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10年前の約束 1



「うっ……うう……」

「セイディ、泣きすぎだ」

「だ、だって……本当に、本当にエリザが綺麗で……」


 ぐすぐすと子供のように泣き続ける私の隣で、ルーファスはそっと涙を拭ってくれる。


 そう、今日はエリザとノーマンの結婚式だった。


 私はルーファスやニールと参加しており、今は挙式を終えて披露宴の最中だけれど、未だに涙は止まらない。化粧もとっくに落ち、酷い顔をしているに違いない。


「でも、気持ちは分かるなあ。俺も正直、ずっと泣きそうだったし」


 ニールは眉尻を下げて笑うと、私の肩に手を乗せた。


 純白の正装に身を包んだ二人は素敵で幸せそうで、これまでのことを思い返すと胸がいっぱいになる。


 あの場所にいた時には、こんな幸せな未来が訪れるなんて想像もしていなかった。


「それに、周りの人もみんな優しいから、余計に……」


 目が覚めてから人の多い場に出るのは初めてだったけれど、以前の刺さるような視線とは違い、誰もが私を気遣ってくれ、優しく声をかけてくれるのだ。


 もちろんそれ自体も嬉しかったけれど、本当に全てが元通りになり始めているのだと実感して、どうしようもなく安心した。



 ──私が目を覚ましてから、もう半年が経つ。


 ジェラルドは記憶を失ったまま、穏やかに静かに暮らしているという報告を受けている。


 私だけでなく、みんなも言葉にはしていなかったけれど、安心した様子を見せていた。


 この半年間の間に色々なことがあったものの、最も大きな出来事と言えば、タバサとメイベルに対する刑の執行がなされたことだろう。


 タバサは今、ナポロフ監獄に劣らない環境の監獄に収監されている。


 朝から晩まで刑罰として対価のない農作業や建設作業といった重労働をさせられ、娯楽もなく、寒さに耐えるだけの毎日を繰り返していると聞く。


 出られるのは、死んだ時だけ。彼女は一生を、そこで終えることとなる。


 タバサが監獄へ移送される前日、私は彼女の元──王都にある罪人の収監施設を訪れていた。


『……私をあざ笑いにきたの?』


 最後に見た時よりもずっと、穏やかな様子だった。この先の未来を、既に受け入れていたのかもしれない。


『そうよ』


 そう答えれば、タバサは「お前は嘘が下手ねえ」と呆れたように笑った。


『お前がどれほどの善人だったのか、私あの十年で思い知ったから』


 タバサが好き勝手をする中、両親やルーファスがセイディ・アークライトという人間を見捨てなかったのは、「私」という人間が生きてきた過去があったからだと、タバサは言った。


