いつか、きっと
ロイド・ブリック様からは、すぐに返事がきた。そこにはお手本のように美しい、けれど男性らしさも感じられるような字で、いくつかの彼の空いている日程と、久しぶりに会えるのを楽しみにしているという言葉が綴られていた。
急いでペンを手に取り、一番近い日を指定して返事をした結果、三日後、彼の職場である王城の一室にて会うことになった。安全面で考えても、王城なら安心だろう。
そして当日、私はいつものようにティムや他の護衛達と共に家を出た。王城へ行くのは舞踏会以来だ。
王城内には、ティムだけを連れていく。到着後は、以前仕事の関係でよく此処へ来ていたという彼に案内してもらい、まっすぐに目的地である応接間に辿り着くことが出来た。
「お久しぶりです、セイディ様。とても雰囲気が変わられましたね。落ち着いた感じも素敵です」
やがて対面したロイド様は、澄んだ空のような瞳を柔らかく細め、ふわりと微笑んだ。その表情や物腰はとても穏やかで、人の良さが滲み出ている。
話に聞く私とは、まるで正反対のように見えた。だからこそ、私が目の前の彼のことを好いていたなんて、正直信じられない。
彼は手ずから紅茶を淹れてくれ、可愛らしいお茶菓子も勧めてくれた。ティーカップに口をつけてみると、とても良い香りがして、驚くほど美味しい。
「突然のことにも関わらず、こうしてお時間を割いて頂きありがとうございます」
「いえ、大丈夫ですよ。何かありましたか?」
私はそっとカップを置き、彼へと視線を移した。
「……実は先日、事故に遭ってしまってからというもの、記憶が曖昧なんです」
「そんなことが……お身体の方は大丈夫なんですか?」
「はい、お陰様で。それで、過去の私を知る方からお話を聞いて回っていて、ロイド様を訪ねてみたんです」
正直に身体を乗っ取られていたなんて話をしたところで、家族や身近な人以外には信じてもらえない。そのことを痛い程学んだ私は、そんな作り話をすることにした。
これでも少し無理があるかなと思っていたものの「だから話し方や雰囲気が大きく変わったんですね」と納得してくれたようで、ほっとする。
「僕について、何か覚えていることは?」
「全く覚えていなくて……すみません」
「謝らないでください、大変なのはセイディ様ですから。それでは改めて、自己紹介からさせて頂きますね」
彼は軽く頭を下げて見せると、柔らかく微笑んだ。
「僕はロイド・ブリックと申します。隣国であるオリシア王国の出身で、十五の時にこの国に来ました」
「隣国から……」
「ええ。それも、元々は平民でして。田舎で泥だらけになりながら、農作業をして育ちました」
「そうなんですか?」
「はい、今はブリック男爵家の養子ですが」
元々貧しい家に生まれた彼は、幼い頃からボロボロの本をかき集めて必死に勉強し、能力さえあれば身分など関係なく重用されるこの国へとやってきたのだという。
そして今、こうして文官という役職に就くまで彼は、私が想像もつかない程の努力をして来たのだろう。それでも彼はひたすらに謙虚で、飾らない人だった。そんな所に、私も惹かれていたのだろうか。
「セイディ様はいつも、僕を褒めてくださっていたんです」
「えっ?」
「環境に囚われずに、自身の力で今の地位を得た僕は本当にすごいと、いつも言って下さっていました」
「……そう、だったんですね」
私がそんなことを言っていたなんて、正直信じられない。それから彼からは色々な話を聞いたけれど、周りから聞く私と、彼から聞く私はまるで別人のようだった。
結局、手掛かりになるような話はなかったけれど。それでも、私という人間が少しだけ見えたような気がして、決して無駄足ではなかったと思えた。
「何かあればまた、いつでも声を掛けてくださいね」
そして私はロイド様に丁寧にお礼を言い、応接間を後にしたのだった。
◇◇◇
これからどうしようかと考えながら、王城内の廊下を歩いていると、前から背の高い男性が歩いてくるのが見えた。
「あ、ルーファス様ですよ」
「えっ」
なんだかルーファスによく似ているな、とは思っていたけれど、まさか本物だなんて。かなり視力の良いティムがそう言うのだ、間違いないだろう。
だんだんと距離が縮まり、はっきりとその顔が見えた。
彼もまた私の存在に気が付いたようで、驚いたような表情を浮かべている。その顔には、疲れが色濃く見えていた。やはり教皇様が亡くなったことで、彼の生活や暮らしにも変化が出ているのかもしれない。そう思うと、胸が痛んだ。
挨拶もしない方が良いと思ったものの、辺りには人気がなかったせいか、彼の方から声を掛けられた、けれど。
「違うんだ」
「えっ?」
「先日のは、違うんだ。別にお前と、話をしたくない訳じゃない。言い方が悪かった」
突然、焦ったようにそう言われ、戸惑ってしまう。
けれどすぐに、エリザの誕生日パーティーにて「たまに話をする関係でいたい」と伝えたことに対して「嫌だ」と言われたことを言っているのだと理解した。
「それなら良かった。ありがとう、ルーファス」
「……ああ」
こうして開口一番に言うくらいだ、ずっと気にしてくれていたのだろう。やはり、彼はとても優しい人だ。
「ここで何を?」
「ロイド様に会いに来たの」
そう答えると、ルーファスは見るからにショックを受けたような表情を浮かべて。けれどすぐに、彼は何故か自分の頬を思い切り叩いた。大丈夫だろうか。
そしてじっと私の顔を見つめると、眉を顰めた。
「何か、あったのか」
「えっ?」
「表情が暗いように見える」
常に笑顔を浮かべているつもりだったのに、どうやら彼には見抜かれてしまっていたらしい。
まさか友人が死んでしまうかもしれないだなんて、突拍子もない話を出来るはずもなく。ただでさえ大変な状況にある彼に、心配をかけたくなかった私は「昨日夜更かししちゃって、寝不足で」と誤魔化したけれど。
彼は真剣な表情を浮かべ、私を見つめたままで。
「……本当に困った時には、俺を頼って欲しい」
「ルーファス……?」
「絶対に、力になるから」
やがて告げられたそんな言葉に、泣きたくなった。
……どうしてルーファスは、こんなにも優しいんだろう。私は長年、彼を傷付けてきたはずなのに。
そんなことを考えている間に、ルーファスは「またな」とだけ言い、歩いて行ってしまう。どんどん小さくなっていく彼の背中に、慌てて「ありがとう!」と声を掛ける。
すぐにその姿は見えなくなり、胸が温かくなるような嬉しさと、何故か寂しさのようなものが胸に残った。
「……迷惑じゃ、ないのかな」
「あそこまで言ってるんです、大丈夫ですよ」
「本当に?」
「はい。それに男ってのは、無理をしてでも守りたいものがひとつくらいあるんです」
ティムにもあるのかと尋ねたところ「うーん……あ、勿論お嬢様です!」との返事が返ってきた。なんだか怪しい。
「……守りたい、もの」
これ以上迷惑を掛けてはいけないとわかっていても、私はいつかきっと、彼を頼ってしまう。そんな気がした。




