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セイディ・アークライト 1



「っお父様……お母様……!」


 10年振りに我が家に足を踏み入れた私は、遠い過去の記憶を辿りながらまっすぐ広間へと向かう。


 するとそこには、見間違える筈もない両親の姿があって。いつの間にか私の瞳からは、涙が溢れ出していた。


 この10年間、辛い時にはいつも大好きな両親のことを思い出し、耐えてきたのだ。ずっとずっと、会いたかった。


「セイディ? どうしたの急に……それにその姿……!」


 突然広間に飛び込んできて大泣きし始めた、びしょ濡れの私を見て二人はひどく驚き、戸惑っている様子だった。


「わ、私です……私、セイディなんです、」

「ええ、知ってるわ。私達の娘よ」

「っ違うんです、ずっと、10年前の夏から、身体を乗っ取られていて、さっき、もどってきたんです……」


 きちんと順を追って説明しようと思っていたのに、いざ二人を目の前にすると、嬉しさとか悲しさとか寂しさとか、いろんな感情がごちゃ混ぜになって上手く言葉が出てこない。


 けれど「10年前の夏」というその言葉を発した途端に、両親の目がひどく驚いたように見開かれた。もしかすると、二人にも思い当たることがあったのかもしれない。


 様子のおかしな私を見て、慌てて駆け寄ってきてくれた二人は、記憶の中の姿よりも老け、(やつ)れきっていた。


 あの日から、本当に10年も経ってしまっていたんだと改めて実感する。もう二度と埋められないその時間を想うと、余計に涙が止まらなかった。


「初めまして。僕はジェラルド・フィンドレイと申します」

「もしかして、フィンドレイ侯爵家の……?」

「はい。実は僕も、彼女と同じ事件の被害者の一人です。彼女が身なりを整えている間、僕の話を聞いてくれませんか」


 もはや喋れないほどに泣いてしまっている私の代わりに、ここまで付き添ってくれていたジェラルドが、両親にそう言ってくれた。彼だって私と同じ状況でひどく戸惑っているはずなのに、自分の事よりも私を優先してくれているのだ。


