動き出した歯車
「ふふっ、貴女まさか元の身体に戻った、なんてつまらない冗談を言うんじゃないでしょうね」
そんなエリザ様の言葉に、驚きで思わず言葉を失ってしまったけれど。私はすぐに、彼女の手を取った。
「そ、そうなんです! 実は先週、私とジェラルドが突然元の身体に戻って……私、本当に何もわからなくて……」
必死に伝えれば、突然、彼女の顔から表情が抜け落ちた。
整いすぎた顔のせいで、まるで人形のようにも見えて。ほんの一瞬、なんだか怖いと思ってしまった。
「…………うそ、でしょう」
「本当なんです。嘘みたいな話ですけど」
エリザ様は私が掴んでいない方の手で、しばらく目元を覆っていたけれど、やがて元通りの美しい笑みを浮かべた。
「ごめんなさい。驚いてしまって」
「大丈夫です。あの、どうしてエリザ様はそのことを?」
「ふふ、たまたまそんな話を耳にしたものだから、私こそふざけて言ってみただけよ」
「なんだ、そうだったんですね」
婚約破棄の場で、私が元の身体に戻ったとつい言ってしまったのを、彼女も噂で聞いたのだろう。
それからは改めて、簡単に今までの流れを説明した。本当に信じてもらえるかは不安だったけれど、エリザ様はとても親身になって最後まで聞いてくれた。
「本当に大変な目に遭っていたのね。辛かったでしょう?」
「信じてくれるんですか……?」
「ええ、勿論よ。むしろ貴女の身体を奪った恐ろしい人間が何処かにいると思うと、怖くて仕方ないわ」
彼女は悲痛な表情を浮かべ、そう言って。先程から掴んだままだった手を、そっと握り返してくれた。
「これからは、何でも私に話して頼ってね。力になるわ」
「あ、ありがとうございます……!」
やっぱりエリザ様は、とても良い人だった。天使のような微笑みが眩しい。彼女に声を掛けてみて、本当に良かった。
「私の言う通りにしていれば、絶対に大丈夫だから」
その言葉に、私は何度も頷いた。なんだか彼女にそう言われると、そんな気がしてくる。
そして私は早速、今一番の悩みだった舞踏会のことについて、相談してみることにした。
「……そうね、舞踏会には必ず参加した方がいいわ。ただでさえ伯爵家は立場が弱っているのに、王家からの誘いまで断ったとなれば、余計に立場が悪くなるもの」
「やっぱり、そうなんですね」
きっと両親もそれを分かった上で、私のことを心配し、行かなくていいと言ってくれたのだろう。
「でも私、マナーとかもさっぱりですし、ダンスだってまったく出来ないんです……」
「大丈夫よ、私が付いているわ。それに、必ず踊らなければいけない訳じゃないのよ」
「えっ? そうなんですか?」
形だけでも参加し、端っこで黙って時間が経つのを待つくらいなら、今の私にも出来る気がしてきた。
何よりエリザ様は私と同い年らしく、当日一緒に居てくれるそうで。安心した私は舞踏会の参加を決意したのだった。
……そして心強い味方が出来たと浮かれていた私は、最初から最後まで、彼女が一度も私を「セイディ」と呼ばなかったことに、気が付いていなかった。
◇◇◇
その後、両親には舞踏会に参加することを伝えた。エリザ様も一緒だから大丈夫だと伝えれば、安心したらしく「無理だけはしないように」と背中を押してくれた。
二人の話によると彼女はとても評判が良く、男爵家の娘ながら、令嬢の鑑と言われているほどの人物なのだという。
舞踏会まで、幸いあと1ヶ月弱ある。私はそれまでに少しでも貴族令嬢らしくなろうと、お母様に頼みペースを上げて勉強やマナーレッスンに取り組むようになった。
そしてそれから一週間後の今日、私は王立図書館にいた。
今日はここで、ジェラルドと待ち合わせしているのだ。彼は少し用事があるらしく、時間も多少前後するかもしれないとのことで、この場所を選んだ。
彼を待っている間、私は魔法についての本を読もうと思っていた。早速、わかりやすそうな魔法の基礎についての本を見つけると、それを手に取り、近くにあったテーブル席に腰を下ろす。そうして、ゆっくりとそれを読み始めた。
「ええと……魔法は、魂と身体の結びつきが、大切……」
だからこそあの身体では、魔法を使えなかったのかと納得した。そして私もまた、魔法が使えないようだったと聞いている。つまり、今の私ならば魔法を使える可能性は高い。
うっかり使って暴発してはいけないと思い、誰か指導してくれる人が見つかるまでは、試さないようにしようと思っていた。とは言え、未だに家庭教師は見つかっていないし、両親は魔法を使えない。詰んでいる。
記憶が正しければ、私は水魔法使いだったはずだ。
次は水魔法に関する本でも探してみようと、私は再び立ちあがり、本棚へと向かう。
「……よっ、ほっ」
そして丁度良さそうな本を見つけたものの、なかなか高い場所にあり、もう少しのところで手が届かない。
踏み台を持ってくればいいだけなのに、本当にあと少しなのが悔しくて、必死に手を伸ばしていた時だった。
突然真上から現れた手が、ひょいと目的の本を取り、渡してくれたのだ。世の中、意外と親切な人が多いのかもしれない。そう思うと嬉しくなって、つい口角が上がってしまう。
「あの、ありがとうございます」
笑顔のまま本を受け取り、すぐ後ろにいるであろうその人を見上げる。そして視線の先にいた人物の顔を見た瞬間、私は石像のように固まってしまっていた。
そしてそれは、向こうも同じだったようで。
「…………セイディ……?」
ルーファスは私の名を呟き、その場に立ち尽くしていた。