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知らない過去 3



「自分をなんて身の程知らずな人間だと思ったよ。僕とセイディは違う世界の人間なのに、僕なんかが望んではいけない相手だって、分かっていたのに」


 私の手のひらを握るジェラルドの手に、力が篭もる。


「同じ空間にいても、セイディはあまりにも遠かった。君もあの男も偽物の僕とは違うと思い知らされたんだ」

「ジェラルド……」

「幸せそうに笑い合う君達を遠くから見ているだけで、僕は声をかけることさえできなかった」


 あの頃の私とルーファスはとても仲が良くて、周りからもお似合いだと言われていた。


 私はルーファスが大好きで、どこに行っても彼の後をついて回っていたことを思い出す。


「そんな中、君が突然変わってしまったという噂を聞いたんだ。婚約者とも不仲になったって」


 間違いなく、私とタバサが入れ替わった後だろう。


「僕は少しだけ期待をしながら、勇気を出して一度だけ声をかけたんだ。そうしたらあの女は、僕の顔がすごく好みだから仲良くしよう、って言って笑った」

「…………」

「こんなの絶対に君じゃないと思った。僕みたいに顔の同じ誰かと入れ替わったんじゃないかと疑ったよ」


 その後ジェラルドは、私について調べ続けたという。


「三年経った頃のある日、僕は身体を奪われてあの場所に囚われたんだ。すぐに分かったよ。君があのセイディ・アークライトだって」


 ジェラルドはどこか興奮したようにそう言って、笑みを浮かべた。その瞳は、ひどく熱を帯びている。


「生まれて初めて、神に感謝したよ」

「……え?」

「ルーファス・ラングリッジがいない中で、ずっと君の側に居られるんだから。僕はあの場所での暮らしは苦じゃなかったし、むしろ死ぬまであのままが良かった」


 思い返せば、ジェラルドが戸惑ったような様子を見せていたのも初日だけで、一度も「元の身体に戻りたい」とは言っていなかったことに気付く。


「僕は中身が君であれば、何でもいいんだ。どんな姿をしていても、どんな立場でもいい」


 笑顔でそう告げられた瞬間、ぞわりと全身に鳥肌が立った。ジェラルドにとっての自分の存在の大きさが、恐ろしくなる。


 そんな気持ちが顔に出てしまっていたのか、私を見てジェラルドは悲しげな表情を浮かべた。


「でも、本当はずっと黙っておくつもりだったんだ」

「……どうして、話してくれる気になったの?」


 ジェラルドはふっと口元を緩ませ、指先で私の手の甲を撫でる。


「セイディは可哀想な人間に優しいから」

「…………っ」

「可哀想な僕を、見捨てないことを期待してるんだ」


 私はジェラルドのことを何も分かっていなかったけれど、彼は私をよく理解しているのだと思い知らされる。


 正直、彼の境遇に同情せずにはいられなかった。


 私はあの場所で十年間辛い思いをしていたものの、生まれてから身体を乗っ取られるまでの間は家族や友人、婚約者に愛され、幸せに暮らしていたのだから。


 けれど、ジェラルドはこれまでの人生の全てにおいて孤独で辛い思いをしていたと思うと、再び涙が込み上げてきて、胸が痛んだ。


 それでもジェラルドが今している裏切りを、絶対に許すことはできない。


「好きだよ。僕の人生で唯一望んだのが、君なんだ」


 ジェラルドはそう言うと私の手を引き寄せ、まるで神に祈るかのように額に当てた。


「本当は恩人であるセイディにこんなことをするのは間違ってるって、分かっているんだ」

「…………」

「でも、君だけは諦められなかった」


 ジェラルドは私の手をきつく握ったまま「ごめんね」と呟くと、長い金色の睫毛を伏せた。


 ──ジェラルドの言う通り、私はきっと『可哀想な人間に優しい』のだろう。


 もしもこの話を数ヶ月前に聞いていたら、同じ気持ちはジェラルドに返せなくとも、側にいてあげたいと思ってしまったかもしれない。


 けれど今はもう私達を裏切ったジェラルドを受け入れることなんて、できそうになかった。


「何よりルーファス・ラングリッジに君が惹かれていくのを見るのも、これ以上耐えられそうになかったんだ」


 不意に出されたルーファスの名前に、心臓がどきりと音を立てた。


 ジェラルドは私が自分の恋心を自覚するよりも先に、気が付いていたらしい。私のことをずっと側で見ていたのなら、少しの変化も分かってしまうのかもしれない。


「セイディが僕を好きになってくれなくてもいいよ。でも、他人のものになるのは許せないんだ」

「…………」

「本当に僕は愚かで、自分勝手だ」


 それからもジェラルドは何度も何度も、私への謝罪の言葉を繰り返した。自分の感情を、上手く制御できていないのかもしれない。


 しばらくして落ち着いたのか、ジェラルドは顔を上げた。そこにはいつも通りの笑顔があって、ほっとする。


「急に話して、驚かせちゃったね。ごめん」

「……ううん。話してくれてありがとう」


 もちろん驚いたし、彼には心の底から同情した。恐怖に似た感情を抱いたのも事実だった。


 それでも彼がここまでする、納得できる理由が分かったのは、少しだけ良かったと思えた。


 ジェラルドの目的は本当に私だけで、みんなに危害を加えようとしているわけではないのだ。


「そうだ、結婚式の準備をしていたんだけど、君によく似合うドレスを見つけたんだ。セイディにはきっと純白がよく似合うだろうな」


 それからは結婚式の話について、ジェラルドは嬉しそうに話し続けていた。衣装を仕立てるデザイナーに会うことも、ジェラルドの両親に会うこともないらしい。


 本当に私がこの屋敷を出られるのは、結婚式の日、それも移動と式の間だけになる。


 こうして身体が入れ替わってしまった以上、魔法だって使えない。ジェラルドの隙をついて逃げ出すための方法を、慎重に考えなければ。


「ああ、指輪ももうすぐ完成するからね」

「……ええ。ありがとう」

「結婚式まで、あと一ヶ月だよ。楽しみにしていて」


 こうして話をしているだけなら、これまでの優しいジェラルドと何ひとつ変わらないのに。


 どうしてこんなことになってしまったのだろうと、ひどく悲しくて、泣きたくなった。



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