 その優しさに、やっぱり涙が出た。


「分かりました。とりあえず、そちらにお掛けください。セイディ、お前はゆっくりで良いから支度をしておいで」

「はい……っジェラルド、あ、ありがとう……」

「いいんだ。腰の悪い僕の分まで君には毎年、沢山芋を掘ってもらっていたから」

「そ、そんなこと、いいのに……!」


 彼は昔から、誰よりも優しくていい子だった。それに私達はずっと、お互いに助け合い必死に生きてきたのだ。お礼を言われるようなことなど何もない。


 けれど今のびしょ濡れで、ベタベタドロドロの悲惨な状態では、流石にお言葉に甘えたい。そうして私は急いでシャワーを浴び、着替えを済ませることにしたのだった。




◇◇◇




「……私、こんな顔になってたんだ」


 ようやく泣き止み、ドロドロになった化粧を落とした後、湯船に浸かりながら手鏡を覗き込んでみれば、思わず見惚れてしまうくらい綺麗な顔をした女性が映っていた。


 最後にこの身体だったのは、7歳の頃だ。17歳になった私は、想像していたよりもずっとずっと、成長していた。


 それにしても先程までの私は何故、あんなにも濃い化粧をしていたのだろう。絶対に、このままの方が良いのに。


 自分だと分かっていても、()()()の体のほうが長すぎて、なんだか他人を見ているような気分が抜けず、他人事のようにそう思った。


「はー……」


 それにしても、温かい湯船になんて浸かったのはいつぶりだろうか。気持ち良すぎて天にも登れそうだ。ちなみに支度をしてくれたメイド達には、一度退出して貰っている。


 なんだか無性に、一人になりたい気分だった。


 そうしてうーん、とゆっくり手足を伸ばしていると、不意にノック音が響いた。


「セイディお嬢様、失礼します」

「あ、はい」


  そう返事をしてドアへと視線を向けると、やがてメイドが一人、浴室内へと入ってきた。


 彼女の焦げ茶色の髪、そして髪と同じ色をした柔らかな眼差しには、ひどく見覚えがある。


「……あの、もしかして」

「はい。お嬢様、ハーラです」


 ハーラは私が生まれた頃からずっと一緒だった、私専属のメイドだった。私は彼女のことを昔から姉のように慕っていて、大好きだった記憶がある。


 彼女とこうして再会出来たことが嬉しくて、再び視界がぼやけていく。するとそんな私を見て、ハーラもまた瞳に大粒の涙を溜め、私の手を取った。


「本当に、お嬢様なのですね……」

「うん、っ私だよ……!」


 どうやら彼女もここに来るまでの間に、軽く事情を聞いてきたようだった。あんな突拍子もない話を信じてくれたことが、何よりも嬉しい。


 それからは彼女に丁寧に支度をしてもらいながら、両親や()についての話を聞いていたのだけれど。


「つ、つまり、私は最低最悪の人間だったってこと?」

「……はい。稀代の悪女、と呼ばれていたようです」

「あ、あくじょ」


 そう、話を聞けば聞くほど、この10年間の私はとんでもない人間だった。身分が低い者は人間扱いせず、湯水の如く伯爵家のお金を使い、ルーファスという立派な婚約者がありながら男遊びをし続けていたとか。


 この家の使用人たちにも、よく当たり散らしては手をあげていたらしい。そのせいで入れ替わりも激しいという。


 一介のメイドが知る情報でこれなのだから、噂好きな貴族だらけの社交界になんて、二度と顔を出したくない。


 先程のパーティー会場での、ルーファスやその周りにいた人々の様子にも頷ける。当然の反応だった。


「これから、どうすればいいの……」


 家族やハーラとは違い、世の中の人々が皆「実はずっと身体を奪われていました、今までの私は本当の私ではないんです!」なんて馬鹿げた話を、信じてくれるはずがない。


 私はこの先ずっと、悪女というレッテルを貼られたまま生きていかなければならないのだろうか。10年間、あんなにも辛い思いをしていたというのに、本当に酷い話だ。


 そして、どうしても気になったことがあった。


「その、男遊びって……ええと、なんていうか、全部……」

「その点は心配ないと思います。『初めてはルーファス様にとっておくから、安心して』と旦那様や奥様、そして私達の前で、ルーファス様ご本人によく言っていらしたので」

「うわあああ……」


 うまく言葉にできなかったものの、ハーラはしっかりと察してくれたらしい。それにしても婚約者がありながら堂々と浮気をしておいて、本人だけでなく家族や使用人の前でそんな言い方をするなんて、本当に信じられない。


 話を聞けば聞くほど、目眩がした。昨日までの私は、間違いなく正気ではない。


「ねえ、そんな私に対してルーファスはどうしていたの?」

「……いつも『もう止めてくれないか』と一言だけ言って、じっと何かを堪えるように俯いていらっしゃいました」

「そう、なんだ」

「はい。私達にも気遣って下さる、とても素敵な方でした」


 そんなハーラの話に、自分がしたことではないけれど、あまりの申し訳なさに胸が痛んだ。この10年間で、一体どれだけ彼は()に傷付けられたのだろうか。


 きっともう一度事情を説明したところで、私なんかの話など聞いてもくれないだろうし、信じてもくれないだろう。


 それに二度と顔を見せるなと言われたのだ、ひっそりと彼の幸せを祈ることくらいしか、私にはもう出来ない。


「出来ました。やはりお嬢様は世界一、お綺麗です」


 そんなハーラの声によって顔を上げ、目の前の鏡を見つめる。するとそこには、先程手鏡で見た時よりも更に綺麗な顔をした女性が映っていた。なんだかお姫様みたいだ。


 これが自分だなんて、本当に信じられない。昨日までの私は、日に焼けて浅黒い肌にそばかすだらけの顔、そして細くてきつい目をした、中年女性の姿だったのだから。


「ハーラ、どうもありがとう。広間へ戻るね」

「……はい。どういたしまして」


 そして私は軽く両頬を叩いて気合を入れると、両親とジェラルドが待つ応接間へと向かったのだった。



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