知らない過去
しばらくして泣き止んだ私は、「出て行って」とジェラルドに告げた。けれどジェラルドは「ごめんね」と言うだけで、その場から動こうとはしない。
「……ジェラルドなんて、嫌い、大嫌い。もう顔も見たくないし、絶対に許さないから」
気が付けば私の口からは、そんな言葉が溢れていた。
誰かを嫌いだなんて言ったのは、生まれて初めてだったと思う。ジェラルドは傷付いたような表情を浮かべたものの、やがて困ったように微笑んだ。
「当然だよ。僕は嫌われて当然のことをしてる」
それでも、もう後戻りはできないのだと彼は言った。
「……ノーマン達も、元に戻っていないんでしょう」
「うん、そうだね」
「どうして? もう壊れるって言っていたのに」
限界が近づいているはずの魔道具を次に使った際には壊れ、全員が元の身体に戻れると思っていたのだ。
私とメイベルが入れ替わってなお、そのままだということにも疑問や焦りを感じていた。
ジェラルドは「ああ」と、思い出したように続ける。
「あまり詳しくは聞いていないけど、メイベルは魔道具の負担を軽くしたと言っていたよ」
「負担……?」
「メイベルはこれまで、魔道具を使って実験を重ねていただろう? 僕達がいたあの場所以外にも、入れ替えた人間同士を集めていた場所があったらしい」
以前、タバサも『メイベルが何人の人間を実験に使って、殺したと思う?』と話していたことを思い出す。
まさか私達以外にも、そんな人々がいたなんて。
「先日、そこで疫病が流行って大勢が死んだんだ。すると使う度に黒ずんでいた魔道具の輝きが少し戻ったことに、メイベルは気が付いた」
そんな言葉に、嫌な予感がしてしまう。
「──まさか」
「彼女はこれまで入れ替えた人間を全て殺し、その結果、予想通り魔道具は少しの力を取り戻した」
「っそんな……!」
あまりにも自分勝手で残虐な行為に、ぞくりと身体が震えた。今回の入れ替わりのために、一体何人の命が失われたのだろう。指先が冷えていき、息苦しくなる。
絶対に、許されることではない。
そして、そんなことを平然と話す彼はもう、本当に私の知るジェラルドではないのだと思い知らされた。
「それでも今回が本当に最後みたいだよ。魔道具も完全に黒くなって、形を保っているのがやっとらしい」
その話が真実なら、次こそ入れ替わりを行えば全員が元に戻れるはず。
けれどジェラルドがこうして裏切った以上、メイベルは今まで以上に警戒しているに違いない。そんな中で魔道具のありかを突き止めるなんて、不可能に近いことも分かっている。
それでも、諦められるはずなんてなかった。とにかく今、この場所から動けない私が出来るのは、少しでもジェラルドから情報を引き出すことくらいだろう。
そう思った私は両手をきつく握りしめ、色々な気持ちを押さえつけると、ジェラルドに向き直った。
「……婚約をした後も、私はずっとここにいるの?」
「そうだね。でも、すぐに結婚もするつもりだよ。そうしたらセイディを連れて、新居に移る予定なんだ」
ジェラルドは当たり前のようにそう言うと、形の良い唇で美しい弧を描く。
「一生、誰の邪魔も入らない僕とセイディだけの世界なんて、本当に夢みたいだ」
これ以上ないくらい、幸せだという表情を浮かべるジェラルドに、鳥肌が立つ。彼が私に向けている感情は、間違いなく愛なんかではない。
「ジェラルドは、それで幸せなの?」
「もちろん。僕の幸せは、セイディが側にいてくれることだから。君さえいれば他にはもう、何もいらない」
「…………」
──ずっと、気になっていた。彼にこんなにも好意を抱かれるようなことを、私はしたのだろうかと。
あの場所であの姿のまま、エリザやみんなと同じように一緒に生活をしていただけ。ジェラルドに対し、特別扱いをしたこともない。
「いつ、私を好きになったの」
「11年前、初めてセイディに会った時からだよ」
「えっ?」
私とジェラルドがあの場所で出会ったのは、間違いなく7年前のはず。彼があの場所に来たのは、私やエリザより3年遅かったのだ。
「僕はあの場所で会う前から、君を知っていたんだ」
「……うそ」
初めて聞く事実に、私は驚きを隠せない。
「ずっと、セイディが好きだった。けれど君の隣には、いつだってルーファス・ラングリッジがいた」
「…………」
「だからあんな場所であんな姿でも、あいつのいない場所でセイディと会えた時、本当に嬉しかったんだ」
混乱する私に、ジェラルドは続ける。
「あいつは入れ替わっていることにも気付かず、セイディを傷付けたのに。それでも君は──」
けれどそこまで言いかけて、彼は口を噤んだ。
「ごめん、少し喋りすぎたみたいだ。今日はそろそろ帰るよ。次に来る時、何か欲しいものはある?」
「エリザとノーマンには、これ以上何もしないで」
「もちろん、そのつもりだよ」
ジェラルドは「ごめんね」「大好きだよ」と言い、部屋を後にした。そんな言葉など、聞きたくはないのに。
「……本当に、どうしたらいいの」
息が詰まりそうだった私はベッドから立ち上がり、開くことのない窓辺へと向かう。じゃらじゃらと鎖の擦れる音がして、余計に頭がおかしくなりそうだった。
こちらから外の景色は見えるものの、外から中の様子は一切見えないようになっているらしい。
本当に何もかも徹底していると思いながら、青空の下を飛び回る小鳥をぼうっと眺めていた時だった。
見覚えのある家紋が描かれた馬車が、男爵邸の前に停まったのだ。心臓が、期待によって早鐘を打っていく。
「…………っ」
そして、その馬車から降りてきたのは見間違えるはずもない、ルーファスその人だった。