後悔の先に 3
数日後、俺は再びアークライト伯爵邸を訪れていた。
今セイディは眠っているらしく、案内されたノーマンの部屋にはエリザとティムの姿があった。
「セイディの調子はどうだ?」
「体調はかなり良くなったようです。ただ記憶の方は完全には戻っていないみたいで……」
俺の問いに、エリザが目を伏せながら答えてくれる。
日常生活に支障はないものの、以前よりもずっと口数が少なく、ぼんやりしていることが多いという。やはり様子を見つつ、まだ休んでいる必要があるだろう。
「ルーファス様こそ、こうして頻繁にいらっしゃって大丈夫なんですか?」
「馬車も普段とは別の物を使い、人目を避けている。父や周りには気付かれていないようだ」
「なるほど。お忙しいでしょうし、お身体には気を付けてくださいね」
「ああ、ありがとう」
ノーマンの気遣いに感謝する一方で、最近は騎士団や家の仕事により多忙を極めていた。
それでも、もう二度とセイディがあんな目に遭わないよう、俺にできることは何でもしたい。
彼女が望んでくれるのなら、少しでも側にいたい。そんな思いで睡眠時間を削り、こうして足を運んでいた。
「メイベルについて改めて調べてみたが、やはり何の動きもないようだった。誕生日パーティーで倒れた後は、ヘインズ男爵邸にて療養を続けているらしい」
苦しんでいるのかどうかすら、未だ分からないまま。
同じ薬を摂取し、すぐに解毒剤を飲んだセイディですらこれほどの影響が出ているのだから、無事だとはとても思えない。
それでもこちらからの連絡に対して何の反応もないのが、不気味で仕方なかった。そもそも、あの身体はエリザのものであり心配は尽きない。
別の人間と既に入れ替わっているとすれば、魔道具が壊れていないのも不可解だった。まさか本当に、まだ限界ではなかったとでもいうのだろうか。
「……これから一体、どうすればいいんだろうな。俺達にできることは限られているし」
ノーマンは目元を手で覆い、溜め息を吐いた。
「あなたの身体は無事なんだし、きっと私の身体だって実家の男爵邸で大切にされているはずよ。今はとにかくセイディの回復を待ちましょう」
「そうだな」
ノーマンの身体を奪った男については、フィンドレイ侯爵邸で安全な状態で監禁し続けていると聞いている。
先日様子を見に行ったタバサは、ケヴィンの屋敷の地下牢にて全く反省をする様子もないまま、呑気に過ごしていた。
「…………」
八方塞がりな現状に、無力な自分に苛立ってしまう。
くしゃりと前髪を掴むと、ティムが「そう言えば」とこの場に不釣り合いな、明るい声を発した。
「昨日もお嬢様、起きている間はルーファス様のお話ばかりされていましたよ。今までどんな風に一緒に過ごされていたかとか、たくさん聞かれました」
「私もルーファス様とのことばかり聞かれたわ。ふふ、やっぱり一番気になるのね」
ティムやエリザから生温かい視線を向けられ、落ち着かなくなる。
そんなにもセイディが俺を気にしてくれていると知り、嬉しさが込み上げてくるのが分かった。
そんな中ノック音が響き、セイディの侍女は静かに室内へ入ってくると、深々と頭を下げた。
「セイディお嬢様がお目覚めになりました。ぜひルーファス様にお会いしたいと」
「ああ、分かった」
俺は三人に帰りにまた顔を出すと告げ、見舞いの花を手にセイディの元へと向かった。
侍女に案内され部屋へ入ると、ベッドの上で身体を起こし、窓の外をぼんやりと眺めているセイディの姿が目に入った。
「ルーファス、来てくれたのね」
やがてこちらを向いた彼女の絹糸のような美しい銀髪が陽の光を受け、さらさらと揺れる。
俺はセイディの側へ向かうと、いつものようにベッドの側の椅子に腰を下ろした。
「ありがとう。今日も来てくれるなんて思っていなかったから、すごく嬉しい」
「迷惑じゃないなら良かった」
「もう、そんな訳ないよ」
柔らかく目を細め、喜色を顔に浮かべたセイディの顔色は先日よりも良く、少しだけ安堵する。
「調子はどうだ」
「体調はだいぶ楽になったけど、思い出せないことが多くて……みんなに迷惑をかけていないといいんだけど」
周りの人間については覚えているものの、ところどころ過去の出来事が抜け落ちているという。
やがてセイディは俺が持ったままだった花束へ視線を向けると、目を輝かせた。
「それ、私に?」
「ああ」
「ありがとう! 大切に飾るね」
渡すタイミングを失っていた花束を差し出せば、セイディは笑顔で受け取ってくれる。その際、手が触れ合い思わず手を離しそうになってしまう。
「ルーファスの手、すごく温かいね」
「…………」
「ルーファス?」
「すまない、少し考えごとをしていた」
だがセイディはというと、一切戸惑うことなく花束を引き寄せ、嬉しそうに花を見つめている。
同時に、再び違和感を覚えた。今までのセイディは、こうして手が触れ合うだけでも顔を赤らめ、照れたような様子を見せていたからだ。
「そう言えばね、昨日はエリザとハーラと──……」
ひとつひとつの引っ掛かりは些細なものでも、積み重なると胸騒ぎは広がっていく。
俺の勘違いだ、そうであってほしいと思っていても、頭の片隅でひとつの仮説が思い浮かぶ。
──十年間も入れ替わっていたことに気付けなかった俺の勘など、あてにならない。
何よりこんな疑問を抱くこと自体、セイディを何よりも傷付けてしまうのも分かっていた。
「…………」
最悪の展開を予想することばかりに慣れてしまったせいだと自身に言い聞かせていると、ふとベッドサイドのテーブルの上に置かれた、ネックレスが目に入った。
『もしかして、ルーファスも着けてくれるの?』
『嫌か?』
『ううん、むしろ嬉しい。本当にありがとう!』
これは以前、セイディと二人で出かけた際、雑貨屋で一緒に購入したものだ。色違いでセイディが赤色、俺が青色を持っている。
俺がネックレスを見ていることに気が付いたのか、セイディは「そのネックレス、ずっと身に着けていたみたいなの」と言うと、首を傾げた。
「ルーファスはこれ、知ってる?」
「……実は俺も、同じ色のものを持っているんだ。一緒に買いに行ったんだが、覚えていないか?」
気が付けば口からは、そんな嘘がこぼれていた。
──セイディを疑うのはたった一度だけ、これが最後だと決めて、彼女の反応を待つ。
やがて彼女は両手を合わせると「ああ」と微笑んだ。