新しい日々
自分の身体に戻ってから、3日が経った。
両親に甘やかされ、何一つ不自由しない贅沢な暮らし。まるでここは天国かと思ってしまうほど、幸せだったけれど。
「…………うーん」
眠たくもないのにベッドに寝転がり、ごろごろとしてみていた私は、ゆっくりと体を起こし首を傾げた。
何もしない、働かないということが、これほどにも落ち着かないとは思わなかった。さっきだって、ついつい自室の窓掃除をしてしまい、メイドに慌てて止められたくらいだ。
夜眠る前だって「たっぷり昼まで寝よう!」と思っても、朝日が昇る頃にはぱっちりと目が覚めてしまうのだ。長年の習慣というのは、本当に恐ろしい。
美味しい物を色々と食べてみたいと思っても、長い間お腹いっぱい食べることなんて無かったせいで、ほんの少ししか食べられない。泣きたくなった。
そして何より、この10年間自由な時間なんて無かった私は、ゆっくりするということが上手く出来なかった。あれほどのんびりしたい、自由な時間が欲しいと思っていたのに。
ジェラルドに連絡してみようか悩んだけれど、今頃きっと家族とゆっくり過ごしているだろうし、やめておいた。
「ねえハーラ、すぐにでも家庭教師を付けてもらうよう、お父様に言って貰える?」
「かしこまりました」
両親からは何もしなくていい、ひたすらゆっくりするよう言われていたけれど、もう限界だった。普通の貴族令嬢というのは、一体どうやって暇を潰しているのだろうか。
それに私は今、17歳の貴族令嬢だというのに、最低限の読み書きしか出来ないのだ。最低限の知識や常識は身につけておきたい。貴族としてのマナーだってとっくに忘れてしまっており、一から学び直したかった。
それから小一時間ほど、両親の為に何かできることはないかと考えた結果、悲しいくらい得意になってしまった裁縫や刺繍を生かし、何か作って贈ることにしたのだけれど。
「ねえねえハーラ、私、外に出ても大丈夫かな?」
「外、ですか?」
「うん。ちょっとだけ、街中に行ってみたい」
雑貨屋に行って自分で糸や布を選びたいし、何より外の世界を見てみたい。とは言え、少し不安もあった。また見知らぬ人間に頭から色々かけられては、たまったものではない。
そして私が身体を奪われたのも、王都の街中だった。
とは言え、このままでは一生引きこもりになってしまう。私は気合いを入れると、出かける支度を頼んだのだった。
◇◇◇
「わあ……!」
馬車を降りた私は、子供の頃以来の王都の街中の景色と、行き交う沢山の人々を前に、ひどく浮かれてしまっていた。
ずっと私がいた場所は、見渡す限り畑しかなかったのだ。
右も左も分からない私のために、ハーラが付いてきてくれている。そして心配をしてくれた両親は、護衛を三人も付けてくれていた。一人はすぐ側に、残り二人は離れた場所から見守ってくれているそうだ。
布や糸を買い、ちょっと街中を散策するだけなのに、なんだか大事になってしまい申し訳なくなった。
「……ね、ねえ、なんだかとても見られていない?」
不意に足を止めると、私はハーラにこそっと尋ねた。
行き交う人たちの視線を、怖いほどに感じるのだ。それも平民らしき人々からも。私はこんなにも悪い意味で有名なのかと、不安に思っていたのだけれど。
「お嬢様がお美しいからですよ」
「そうです。絶対にそうです」
ハーラも、そして護衛であるティムもそう言ってくれた。ちなみにまだ、ふと鏡に映った自分と目が合うだけでびくっとしてしまうくらい、この姿には慣れていない。
ちなみに部屋にあったクローゼットを開けてみたところ、真っ赤で派手なドレスばかりだった。私はかなりの派手好きだったらしく、あの濃い化粧にも納得してしまった。
結局、身長が同じくらいだったお母様のシンプルなドレスを借りて着ている。メイド達も張り切って化粧をし、髪も綺麗に結ってくれた。私に対してあからさまに怯えていた子達も私の変わりようを見て、少しは安心してくれたようだ。
