後悔の先に 1
アークライト伯爵邸から騎士団本部へ移動し、書類仕事を片付けていると、稽古を終えたらしいケヴィンがやってきた。
「ルーファス、なんだかご機嫌ですね」
黙って仕事をしていただけだというのに、そんなにも浮かれて見えるのだろうか。
少し照れ臭くなり、片手で口元を覆う。
ケヴィンはやがて「ああ」と何かを思い出したように、わざとらしく手のひらに拳を載せた。
「今日はセイディ様のお誕生日でしたか。無事に会えたようでよかったです」
「……ああ」
「幸せそうで何より」
「…………」
セイディの前でもだらしない顔をしていなかっただろうかと、不安になってくる。
──父や周りの目があるため、俺はセイディの誕生日パーティには参加できない。
そんな中、彼女の友人であるエリザとノーマンが、当日会える時間を作ってくれたのだ。
『もちろん会いにいくが、なぜ俺なんだ?』
『セイディが誕生日に一番会いたいのは、きっとルーファス様だと思いますから』
『は? そんなはずは……』
『いいえ、絶対にそうです。俺達はずっとセイディを側で見てきたからこそ、よく分かるので』
二人の言葉はにわかに信じがたかったものの、十年ぶりにセイディの誕生日を祝えるのなら何でも良かった。
プレゼントは悩んだ結果、花束とセイディが好きな花畑をイメージしたドレスを贈ることにした。
『……ルーファス?』
当日、セイディは俺が贈ったドレスを身に纏ってくれていた。
それだけでも嬉しくて仕方ないというのに、想像していた以上によく彼女に似合っており、本当に可愛くて眩しくて、ほんの少しだけ涙腺が緩んだ。
『ルーファスにお祝いしてもらえるのが、一番嬉しい』
ただ姿を一目見て、「誕生日おめでとう」と言えれば十分だったのに。そんな可愛いことを言われてしまっては我慢が効かず、気が付けば抱きしめてしまっていた。
セイディは小さくて細くて、驚くほど甘く良い香りがして、眩暈がする。この身体にどれほどのものを抱えているんだろうと思うと、胸が締め付けられた。
──同時に、どうしようもないくらいセイディが好きだと、改めて自覚する。
この後にパーティーを控えている彼女とは短時間しか共に過ごせなかったものの、俺にとっては十分すぎるほどだった。
「今頃はパーティを楽しんでいるといいですね」
「ああ」
十年間、セイディは誕生日を家族に祝われることもなく、ずっとあの場所で過ごしていたのだ。
どうかこれからは今までの分も両親や大切な友人達に祝福され、幸せな時間を過ごしてほしい。
そう、思っていたのに。
数時間後、俺の元へ届いたのはパーティーの最中、セイディが毒の入った酒を飲んで倒れたという信じられない報告で、頭が真っ白になった。
「セイディ!」
すぐにアークライト伯爵邸へと向かえば、そこにはベッドの上で眠る、セイディの姿があった。
その顔色はひどく悪く、青白い。表情も苦しげで、胸を抉られる思いがした。
「ルーファス様……」
「セイディは大丈夫なのか……?」
彼女の周りには、伯爵夫妻や友人達の姿がある。全員が悲痛な表情を浮かべており、エリザは消え入りそうな声で俺の名前を呟くと、目を伏せた。
「命に別状はないそうです。ただ、お医者様曰く、いつ目覚めるかは分からないと」
「……なぜ、こんなことになったんだ」
エリザの身体に入っていたメイベルも、同じ毒を口にしたと聞いている。
一体何があったのかと尋ねると、何故かノーマンとニール・バッセルは伯爵夫妻を連れてセイディの部屋を出て行った。
室内には意識のないセイディと俺、エリザ、ジェラルド・フィンドレイだけになる。
フィンドレイは今にも泣き出しそうな顔をして、セイディの手を握っていた。
「やっぱり、止めるべきだったんだ。こんなこと」
「どういう意味だ」
視線を向けると、フィンドレイは唇をきつく噛んだ。
何も言わない彼の代わりに、エリザが口を開く。
「……実はセイディが倒れるまでは、元々予定していたことだったんです」
「なんだと?」
それから今回の事態に至るまでの経緯を聞いた俺は、気が付けば拳を壁に叩きつけていた。
そんな行動を起こすほどセイディは追い詰められていたというのに、俺は呑気に彼女を祝い、浮かれていただけだったのだから。
セイディは俺に心配をかけまいと周りに口止めをしていたと聞き、余計にやるせなくなる。
『改めて、誕生日おめでとう』
『今日は本当にありがとう。気をつけて帰ってね』
『ああ。楽しんでくれ』
あの時、セイディはどんな気持ちだったのかと考えるだけで、泣きたくなった。
「なぜ、セイディがそんなことを……」
「自分が一番適任だからと……本来は後遺症のない薬だったはずなのに、手違いがあったのか、規定量よりも多く摂取してしまったようなんです」
すぐに解毒剤を飲ませてもセイディは苦しみ続け、目覚めないままだという。
「その上、メイベル側に動きがないんだ。あれ程の苦しみに耐えているなんて、信じられない」
フィンドレイは事前に同じ薬を一度飲んだらしく、こんなにも長い時間、とても耐え切れるようなものではないと断言した。
つまりメイベルはもう一度、魔道具を使って別の人間の身体に逃げた可能性が高い。だが、エリザもノーマンも元の身体に戻れていないまま。
「まさか、魔道具はまだ限界じゃなかったの……? あと一回で壊れると思っていたのに」
「分からない。とりあえず、様子を見るしかないよ」
ごめんねと意識のないセイディに声を掛けたフィンドレイの瞳からは、静かに涙が零れていく。
エリザも謝罪の言葉を呟き、両手で顔を覆った。
「………くそ」
今の俺は早く回復することを祈るしかできないと思うと、己の無力さに心底嫌気が差した。