 切なさや悲しみが込み上げてくるのを感じながら、一通の手紙を取り出すと、牢の隙間から差し出した。


『何よ、それ』

『ロイド・ブリック様からの手紙よ、あなた宛に』


 そう告げた瞬間、タバサの顔から笑みが消える。


 ──事件が表沙汰になったことで、ロイド様も今回の事件のことを知るに至った。


 ロイド様は元々の私を知らず、タバサによるセイディ・アークライトという人間しか知らない。


 その上で、彼は()に好印象を抱いていたという。


『セイディ様はいつも、僕を褒めてくれていたんです』

『環境に囚われず、自身の力で今の地位を得た努力家の僕は本当にすごいのだと、言ってくださっていました』


 能力さえあれば身分など関係なく重用される我が国でも、文官という役職においては、彼のように平民出身の人間は決して多くない。


 そんな中、周囲から心ない言葉を投げかけられることも少なくなかったようで、タバサの言葉には何度も救われたそうだ。


 だからこそ、彼はタバサが犯した罪を知り、ひどく悲しげな様子を見せていた。


 その上で、最後に話ができなかったことを悔やんでいるようで、手紙を代わりに渡すに至った。この手紙にどんなことが書かれているのか、私には分からない。


 ロイド様は誠実な方だから、彼女の行いに対して咎めるような言葉が綴られているかもしれない。それでも、タバサが望んでいる言葉だってある気がした。


『……お前は、っ本当に、甘っちょろい人間ね……』


 そう呟きながら手紙を受け取った彼女の声は震えていて、まるで宝物みたいに抱きしめていた。


 甘いと思われるのも当然だろうし、私の行動を理解できないという人が大半だとも思う。


 ──けれど私がタバサとして生きた十年間は、あまりにも長いものだった。


 彼女が抱いていたであろう苦しみや悲しみ、辛さや理不尽さ、他人から向けられる悪意や侮蔑を私も知ってしまったから。


 もしも彼女の立場で生まれていたなら、一生をそんなものに塗れた暮らしのまま終えていたのだ。恵まれた環境に生まれた自分と比較し、哀れみの感情だって芽生えてしまった。


 もちろん、タバサを許したわけではない。この先だって絶対に許すことはない。


 けれど彼女は一生をかけて、罪を償っていく。


 私には想像すらできないほど、辛くて長いものになるはず。その中で何かひとつくらい、彼女を支えるものがあってもいいと思えるようになっていた。


 そしてそれは今の私が過去を乗り越え、愛する人達に囲まれ、幸せだと感じられているからだ。


『……さよなら』


 タバサの元を立ち去る際、背中越しに彼女の嗚咽と共に謝罪の言葉が聞こえた気がした。



 一方で、メイベルは斬首刑という判決が下された。


 両親やルーファスからは刑の執行の際、見に行かない方がいいと言われていたけれど、私は終わりを見届けたいという想いから、刑が行われる広場へと足を運んだ。


『俺達も行くよ。これで本当に最後なんだし』


 エリザとニール、ノーマンも私と同じ気持ちだったようで、私達は四人一緒にメイベルの最期に立ち会った。


 やはり国を揺るがす大きな事件だったこともあり、刑の執行を見物しようという人々で、王都の中心にある大きな広場は溢れ返っていた。


『……出てきたわ』


 エリザの声で顔を上げれば、三年ぶりに見たメイベルは別人かと思うほど老け、憔悴しきった様子だった。


『嫌だ、やめろ! 死にたくない、嫌だ! 嫌だ、ああああ! 助けてくれ!』


 メイベルは直前になって死が恐ろしくなったのか、最後までみっともなく暴れ泣き喚き、抵抗し続けていた。


 彼女に命を奪われた人間は、数十人ではきかないと聞いている。


 彼らだってきっと、同じように死にたくはないと抵抗し懇願したはず。メイベルがこれまでしてきたことを思えば、斬首刑ですら手緩いだろう。


 やがて抵抗も虚しく、刑はつつがなく執行された。


『…………っ』


 メイベルの叫び声が途切れた瞬間、エリザの頬を涙が濡らしていった。


『……これで本当に、全て終わったんだね』

『そうだね。あっけなく感じるけど、こんなものなのかもしれない』


 彼女が死を以て罪を償わされても、私達が奪われたものは、時間は二度と返ってこない。


 それでも私達を苦しめていたものは何もなくなったのだと思うと、心が軽くなった気がした。



「……セイディ? どうかした?」

「あ、ごめんね。少しだけ考えごとをしていたの」


 せっかくの日に余計なことを考えてはいけないと、首を傾げるニールに向けて慌てて笑みを作る。


「ふふ、セイディったらまだ泣いていたのね」


 そんな中、参列者に挨拶をして回っていたエリザとノーマンが私達の元へやってきた。


 二人はふわりと微笑むと、目を腫らしているであろう私を抱きしめてくれる。


「本当に、本当におめでとう!」

「ありがとう、セイディ。あなたのおかげよ」

「ああ、すべてお前のおかげだ」


 ようやく収まった涙が、二人の言葉によってまた溢れてきてしまう。


「ううん、私だってたくさん、たくさん、みんなに助けられてきたもの……」


 私が身体を奪われた直後、毎晩泣き続けた幼い私を励まし、支えてくれたのは二人だった。


 二人の存在に、どれほど救われてきたか分からない。


「もちろん、ニールも大好きよ」


 ニールもぎゅっと抱き寄せれば「子供じゃないんだから、みんなで抱き合うとか恥ずかしいよ」なんて言いながらも、その目には涙が浮かんでいる。


 そんな私達をルーファスは、ひどく優しいまなざしで見つめていた。



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