閉ざされた未来
エリザの身体で目覚めてから、三日が経った。私は部屋から一歩も出してもらえず、監禁状態にある。
広い部屋には風呂までついており、生活の全てがこの室内で完結してしまう。そのため、ドアには手の届かない距離の長さの鎖がついた足枷を、一度も外してもらえることはないまま。
「エリザお嬢様、お食事をお持ちいたしました」
食事は日に三度、豪勢なものが出てくるけれど、食欲なんてもちろんあるはずもない。
それでも、大事なエリザの身体なのだ。絶対に元に戻れると信じて、無理をして食事を口に運ぶ。
「男爵夫妻に話をしたいと伝えてほしいの。お願い」
「……申し訳ありません」
私専属のメイドが二人おり、身の回りの世話をしてくれているけれど、最低限の会話しかしてはくれない。
必死に私が色々と訴えても、痛ましいものを見るような目を向けられるだけだった。
──私は今、心の病という扱いを受けている。自身を別の人間だと信じ込んでいる、と思われているらしい。
入れ替わる前に、メイベルは自身が用意した暴漢に襲われ心に傷を負ったという状況を作っていたのだ。
その後、徐々にヘインズ夫妻や親しい使用人に、自分が自分でなくなるような感覚があると訴えかけていたという。
そして仕込みの医者の診断もあり、周りは本当にエリザが心の病を抱え、他人になりきることで自分を守っていると思い込んでいるようだった。
その結果、いざ入れ替わった私が「本当はこの身体の持ち主じゃない」と訴えても、誰ひとり聞く耳を持ってはくれなかった。むしろ病が悪化したと思われるだけ。
『君が入れ替わった、なんて言って騒いでも、男爵夫妻が余計に悲しむだけだよ。諦めた方がいい』
絶対に私がこの状況を抜け出せないという自信があったのだろう、ジェラルドは笑顔で何でも話してくれた。
以前お会いした男爵夫妻は、娘に足枷をつけて閉じ込めるような人達には見えなかった。だからこそ、二人に会った私は外すよう必死に訴えかけたのだけれど。
『もしも私が私でなくなってしまったら、どうかこの部屋からは絶対に出さず、お父様とお母様、そしてジェラルド様以外には会わないようにしてください。……皆様の記憶の中では、淑女の鑑と言われていた私のままでいたいのです』
心を病んだとなれば、若い貴族令嬢にとってはかなりの醜聞になる。それも誰もが憧れるエリザ・ヘインズとなれば、騒ぎ立てる者も出てくるはず。
だからこそ、過去のエリザにそう懇願され約束したのだと、男爵夫妻は涙ながらに話していた。
どこまでも用意周到で、言葉を失ってしまう。
ジェラルドのことについても、彼は私が知らないところでこまめにヘインズ男爵家に通い、エリザとお互いに想いを通わせていると見せかけていたのだという。
婚約もまもなく結ばれる予定で、夫妻は心を病んだエリザを変わらず支えようとするジェラルドのことを、かなり信用しているようだった。
私の誕生日パーティーもジェラルドが一緒だからと無理をして参加したものの、服毒したことで心身ともに限界を迎えた、というシナリオらしい。
「……どうしたら、いいの」
私の言葉を誰も信じてくれない上に、ここから出ることすら叶わないのだ。
そしてジェラルドがそんなにも前から私達を裏切るつもりでいたことが、何よりも悲しかった。
「今日は君の好きだったケーキを買ってきたんだ」
今日も昼食を終えた後、ジェラルドはやってきた。
毎日欠かさずに見舞いにくる彼は、周りの目には心を病んだ女性の元へ足繁く通う、優しい婚約者のように映っているのだろう。
何事もなかったかのように、今まで通り振る舞うジェラルドが怖くて仕方なかった。
「来月には、僕と君の正式な婚約が結ばれることになったよ。今の状態じゃ結婚式は難しいだろうけど、指輪はちゃんと用意するからね」
「…………」
「ああ、セイディの瞳の色と同じアメジストを使うのもいいな。最近は婚約指輪に、お互いの瞳の色の宝石を使うのが流行っているんだって」
ずっと無視をしているにも関わらず、ジェラルドは笑顔のまま一人で喋り続けている。ベッドに座ったままの私は俯き、ぎゅっとシーツを握りしめた。
「……みんなは、どうしてるの」
「やっと僕と話をする気になってくれた? 嬉しいな」
「…………」
「実は今日も、アークライト伯爵家に行ってきたんだ」
驚いて顔を上げれば、ジェラルドはくすりと笑う。
ベッドの側の椅子に座っていた彼は立ち上がると、私のすぐ側、ベッドの上に腰を下ろした。
「何もかもが今まで通りだったよ。誰も俺が裏切ったなんて気付いていない」
「そんな……」
「作戦は失敗に終わって、エリザがどうなっているのかは分からないまま。そんな中、メイベルが入ったセイディ・アークライトを、皆が大切に大切にしているよ」
頭を思い切り鈍器で殴られたようなショックが、全身を貫いた。
……きっと心のどこかで、家族や友人達は私が私ではないと気付いてくれると思っていたのだろう。
だからこそ、こんなにも絶望したような気持ちでいっぱいになっていると気付く。
「ああ、ルーファス・ラングリッジもだよ。毎日のようにメイベルの元を訪れているみたいだ」
「…………っ」
ルーファスも、私ではないと気付いてくれない。私の身体を使ってメイベルと彼が親密になってしまうことを思うと、どうしようもなく泣きたくなった。
足元が音を立てて崩れていくような感覚がして、視界がぼやけていく。私はこのままこの部屋に、この身体に閉じ込められたままなのだろうか。
やがてシーツを握りしめる手のひらに、ぽたり、ぽたりと涙がこぼれ落ちていく。
「泣かないで、セイディ。所詮その程度だったんだよ」
「……っう……ひっく……」
「僕なら絶対に、どんな君でも見つけられるのに」
ジェラルドはそう言うと私の手を取り、そっと薬指に触れた。まるで、そのサイズを確かめるかのように。