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ルーファス・ラングリッジ



「ルーファス、飲み過ぎですよ。いい加減にしてください」


 夜会での婚約破棄から数時間が経ち、日付が回った頃。


 ラングリッジ侯爵家の一室にて、俺の向かいに座るルーファスはワインボトルを片手に、テーブルに突っ伏していた。


 既に何本もボトルが空き、ルーファスはひどく酔っている様子だった。元々酒が強い彼のこんな姿を見たのは、長い付き合いの中でも初めてで、流石に止めざるを得ない。


「うるさい、飲まないとやってられないんだ。……セイディは今頃、あのふざけた男と一緒にいるんだろうか」

「そうかもしれませんね」

「…………辛い」


 いつも落ち着き払っていて、王国最強と言われる騎士団長である彼が、今にも泣き出しそうな表情を浮かべ、スライムのように机にふにゃりと突っ伏しているのだ。こんな彼の姿を見たら、団員達は皆腰を抜かすかもしれない。


 やがてルーファスは顔を上げると、ボトルに残っていたワインを一気に(あお)り、ぽつりと呟いた。


「なあ、ケヴィン。しってるか」

「何がです?」

「……俺は本当に、セイディがすきだったんだ」

「あれに10年も耐えたんです、勿論知っていますよ」


 俺が彼の立場だったならば一ヵ月、いや数日で音を上げていたに違いない。そう思ってしまうほど、セイディ・アークライトという女は最低最悪の人間だった。


 それでもルーファスは、そんな女と10年間も婚約関係を継続し、数え切れないほどの我儘に付き合い、理不尽な暴言や男遊びにも耐えてきたのだ。


 その結果、調子に乗ったあの女はルーファスの婚約者の立場にあるのを良いことに、ラングリッジ侯爵家の名を使って犯罪まがいの事柄にも手を出した。


 すんでの所で、彼の父であるラングリッジ侯爵が異変に気付き事なきを得たものの、このままでは家名に傷が付くと、婚約破棄をするようルーファスに命じたのだという。


 その上、きっぱりと縁を切ったことを周りに示すために、侯爵の指示の下、あの公開婚約破棄が行われたのだ。


 ルーファス自身も、彼女に愛想を尽かしていたらしく「良い機会だ」「清々する」と言っていたのに。


「10年ぶりにルーファスって呼ばれて、あぶなかった」


 誰がどう見たって、目の前の男は未練たらたらだった。


 恋というものは本当に、人を愚かにするらしい。


 ルーファスは誰よりも聡明で冷静で、どんな過酷な状況でもその判断が間違っていたことなど今まで一度も無かった。……セイディ・アークライトに関することさえ除けば。


 新品のシャンパンボトルに伸ばした彼の手を掴むと、無理やり水の入ったグラスを持たせた。


「あの女の妄言に騙されて、婚約破棄を撤回しなくて良かったです。ほら、水を飲んでください」

「どうして、あんな人間になってしまったんだ……」


 信じがたい話だが、昔の彼女は誰よりも優しくて可憐な少女だったらしい。それなのにある日突然、彼女は別人のようになり、今のとんでもない性格に変わってしまったという。


「それにしても彼女、途中から妙にしおらしかったですね。あれだけ酷い目に遭わされれば、引っ叩いて罵って5倍返しくらいはすると思っていたのですが」

「……だから思わず、助けに入りそうになった」


 ぜんぶ俺のせいなのにな、なんて言って自嘲するように笑うと、彼はようやく水の入ったグラスに口をつけた。


 先程の夜会にて、ルーファスを慕う令嬢達によって飲食物を頭からかけられ、悲惨な姿になった彼女はまるで普通の令嬢のように驚き、戸惑ったような様子を見せるだけで。


 そればかりか「おいしい」なんて、訳の分からないことを言い出したのだ。俺の知っている彼女ならば怒り狂い、暴れるくらいの出来事だったというのに。


 今日の彼女は訳の分からない嘘をついたりと、本当に様子がおかしかった。悪女と言えど、ルーファスにまで見放されたのが、流石に堪えたのだろうか。


「貴方は優しすぎるんですよ」

「俺は、やさしくなんてない」


 ルーファスはそう言うと、片手で目元を覆った。


「本当に、すきだったんだ」


 テーブルに染みがひとつふたつ、出来ていく。


「いつか優しくてかわいい、あの頃の彼女のように戻ってくれると思ってた、のに」


 いつの間にかルーファスの初恋は、拗れ、歪んでしまったのだろう。10年という歳月は、あまりにも長すぎた。


 誰もが羨む地位や容姿、そして肩書きを持ったこの男があの女に執着する理由なんて、普通に考えればひとつもない。


 それでもまるで呪いのように、彼女の影はまだしばらくの間、ルーファスに付き纏うのだろう。


「優しくて可愛いセイディ・アークライトなんて、この世のどこにも存在しませんよ。いい加減、現実を見てください」

「……俺のこと、きらいになっただろうか」

「それはもう。彼女のことはいい加減忘れて寝てください」


 この期に及んで、彼女に嫌われてしまったかと気にするこの友人は、本当にどうかしていると思う。


「……どうしてこんなに、好きなんだろうな」


 終いには、そう呟いて眠ってしまったのだから、救いようがない。すでに過去形ではなくなっている。幸せな夢を見ているのか、その口元にはうっすらと微笑みが浮かんでいた。


 ──子供の頃、初恋の相手である婚約者の『騎士様ってとっても素敵、かっこいい』という言葉ひとつで、騎士団長にまで成り上がったなんて、誰が想像するだろうか。


 どうかこの真っ直ぐで優しい友人が幸せになれますようにと、祈らずにはいられなかった。



日刊総合一位、ありがとうございます!

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