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知らない過去 2



 確かに私はジェラルドの言う通り、身体を乗っ取られる前、お母様と共に慈善活動をしていた。


 お母様は昔から、ノブレス・オブリージュの精神を大切にしている人だったからだ。


 それでも、子供の頃にジェラルドと出会った記憶は思い出せそうにない。


「ごめんなさい。私、あなたを覚えていなくて……」

「謝らないで、当然なんだ。君と会ったのはたったの二度だったし僕は幼い頃、炎皮病にかかっていて目も当てられない姿をしていたから、今とは別人だったしね」


 その言葉を聞いた瞬間、私は息を呑んだ。


 その病気については、もちろん知っていた。魔力が身体に合わないことが原因で発症する珍しい病であり、難病のひとつで、ひどい苦痛を伴うものだと。


 ただでさえ治癒魔法使いは少ないというのに、病人と魔力の相性が合う者の治癒魔法でなければ完治しない。


 そのため、完治する可能性は限りなく低いはず。


 まさかジェラルドにそんな過去があったなんて、私は想像すらしていなかった。


「全身が火傷したように爛れていて、包帯まみれで膿んで悪臭を放っている僕に、誰も近づこうなんてしなかったよ。その上、孤児の治療なんて最低限以下でさ。どうせ適合する治癒魔法使いなんて現れず、そのうち死ぬと思われていたんだろうね」


 ジェラルドがいたのは病院に併設されている孤児院だったらしく、生まれた時から病に侵されていた彼は病院の前に捨てられていたのだという。


 そして病院で治療とは呼べない手当てを受けながら、寝たきりで過ごしていたと彼は言った。


「どうして僕は生まれてきたんだろうと、何度も思ったよ。ずっと苦しくて辛くて寂しくて、生きていても何ひとつ良いことなんてなかったから」

「…………っ」


 その苦しみは、私には想像もつかない。あの場所で奴隷として過ごすよりもきっと、ずっとずっと辛いものだったはず。


「でもそんなある日、君に出会ったんだ」


 まるで他人のことのように、淡々と彼は続ける。


「いつも治療も食事も何もかも後回しにされていたせいで酷い状態の僕を見つけた君は、すぐに僕の扱いについて訴えてくれた」

「──あ」


 少しずつ、おぼろげな記憶が蘇ってくる。


 ひどく汚れた包帯を全身に巻かれ、ベッドに寝たきりで苦しむ子供が心配で、近くにいた病院の人間にそう訴えたことを思い出す。


 けれど、お母様はその時席を外していて、子供ひとりだからと舐められたのだろう。「忙しいから仕方ない」とだけ返されてしまった。


 そして私は、それなら「私にやらせてほしい」と無理を言ったのだ。包帯に薬を染み込ませながら替えることくらいなら、子供だった私にもできるはずだからと。


「君は優しく声をかけながら、とても丁寧に僕の包帯を替えてくれたんだ。普通なら逃げ出したくなるような僕の姿を見ても嫌な顔ひとつしないで、自分が汚れることも厭わずに」

「…………」

「泣きたくなるくらい、嬉しかった。人としての扱いをされたのは、生まれて初めてだったから」


 あの日の私ができたのは、たどたどしい手つきで包帯を替え、声をかけることだけだった。


 たったそれだけのことで、そんなにも喜ぶような人生をジェラルドは歩んでいたと思うと、視界がぼやけていくのが分かった。


「その後も一度、優しいセイディは僕の様子を見に来てくれたよね。僕のことを覚えていて、僕に会いに来てくれたのが本当に嬉しかったんだ。たとえそれが、同情や哀れみだったとしても」


 ──そうだ、あれからもその子のことが心配で、一ヶ月後にもう一度訪ねた覚えがある。


 すると多額の寄付金をしているアークライト伯爵家の娘である私の行動が、上の人間の知るところとなったようで、現場の人々はかなり叱られたらしい。


 その結果、彼に対する待遇はかなり良くなったと知り、安心した記憶がある。


「僕にとって君は何よりも眩しくて綺麗で、天使みたいだった。ずっと感謝を伝えたかったんだ」

「ジェラルド……」

「本当にありがとう、セイディ」


 声ひとつ発せず、包帯まみれで指先ひとつ動かせずにいたあの子が男の子なのか女の子なのかも、当時の私は分からなかった。


 それが目の前の彼だったと知り、言葉にできない感情で胸がいっぱいになっていく。


「私は、何も……っ」


 気が付けば両目からは涙が溢れ、私は堪えるように唇をきつく噛むと首を左右に振った。


 そんな私を見て、ジェラルドは眉尻を下げた。


「その後、奇跡的に適合する治癒魔法使いが現れて、病は完治したんだ。今の顔になってからは、呆れるほど周りも優しくなったよ」


 ジェラルドは自嘲したように笑ったけれど、瞳には悲しみの色が浮かんでいる。


「そしてすぐ、亡くなった息子に瓜二つだという理由で僕はフィンドレイ侯爵家に引き取られた。フィンドレイ侯爵家では亡くなった『ジェラルド』として扱われて、本当の僕なんて必要なかったんだ。あの家に必要だったのは、この顔だけ」

「そんな……」

「結局、誰も僕自身を見てくれやしない」


 ようやく長年苦しんだ病から解放されたというのに、そんなジェラルドを待っていたのは「死んだ人間の代わり」としての暮らしだったという。


 だからこそジェラルドが元の身体に戻って事情を説明しても、フィンドレイ侯爵夫妻は悲しむ素振りすら見せなかったらしい。


 あの家に必要なのは「息子に瓜二つの人物」であり、中身など些細な問題だからと。


 あまりにも不幸な彼の生い立ちに、私はもう言葉ひとつ発せなくなっていた。


「──でも、君だけは違う」


 ジェラルドはそう言うと、私の手をそっと握った。


「あんな姿の僕にもセイディは優しかった。『僕』を心配してくれた。僕にとって、君は光なんだ」


 眩しいものを見るような眼差しを向けられ、本気でそう思っていることが伝わってくる。


「それに元々、家族なんてどうでも良かったんだ。今更、血も繋がらない家族に愛されたいなんて思わなかったから」

「…………」

「引き取られた僕が唯一求めたのは、『セイディにもう一度会える立場』だった」


 ジェラルドのそんな言葉に、私は息を呑んだ。


 彼の言う通り、平民──それも孤児の立場では伯爵令嬢の私に会って話をすることなど、絶対にできなかっただろう。


「だからこそ、表に出るために必死にジェラルドに成り代わって貴族としての教養を学んだよ。そうして血の滲むような努力をして、ようやく君が参加するという貴族の子息子女が集まるパーティに参加することができた」


 私が七歳、ジェラルドが九歳の時、私が身体を乗っ取られる一ヶ月ほど前だったという。


「やっと会えたセイディは本当に綺麗で眩しくて、泣きたくなったよ。……けれど、君の隣には婚約者としてルーファス・ラングリッジがいた」


 ジェラルドは吐き捨てるようにそう言うと、片側の口角を上げた。


「もう一度君に会えるだけで良かった、お礼を言いたかっただけだった。でもその瞬間、僕の中に込み上げてきた感情は間違いなく『嫉妬』だった」



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