分かっているはず
──どうして、こんなことに。ルーファスの柔らかな良い香りとお酒の匂いに、私まで酔ってしまいそうだった。
とにかく、この状況はよろしくない。そっと腕の中から抜け出そうとしたところ、よりきつく抱きしめられてしまう。
「あ、あの、ルーファス」
「かわいい」
「えっ?」
「セイディは、世界でいちばんかわいい」
「…………っ」
そんな彼の言葉に心臓が痛いくらいに早鐘を打ち、身体が熱くなっていく。
普段のルーファスは、絶対にこんなことは言わない。むしろ思ってすらいないだろう。私はほとんど飲んだことがないけれど、お酒がこれほど恐ろしいものだとは思わなかった。
翌朝後悔するのは、間違いなく彼の方だ。しっかりしている私がなんとかしなくては、と思っても、この状況ではどうすることもできない。
「ル、ルーファス、お水飲もう? だからそろそろ離し、」
「いやだ」
「えっ」
「こんな夢、きっと一生みられない」
どうやら、彼はこの状況を夢だと思っているらしい。今はもう、何を言っても無駄な気がしてきた。
このままルーファスが寝た後に、部屋へと戻ろう。そう決めて、私は身体の力を抜いた。触れ合っている彼の温かな身体からは、早い鼓動が聞こえてくる。
そもそも彼は、この状況が夢ならば覚めないで欲しいと思っているらしい。一体どうして、と思っていた時だった。
「好きだ」
そんな言葉が、頭上から降ってきたのだ。
突然のことに言葉を失う私に向かって、彼は続けた。
「ずっと、セイディが好きだった」
ひどく優しい、泣きたくなるくらい切ない声だった。
どうして、そんなこと言うのだろう。ふらふらと伸びてきたルーファスの手は、私の髪をそっと撫でていく。その手つきすら、まるで私のこと好きだと言っているようだった。
「う、うそだ」
「うそじゃない」
「……だって、」
「俺は死ぬまで、セイディしか好きになれないんだと思う」
プロポーズにも似たそんな言葉を囁かれた私はもう、限界だった。ドキドキしすぎてもう、訳が分からなかった。
悲しくもないのに、涙腺が緩んでいく。
「かわいい」
これは、全部お酒のせい。きっと、酔っているからだ。
「好きだ。愛してる」
だから、真に受けてはいけない。そう思うのに。
ルーファスの声があまりにもまっすぐで、優しいから。もしかしたら本当に、なんて考えてしまう私の心臓は言うことを聞いてくれず、ずっと早鐘を打ち続けていた。
◇◇◇
「……な、な、なん……!?」
「おはよう」
翌朝私は、ひどく慌てたようなルーファスの声で目を覚ました。いつの間にか、二人して眠ってしまっていたらしい。
昨晩はひたすら愛を囁かれ続けた上に、一晩中彼の腕の中にいたのだ。こうして至近距離でいるくらいではもう、動揺しなくなっていた。
けれど彼の方は違うらしく、飛び退くように私から離れると、真っ赤な顔をしたまま口元を手で覆っている。
「何故、俺、セイディ、こんな……」
もはや、まともに言葉を話せていない。ルーファスは本気で動揺しているようだった。
どうやら彼の方は、記憶がないらしい。この状況だけでこの慌てっぷりなのだ。彼にとっては忘れた方がいいだろう。
「昨日は酔い潰れかけたルーファスをアントンさんが部屋に運んでくれた後、心配でお水を渡そうとしたらその、抱きしめられて、そのまま寝ちゃったの」
「…………本当に、すまない」
即座に頭を下げたルーファスに顔を上げるよう言い、私は気にしていないからと笑顔を向けた。けれど彼はひどく後悔しているようで、この世の終わりのような顔をしている。
「他に、何もしていないだろうか。変なことを言ったり」
「何もなかったよ。すぐに眠っちゃったから」
「……そうか」
見るからにほっとした様子の彼に、やはり黙っていて良かったと思った。全てを話してしまえば彼はきっと一生頭を下げ、私とまともに口を利いてくれなくなるに違いない。
それから私は部屋へと戻り帰り支度をし、再びルーファスと合流して。気まずい雰囲気の中で二人で朝食をとり、馬車に乗り込んだけれど。
帰りの道中ずっと、私たちの間には何とも言えない空気が流れ続けていた。
帰宅後、家族に遅くなった理由を説明した後、エリザやノーマンの元へと向かう途中、廊下でティムに会った。
確か彼は、休みの日はお酒を飲みにいくのが趣味だと言っていた記憶がある。だからこそ私は、気になっていたことを彼に尋ねてみることにした。
「ねえ、ティム。お酒を飲んで酔ったら、その、みんな思ってもないことを言ったりするものなの?」
「と、言いますと?」
「好きでもない女性を、口説いたりとか」
「そりゃあもちろん、男はみんなそうですよ。飲み屋で酔って、その辺の女を口説くのが普通の流れです」
「……そう、なんだ」
どうやらあれは、普通のことらしい。ティムは当たり前のようにそう言った後、首を傾げた。
「いきなりどうしたんですか?」
「ち、ちょっと気になっただけ! 何でもない!」
それだけ言うと、私は逃げるようにその場を後にした。背中越しに、戸惑ったようなティムの声が聞こえてくる。
そうして適当に突き進んだ先にあった柱の影に背を預けると、私はずるずるとその場に蹲み込んだ。
──あれは全部、お酒のせいだった。少しでも勘違いをしてしまった自分が恥ずかしい。
「……私の、バカ」
それなのに、思い出すだけでも泣きたくなるくらいにドキドキしてしまう。「好きだ」「愛している」という彼の声が、耳から離れない。
ルーファスのことがずっと、頭から離れなかった。
彼はお酒に酔ってしまったら、他の女の人にも同じことを言うのだろうか。何故かそれだけは、絶対に嫌だと思ってしまう。
心のどこかでショックを受けている自分には気づかないふりをして、私は熱を帯びた顔を両手で覆った。




