過去
「ノーマンという男は、どんな容姿なんだ?」
「がたいの良い、黒髪で髭面の中年男性なんだけど……」
「分かった」
一瞬にして隣国に到着した後、私達はロイド様に頂いた地図を片手に馬で移動していた。一人では馬に乗れないため、私はルーファスと一緒に乗せてもらっている。
かなりのスピードで走って行くため、最初はとても怖かったけれど。ルーファスに「俺がお前を落とすわけがないだろう」と言われた途端、不思議なくらい恐怖心は消えていた。
「その男性を助け出したら、すぐに脱出を?」
「エリザという友人がいるかどうかも、確認したいの」
「……エリザ?」
「うん」
エリザのことは、何も分かっていない。それでもきっと、あの場所に行けば分かるはずだ。私達がまだ知らないだけで、彼女も元の身体に戻っていて幸せに暮らしていると信じたかった。
あの施設自体が、違法な物なのか私には分からない。中には、犯罪を犯して奴隷となった人間もいたのだ。とにかく今日のところはノーマンだけを救い出し、後日ルーファス達が調査してくれることになった。
空が赤く染まり始めた頃、やがて見えてきたのは見覚えのある景色だった。私が、人生の大半を過ごした場所だ。
──本当に、辿り着けた。ここで暮らしていたのはたった数ヶ月前のことなのに、遠い昔のことのように感じられる。
「…………っ」
同時に、辛かった日々を思い出し悔しさや悲しさで泣きたくなったけれど、今は泣いている場合ではない。ノーマンは今現在も、ここで暮らしているのだから。
馬を少し離れた場所に繋ぐと、私達は徒歩で向かうことにした。何もないあの場所で、馬は目立ちすぎる。
まず見えてきたのは、広い畑だった。皆、ボロボロの布を身に纏い、必死に農作業をしている。やるせない気持ちになりながらも、ノーマンの姿を探していく。
「……奴隷の、強制労働施設ですか?」
「そんなところだと思います」
その光景を見た二人は、眉を顰めた。見ていて気分が良くなるものではないだろう。ずっと同じことをしていた私ですら、心がずしりと重たくなって行くのを感じていた。
時間的に、男性達もそろそろ畑仕事を終えるはずだ。女性達は既に切り上げて、夕飯の支度をしているに違いない。
「……見つけた」
そして彼の姿を見つけた私の瞳からは、一筋の涙が零れた。慌てて服の袖で拭い、二人に伝える。
ノーマンが、生きている。それだけで本当に嬉しくて、心の底から安堵した。けれど私達が家族と再会し今の暮らしをしている間もずっと、彼はこの暮らしを続けていたのだと思うと、ひどく胸が痛んだ。
「本当に、無事で、良かった……」
「あちらの男性ですね?」
「っはい、そうです」
ケヴィン様は、深く頷いてくれた。
「俺が彼を連れ出します。その間、お二人はエリザさんを」
「わかりました、よろしくお願いします。あと、彼が付けている首輪には気を付けてください。見張りに見つかったり、施設外に出ると電流が走るので」
「はい、気を付けますね」
ケヴィンなら絶対に大丈夫だと、ルーファスは声をかけてくれて。その言葉に私もまた頷くと、二手に分かれた。
ルーファスと二人で移動していた私は、まず近くにあった私達が使っていた小屋を覗いたけれど。冷え切った夕食が並んでいるだけで、誰の姿もなかった。
「ここにいないってことは、南の方かな」
もうすぐ、日が暮れてしまう。急いで向かう中、ルーファスは「あれが、食事なんだろうか」とぽつりと呟いた。
「うん。あの小さい器に、スープは一杯しかもらえないの。でもパンが硬すぎて、割とお腹いっぱいになるんだよ」
彼からすれば、あんなものが食事だなんて信じられないのだろう。色々と説明していく私を見て、彼は不思議そうな表情を浮かべている。
「やけに詳しいな」
「うん、10年間ここで暮らしてたから」
何気なくそう伝えれば次の瞬間、ルーファスの顔から、すとんと表情が抜け落ちた。
「…………は?」
「あの、前に身体を奪われていたって言ったでしょう? その間、ずっとここで奴隷と一緒に働かされていたの」
ぴたりと、足が止まった。つられて私も歩みを止める。
「……君が、こんな場所であんなものを食べて、先程の人間達のように働いていたと?」
「そうだよ」
「10年間、ずっと?」
「う、うん。あのパーティの最中に、急に元に戻ったの」
するとルーファスは、片手で口元を覆った。
「俺は、なんてことを……」
「えっ?」
どうやら彼は、自分を責め始めているようだった。今にも死んでしまいそうなくらい、その顔色は悪い。
「私の話、信じてくれるの?」
「……ああ」
「ありがとう。それにルーファスは何も悪くないから、気にしないでほしい」
「悪くないはずが、ないだろう……!」
本当に、彼は悪くない。10年もの間、私がしてきたことを思えば、当然のことだと思う。
あんな状況で「身体を奪われていた」なんて話を信じる方がどうかしている。きっと私が同じ立場だったところで、聞く耳も持たなかっただろう。
けれど彼は誰よりも優しい人だから、気にせずにはいられないのかもしれない。
「その、とにかく気にしないでほしいな。行こう?」
そう声をかければ、彼はすまない、とだけ言って暗い表情のまま再び歩き出した。途中、数人の見張りに出会したけれど、彼らが声を出す前にあっという間にルーファスが倒してくれて。彼の強さに、私は驚きを隠せずにいた。
「あとは、居るとしたらここなんだけど……」
彼女がいつもこの時間帯に料理をさせられていた小屋のドアを、そっと開けてみる。もちろん、元の身体に戻れているのが一番いいのだ。彼女の姿がないことを祈った。
心臓が早鐘を打っていくのを感じながら、ルーファスと共に中へ入っていく。すると不意に、声がして。
「……あの、どちら様ですか……?」
やがて棚の陰から顔を出したのは、エリザその人だった。