とにかく悪い意味ではないなら良かったと安堵し、私はハーラと腕を組むと、再び歩き出した。
「ふふ、とっても楽しい。二人ともありがとう」
屋台で売っていた王都の若者の間で人気だという、細かく切った果物が入った飲み物を片手に、街中を歩く。それだけで、楽しくて仕方なかった。
そんな私を見て、なぜか二人ともひどく悲しげな、痛ましげな表情を浮かべている。
「お嬢様、これからは楽しいことが沢山ありますからね」
「俺、お嬢様が楽しめることとか好きそうなこと、たくさん調べておきますから……!」
「本当? ありがとう!」
今日ついてきてくれた皆にも、お礼に何かプレゼントしたい。そう思った私は、糸や布を多めに購入したのだった。
その後買い物を済ませた私は、ふと見つけたカフェで少しだけお茶をしてから帰ることにした。
どうやら人気店らしく、店内はひどく混み合っている。席と席の距離も近く、ちらほらと貴族らしき人の姿もあったけれど、目が合っても特に何も起こらなかった。
雰囲気が変わりすぎて、遠目ではセイディ・アークライトだと分からないのかもしれないと、ハーラは言っていた。
ハーラのオススメで苺の乗ったケーキと紅茶を頼んだ後、ワクワクしながら待っていた時だった。
「わああああん!」
不意に、隣の席にいた女の子が大声で泣き出したのだ。
向かいに座る兄らしき男性は、ひたすらにオロオロとしている様子で。気になってしまった私は、つい声をかけた。
「どうかしたの?」
「ミ、ミミーちゃんの手、とれちゃった……」
なんと彼女の腕に抱かれた可愛らしいウサギの縫いぐるみの腕が、ぽろりと取れてしまっていたのだ。
「大丈夫だよ、お姉ちゃんが治してあげる」
「は?」
すると兄らしき男性が私の顔を見て、素っ頓狂な声を上げた。確かに突然、見知らぬ女にそう言われては驚くだろう。
「あの、私、裁縫がとても得意なんです」
ちょうど、裁縫道具も新しく買ったばかりで手元にある。針と糸を取り出した私を見て、女の子は恐る恐る私にぬいぐるみを手渡してくれた。年季が入っているものの綺麗で、とても大切にされているのがわかる。
私はすぐに針に糸を通すと、胴体と腕を縫い始めた。
「よし、できた」
我ながら、いい仕事をしたと思う。縫い目ひとつ見えず、無事にミミーちゃんの腕は綺麗にくっついている。
「はい、もう大丈夫だよ。ミミーちゃんも痛くないって」
「わあ……! すごい、魔法みたい! ありがとう!」
「ふふ、どういたしまして」
魔法みたいだなんて、子供らしい可愛いたとえだなあと思ってしまう。……あれ、魔法と言えば私は昔、魔法を使えた気がする。あの身体になってからはさっぱりだったけれど、もしかして今も使えたりするのだろうか。
そんなことを考えながらふと視線を移せば、兄らしき男性はぽかんと魂が抜けたような表情を浮かべ、私を見ていた。
「あの、すみません。勝手なことをしてしまって」
「……い、ぃや」
何故か彼の声はひっくり返っている。大丈夫だろうか。
「兄様はね、騎士団のふくだんちょうなんだよ!」
「わあ、それはすごい! 騎士様ってかっこいいよね」
「ねっ!」
そう嬉しそうに話す少女に、思わず笑みが溢れる。自慢の兄なのだろう。私に兄はいなかったけれど、あの場所では兄のように慕っている男性はいたから、気持ちは分かる。
「それにね、兄様はとっても強いんだよ。ね、兄様」
「あ、ああ……」
確かこの国の騎士団の人々は、日々危険な魔獣と戦い、私達の安全を守ってくれていたはずだ。感謝しなければいけないと、昔からお母様がよく言っていた。
「そうなんですね、いつもありがとうございます。これからも、お身体に気をつけて頑張ってくださいね」
もっと気の利いたことを言いたかったけれど、私はあまり難しい言葉を知らないのだ。今後は勉強を頑張らなければ。
すると私のそんな言葉に、何故か男性は「俺は夢でも見ているんだろうか……」と呟き、両手で頭を抱えたのだった。