募る疑問
まさか、こんな所でルーファスに会うとは思わなかった。彼の切れ長の瞳もまた、驚いたように見開かれている。
先日見たときとは違い、すぐ目の前にいる彼は私よりもずっと背が高くて、大人の男の人になっていた。それでもあの頃の面影もあって、懐かしい気持ちになってしまう。
思わずその綺麗な顔をじっと見つめてしまっていると、彼はふいと私から視線を逸らした。
そもそも、二度と顔を見せるなと言われているのだ。今だって、私だと気が付かずに本を取ってくれただけであって、私になんて会いたくなかったに違いない。きっと今も怒りを堪えてくれているのだろうと、私は慌てて口を開いた。
「あの、本当にありがとう」
「…………は」
「それと謝って済むことじゃないけれど、本当にごめんなさい。もう二度と、ルーファスや侯爵家に迷惑はかけません」
私がとんでもない事件を起こしたというのに、伯爵家を責めずにいてくれたこと、そして何より長い間ずっと、私を大切に思ってくれていたことに、お礼を言いたかった。
そしてもう、絶対に彼や侯爵家に迷惑はかけない。それだけは、伝えておきたかった。
「…………」
「…………」
気まずすぎる沈黙が続く。きっと、彼の大切な家族にまで巻き込んだ私に対し、流石の彼も完全に嫌気が差してしまったのだろう。当たり前だ。
彼と話したい、もう一度だけ事情を説明する機会が欲しいとは思っていたけれど、これ以上私と関わらない方が彼にとっては幸せなのかもしれない。もう一度だけお礼を言い、この場から離れようとした時だった。
「……何故、そんな本を読もうとしている?」
「えっ? その、勉強を……」
なんと、先に口を開いたのは彼の方で。その視線は、私の手元の本へと向けられている。
予想もしていなかった質問に戸惑いつつもそう答えると、彼は眉を顰めた。
「何故、そんな格好をしているんだ」
「ええと、こういう色が好きで」
そんな格好というのは、このシンプルな淡い空色のドレスのことを言っているのだろうか。お母様のドレスを借りた翌日には、お父様が素敵なドレスを沢山買ってくれたのだ。
ちなみに化粧は薄く、髪も下ろしているだけで。確かに彼が知る私とは、かなり違うかもしれない。
「あんまり、似合わないかな」
「別にそんなことは言っていない」
「そっか。よかった」
「……良かった、のか」
「うん」
私がそう答えると、彼は余計に眉を顰めた。
「ルーファスは、変わらないね」
「何だと?」
「いつも質問ばっかり」
思い返せば、子供の頃の彼も「セイディは何色が好き?」「どんな食べ物が好き?」「僕のこと、好き?」といつも私に何かを尋ねていたことを思い出し、思わず笑みが溢れた。
──本当に、どうしてこんなことになってしまったんだろう。私だってルーファスだって、悪いわけじゃないのに。
「……何で、」
そう呟いたルーファスの手がゆっくりと、そして躊躇いがちに私の方へと伸びてくる。その時だった。
「セイディ?」
そんな声に振り向けば、ジェラルドがこちらへ向かって歩いて来るのが見えた。どうやら思ったよりも早く、用事が終わったらしい。
ふと視線をルーファスへと戻せば、私を見つめる彼の瞳は冷えきっていて。目の前まで来ていたはずの彼の手は、いつの間にかまっすぐに下ろされていた。
「今度は、あいつなのか」
「えっ?」
「ロイドのことは、もういいのかと聞いている」
突然知らない名前が出てきたことで、再び「えっ?」という言葉が口から漏れた。ロイドとは一体、誰なのだろう。
なんと返事をしようか迷っているうちに、ルーファスはくるりと背を向け、行ってしまったのだった。
◇◇◇
「今日の貴方は、本当に変ですよ」
とある夜会の会場の隅で、俺はルーファスにそう言った。
「非番にも関わらず、突然私服で騎士団に顔を出しに来たと思ったら、演習室を一つ壊すなんて」
