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後悔の先に 2



 二日後、仕事を終えたその足で、再びアークライト伯爵邸へ見舞いに向かった。すぐにセイディの部屋に通され、静かにその寝顔を見つめる。


「…………」


 あれから何も手に付かず、寝ても覚めてもセイディのことばかりを考えている。


 ──なぜ、セイディがこんなにも辛い思いをし続けなければならないのだろう。誰よりも優しくて心の美しい彼女が、一体何をしたというのだろうか。


 そんなことを考えていると不意に、セイディの手が、ぴくりと動いた。


「セイディ……?」


 長い銀色の睫毛が揺れ、ゆっくりと瞼が開く。視線がこちらへと向けられ、目が合った。


 ようやく目覚めてくれたことで心底安堵した俺は、すぐに医者を呼ぼうと立ち上がった。


「大丈夫か? すぐに──」


 だがすぐに、行くなとでも言うように服の袖をそっと掴まれる。何か伝えたいことがあるのかもしれないとすぐにセイディに向き直ると、身体を支え起こした。


 やはり驚くほど軽く、胸が締め付けられる。


 何か言葉を発そうとしているセイディの口元に耳を寄せると、細く白い腕が首に回される。


「……っルーファス……怖かっ、た……」


 次の瞬間には、縋り付くように抱きつかれていた。


 静かにセイディの背中に腕を回し、震える小さな身体を抱きしめ返す。


「もう大丈夫だ、よく頑張ったな」

「……う……っ……」


 よほど苦しく辛い思いをしたのだろう。セイディが元の身体に戻ってからというもの、喜びや安堵以外の涙は初めて見た気がする。



 しばらくして落ち着いたらしいセイディは泣き止み、顔を上げた。


 青白い顔の中で、赤くなった目元がひどく痛々しい。

「もうルーファスに会えないかと思うと、怖くて……」

「何もできず、本当にすまなかった」

「ううん。こうして側にいてくれるだけで嬉しい」


 弱々しく俺の服の裾を握ったセイディを守りたい、彼女の苦しいことや悲しいことは全て取り払ってやりたいと、強く思う。


 それからは伯爵夫妻や医者を呼び、体調には問題がないことを確認し、胸を撫で下ろした。


「ですが、記憶が少し混乱しているようです」

「そんな……」


 医者の言葉に、伯爵夫人がふらりと倒れかける。すぐに伯爵が支えたものの、夫人と同じくらい真っ青な顔をしていた。


 エリザやノーマン、フィンドレイも戸惑いを隠せない様子だった。どうやら強いストレスやショックから、記憶の一部が失われることがあるという。


 内心は動揺していたものの、先ほど目覚めた時には俺の名前を呼んでくれていたことで、なんとか平静を装うことができていた。


 夫人はセイディの元へ行き、彼女の手をそっと両手で包み込む。セイディもまたその手を握り返すと、弱々しい笑みを浮かべた。


「私達のことは分かるのよね?」

「ええ。でも、思い出せないことも多いみたい……迷惑をかけるかもしれないけれど、よろしくお願いします」


 弱々しく頭を下げたセイディに、誰もが胸を痛めている様子だった。


「分からないことがあれば、何でも僕達に聞いて。セイディのためならどんなことでもするから」

「ジェラルド……ありがとう」


 治療法もなく自然と治るのを待つしかないようで、ひとまずゆっくり休むべきとのことだった。


「あの日のことはどれくらい覚えてる?」

「パーティーの最中、メイベルが──……」


 医者と伯爵夫妻は部屋を後にし、セイディはフィンドレイや友人達と話をしている。


 邪魔をしないようそっと立ち去ろうとしたところ、不意に手を掴まれた。


「……セイディ?」


 振り返ればセイディは寂しそうな、心細そうな顔で俺を見上げている。


「ルーファス……? どこへ行くの?」

「そろそろ仕事に戻らないと」

「私、ルーファスともう少しだけ一緒にいたい」


 セイディのそんな言葉を聞いて、一番に感じたのは喜びや嬉しさではなく、戸惑いだった。


 彼女は今まで、こんな風に無理を言うようなことはなかったからだ。


 とは言え、彼女の境遇を考えればもっと我儘になってもいいくらいだろう。何より、あんなことがあった後なのだから、不安になるのも当然だった。


「分かった、まだここにいる」


 了承し笑みを向ければ、セイディはホッとしたように微笑み「ありがとう」と俺の手を握る手に力を込める。


「僕達は下にいるから、何かあったら声をかけて」


 フィンドレイは気遣うような表情を浮かべ、エリザとノーマンと共に部屋を後にした。


 セイディに結婚を申し込んだと聞いていたが、その話が進んでいる様子はない。結局気になってしまい二人きりになった後、尋ねてみることにした。


「フィンドレイの前で、いいのか」

「どういうこと?」

「結婚を申し込まれたんだろう」


 その件に関しての記憶はあるようで、セイディは静かに頷く。


「ジェラルドにはきちんと断ったよ。それでも、これからも友達でいるって言ってくれたんだ」

「……そうか」


 思わず安堵してしまい罪悪感を感じつつ、まだ少し赤いセイディの目を見つめる。


 彼女もまた俺を見つめると、やがて眉尻を下げ、困ったように微笑んだ。


「もっと前に元の身体に戻れたらよかったのに。……そうしたらタバサが馬鹿なことをせず、ずっとルーファスの側にいられたかもしれないもの」


 まるで俺と一生を共にしたいと言っているように聞こえてしまい、心臓が跳ねる。


 セイディはそんな俺を見て「変なことを言ってごめんね」と照れたような様子で俯いた。


 今は父や周りの目のもあるため、こうして人目を避けて会いに来ることしかできない。


 それでもいつか必ずセイディ達が巻き込まれた事件の真相を表沙汰にし、その時に彼女がもしも望んでくれたなら、堂々と側にいたいと思っている。


「なるべく側にいるようにする」

「……ありがとう、ルーファス」


 セイディの小さな手を握ると、彼女もまた握り返してくれる。そしてふと、再び違和感を覚えた。


 だがそれが何故なのかは分からないまま、しばらく二人で他愛のない話をした後、またすぐに会いに来ると約束し、セイディの部屋を後にした。



 見送りは断り一人で廊下を歩いていると、エリザとノーマンと出会した。


「ルーファス様、お帰りですか?」

「ああ。セイディは少し休むそうだ」

「そうですか。セイディの様子はどうでした?」

「……少し──いや、何でもない」


 少しの違和感があったと言いかけて、口を噤む。


 いつも気丈に振る舞っているセイディだって、弱さを見せたりわがままを言ったりすることくらいはあるだろう。間違いなく俺の考えすぎだ。


 そう思っているのに、胸騒ぎは収まらないまま。


「なるべくずっとセイディの側にいてやってくれ。何か変化があれば、連絡してほしい」

「分かりました」


 またすぐに時間を作り、彼女の様子を見に来よう。

そして俺の方でも、様子が分からないというメイベルの様子を窺おうと決めた。



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