、やたら美しいご尊顔が間近にあった。
「あ」
陽光を受けて、癖のない金色の髪がきらきらと輝く。澄んだ青色の瞳は呆気にとられたように丸く瞠られたまま。形のよい鼻梁から続く唇も、衝撃を表すように、ぽかんと薄く開いている。
普段は一部の隙もない完璧な王子様である推しは、年相応の少年らしい姿を晒したまま、私を見つめて固まっていた。
どうやら、あの衝突事故はキスにカウントされたらしく、推しの呪いは解けたようだ。
「……良かったぁ」
安堵の息を吐きながら、表情を緩める。
「っ……!」
と同時に、推しの顔が沸騰したかのように、一瞬で真っ赤に染まった。
純情な少年みたいな反応に呆気にとられた後、やばい、と思い当たる。
そういえば、百戦錬磨のような顔をしていながらも、事故のようなキスで初恋に落ちるような純情な人だった。
いやいやいや。でも、そんなワケないよね。
十二歳のロリの事故チューで、さすがに恋には落ちないよ、うん。
私の推しは、そんなにちょろくない。
冷や汗を搔きながら、必死になって自分に言い聞かせた。
そろそろと身を引いて、推しの体の上から退こうとする。
が、その前に腕を掴まれた。
「……キャロル」
変声期を終えたばかりの甘い声が、耳朶を打つ。
恐る恐る視線を向けると、火傷しそうな熱量を持つ瞳に捉えられた。寸分の狂いもない端整な顔が、くしゃりと歪む。腕を引かれて、強い力で抱き締められる。
泣くのを堪えているのか、キャロル、ともう一度繰り返した声は震えていた。
「……ユージン様」
背中に腕を回して、抱き締め返す。
広い背中を宥めるように、一定間隔でとんとんと叩いた。
ごめんね、推し。
ちょろくない。貴方はちょろくなんかないよ。
ほんの一分足らずの出来事であっても、貴方は異形に変化させられ、周りに見捨てられかけたのに変わりはない。
絶望するには十分だった。
そこで手を差し伸べられたら、恋だと錯覚しちゃうのも無理はない。
「キャロル……、キャロル……っ」
「はい」
「離れないで。どうか私の傍にいてくれ」
「はい、ユージン様。キャロルはここにおりますよ」
縋り付くように抱き締める推しの背を、辛抱強く擦り続ける。
大丈夫。私が貴方を守るから。
魔女は今、封印されている間に失った力を取り戻す為に眠りについている。小説の情報で彼女の居場所も分かるし、聖剣の場所も知っているから、今ならきっと倒せる。
そうしたら貴方は今度こそ、憂いなく、幸せになれるはず。
決意した私は、城を抜け出していた第二王子を捕獲して、聖女を言葉巧みにかどわかし、三人でちゃちゃっと魔女退治へと出かけようとして、何故か激怒した推しに捕まった。
不敬にも、第二王子の首根っこを掴んでいたのが不味かったのか。綺麗ごとを並べ立てて、聖女に協力を依頼という名の強制連行をした事が逆鱗に触れたのか。
旅に出る前に私達の即席パーティーは解散。
私は城の一室に軟禁された。
決して暴力的ではないが、ねちっこい訊問の末に事の詳細を吐かされ、剣と魔女の在り処を聞き出した推しは颯爽と出かけていった。
勇者は第二王子のはずなんだけど、謎パワーで封印されていた聖剣を引っこ抜き、さくっと魔女を退治して帰ってきた推しは、淀んだ沼のような目をして、私を囲い込む。
「これでもう、君が私から離れる必要はない。一生、傍にいてくれるよね?」
椅子に座る私の前に跪き、膝に懐く推しの頭をそっと撫でる。
「はい、ユージン様」
人間不信に陥りかけたところに強烈なキスをかましたせいで、どうやら推しはヤンデレを発症したらしい。
私は婚約者候補から正式な婚約者となったが、実家には中々帰してもらえない。基本、推しの私室の隣の部屋に軟禁されている。
推しの周りの顔ぶれは一新されたが、新しい側近達には心を許しておらず、ビジネスライクな距離を保っている。
第二王子と聖女にはあれから会えておらず、どうなったか分からない。たぶん平和に暮らしていると思うけど、近況を知ろうとすると推しの目が淀むので、聞けないまま。
たぶん、小説とは別ルートに進めたが、問題は山積みだ。
――でも。
「キャロル」
推しが幸せそうに笑っているから、まぁ、いっか。