「……すまなかった」
そう言ったものの、原因は勿論分かっている。演習室だって、魔法ですぐに元通りに出来るから問題はない。
「セイディに、会った」
「でしょうね」
この男の様子がおかしい時には間違いなく、彼女が絡んでいる。婚約破棄をしたばかりだというのに、今日はどうしたんだと尋ねると、彼は左手で口元を覆い、ぽつりと呟いた。
「可愛かった」
「……は?」
「だから、可愛かったんだ」
話を聞くと今日の彼女は柔らかい雰囲気を纏い、見た目の毒々しさも抜け、妖精のように可愛らしかったのだという。その後、彼女を迎えに来たらしいジェラルド・フィンドレイを見てショックを受けた彼は、行き場のない気持ちを発散するため、演習室に来たらしい。
普段ならば、いよいよ幻覚でも見たのかと言うところだったが、実は俺にも心当たりはあった。先日、歳の離れた妹と行った街中のカフェで、その通りの女性に会ったのだから。
セイディ・アークライトと同じ顔をした彼女は、泣き出した妹を心配するような素振りを見せた後、壊れてしまった縫いぐるみをさっと直して見せたのだ。そして俺に対しても、まるで初対面のような態度だった。
今思い返してみても、顔だけが似た他の誰かだとしか思えない。それほど、雰囲気や言動は完全に別人のものだった。
「……彼女は、裁縫が得意でしょうか?」
「裁縫? 針に糸を通すことすら出来ないんじゃないか」
「そう、ですよね」
やはり、あれは他人の空似だったに違いない。間違いなくあの手つきは、長い間やっていた人間のそれだった。
けれどそうなると、ルーファスが今日見たと言う彼女は一体、何だったんだろうか。
「彼女は王立図書館で、水魔法の本を手に取っていた」
「変な話ですね。彼女は魔法使いじゃないでしょうに」
「いや、セイディは魔法使いだ」
「は?」
そんな話、聞いたこともない。それに魔法使いならば必ず通う魔法学園にも、彼女の姿はなかった。
「誰にも言っていなかったが、子供の頃のセイディは間違いなく水魔法を使っていた」
「……何ですって?」
魔力というのは、隠せるものではない。魔法使いが減少し貴重な存在となった今、魔法学園に通う年齢になると、国民全員が検査を受けることになっている。だからこそ、隠し倒すことなんて無理なはずだ。
それに、元々あった魔力が消えてしまうなんて話も聞いたことがない。かと言って、ルーファスがそんな嘘をつくとは思えなかった。そんなことを考えていると、視界に眩しいほどの金色が飛び込んできた。
「ふふ、皆の憧れの団長様と副団長様がこんな隅にいては、女性達が悲しみますよ?」
「……エリザか」
花のような微笑みを携え現れたのは、エリザ・ヘインズ男爵令嬢だった。彼女はそれこそ、あの悪女セイディ・アークライトとはまるで正反対の令嬢だ。
彼女の悪い話は一度も聞いたことがない位、社交界では評判も良く、男性達の憧れの的だという話は耳にしていた。
「何のお話をしていたんですか?」
「セイディの話だ」
ルーファスがそう答えると、彼女は眉尻を下げ、困ったように微笑んだ。
「……実は先日、アークライト伯爵家に行ったんです」
「何だと?」
「相談があるからと、セイディに呼び出されて」
確かにあの女も、人付き合いの上手いエリザとは唯一、会話をしていた記憶がある。他の令嬢にはいつも「ブサイク」「辛気臭い顔ねえ」などと言い、反感を買っていた。
「その、あまり人のことを悪くは言いたくないんですが」
そして戸惑うような、躊躇うような様子を見せた後、彼女は何かを決心したような表情を浮かべて。
「セイディには、どうか気を付けてください。彼女はまだ、ラングリッジ侯爵家を諦め切れていないようなんです」
エリザはルーファスの手を取ると、今にも泣き出しそうな程に声を震わせ、そう言ったのだった。