優しさの行方
「ノーマンが、嘘を……?」
「多分だけどね」
ニールはそう言うと、給仕から受け取ったばかりの二杯目のシャンパンに口をつけた。ちなみに私はあまりお酒が強くないようで、先ほどからちびちびと少しずつ飲んでいる。
「ノーマンは、俺達と大差ない年齢だったと思うよ」
「えっ?」
「会話していても、とても5つも歳上とは思えなかったし。まあ突っ込む理由もないから、何も言わなかったけど」
「なんで、そんな嘘を……」
思わずそう呟くと、ニールは眉尻を下げた。
「君達を、安心させる為じゃないかな」
そんな答えに、私は言葉を失ってしまう。
「弟や妹が多いって言ってたし。そんな嘘をついてでも、君やエリザを安心させたかったんだと思うよ」
「そんな……」
私があの場所に行ってすぐ、ノーマンは俺達がついてるから大丈夫だと慰めてくれた。自分は皆より年上だから安心して頼ってと、いつも言ってくれていたのだ。
もしかすると彼も当時、10歳にも満たない子供だったと思うと、泣きたくなった。一番最初にあの場所に行った彼こそ、誰よりも怖く寂しく、辛い思いをしていたはずなのに。
「っノーマンは、優しすぎる……」
私はノーマンが大好きで、そして彼に誰よりも甘え、頼ってしまっていたと思う。
だんだんと視界がぼやけてきて、私は慌てて唇を噛んだ。こんなところで泣いては、ニールにも迷惑をかけてしまう。ニールはそんな私の背中を、とんとんと叩いてくれた。
「家族構成的にも、一つ年上のノーマン・ボーウェンが怪しいと思ってるんだ。彼に接触してみようと思ってる」
「うん、分かった」
「俺もしばらく、王都に滞在する予定だからさ」
そして近日中に、ジェラルドと三人で会おうと約束した。早く5人で会える日が来るといいね、と二人で話していると不意に、透き通るような声が私を呼んだ。
「ふふ、ここにいたのね。そちらは?」
そこにいたのは、エリザだった。花のような笑みを携えた彼女の視線は、まっすぐにニールへと向いている。
「ニール・バッセルです。初めまして」
「もしかして、辺境伯の? お初にお目にかかります、エリザ・ヘインズと申します」
思わず見惚れてしまうような綺麗な礼をすると、エリザは私にぎゅっと抱きついた。彼女からは酔ってしまいそうなくらいに甘い、良い香りがした。
「こんな素敵な方とお知り合いだったなんて。羨ましいわ」
「う、うん」
「私とも、仲良くしてくださいね」
「ええ、勿論です」
そしてエリザは、またすぐに他から呼ばれ「また後で」と言い去っていった。また後でと言われてしまったけれど、私はそろそろ帰ろうかと思っていたくらいだ。
気が付けば結構な時間が経っていて、ちらほらと会場を抜け出していく人々もいる。
「あの子も、エリザなんだ」
「うん。ジェラルドは怪しいって言ってた」
「ふうん」
ニールは少し離れたところで、沢山の人に囲まれている彼女をじっと見つめていた。
「私はそろそろ帰ろうかと思うんだけど、ニールは?」
「今後の為にも、もう少しだけ挨拶回りでもしようかな。俺の顔すら知らない人間が多すぎるからね」
「分かった。王都にいる間、どこに連絡すればいい?」
「滞在先は……」
そしてニールと別れた後、私も彼を見習ってもう少し挨拶なんかを頑張ってみようかと思ったけれど。私が近づくだけで皆すーっと離れていく為、早々に諦めた。
そのまま会場を出て、長い廊下を歩いていく。本当に参加をしただけだったけれど、ニールに会えて良かった。
そんなことを考えながら歩いていくと、不意に廊下の角でばったりとルーファスに出くわした。
「ご、ごめんね」
「……ああ」
それだけ言うと、彼はスタスタと歩いて行ってしまった。仕方ないこととは言え、少し寂しい気持ちになる。あんな事にならなければ今も、彼と仲良く過ごせていたのだろうか。
そんなことを考えながら再び歩いていると不意に「すみません」と、見知らぬ男性に話しかけられた。どうやら舞踏会に参加していた貴族令息の一人のようだ。
「どうかしました?」
「貴女のことをずっと綺麗だなと思って見ていて」
「えっ」
「良かったら少しだけ、話をしませんか」
もしかしなくても私は今、口説かれているのだろうか。私がセイディ・アークライトだと知った上で声をかけてきたのだとしたら、かなり勇気のある人だ。
けれど私は今、彼と話をするつもりはない。ティムに教わった通りに丁寧に断ると突然、腕をきつく掴まれて。耳元で「本当は遊んでるんだろ?」なんて言われてしまった。私よ、本当にいい加減にして欲しい。
離してくださいと言っても、離してくれる様子はない。近くにいる人々も皆、見て見ぬふりをしているようだった。仕方ないことだと分かっていても、悲しくなってしまう。
そんな中、どうしようかと思っていると突然、私を掴んでいた男性の腕が、痛そうな方向にねじ上げられていた。
「っ痛、痛い! 離せよ! な、なんだお前……!」
なんと男性の腕を掴んでいたのは、謎の古びた兜を被った人物だった。あまりにも怪しいその姿に、周りにいた人々も皆、驚いたように彼を見ている。
兜を着た人物が着ているのが騎士服だと気付いたらしく、男性は悪態をつき、すぐにその場から離れて行った。
「あの、助けてくれて、ありがとうございます」
「……ああ」
黒い騎士服を着ていることや背格好、そして兜から出ている長めの黒い髪や声からして、間違いなくルーファスだ。彼はどうして、こんな格好をしているんだろうか。
ふと辺りを見回せば、少し先の廊下に置かれていた鎧の置物の頭部分がない。どうやら彼はあれを拝借したらしい。
「外まで、送る」
「いいの……?」
「ああ」
「ありがとう」
また、あんな目にあっては困る。申し訳ないけれど、今はお言葉に甘えることにした。本当に、彼は優しい。
長い廊下を一定の距離を保ち、無言で歩いていく。
私が話しかけては迷惑だろうかと悩んでいると「……あいつは一体、何なんだ」と尋ねられた。
「あいつ?」
「ずっと一緒に居て、抱き合っていた」
彼が言っているのは間違いなく、ニールのことだろう。
ニールとの過去を正直に話したところで、きっと信じてもらえないだろう。そう思った私は「昔からの大切な友人で、今日再会したんだ」とだけ答えた。嘘は言っていない。
「……恋愛感情は抱いていないのか」
「うん? 友達だよ」
「それなら、ああいうことはしない方がいい」
「そ、そうだよね」
「ああ。たとえ好意があったとしても、しない方がいい」
間違いなくルーファスの言う通りだ。ただでさえ私には、男遊びをしているイメージがあるのだから。ルーファスだって、元婚約者のそんな様子を見ていい気はしないだろう。
ニールに会えて心底嬉しかったとはいえ、もっと気をつけなければと反省した。こんな私のことを心配しアドバイスをくれるなんて、彼はやはりとても優しい人だ。
「ルーファスは、優しいね。ありがとう」
「俺は、優しくなんてない」
そして再び、沈黙が流れる。けれど不思議と、息苦しさはなくて。あっという間に無事に馬車へと辿り着き、私は足を止めると、少し離れた場所にいる彼に向き直った。
「どうもありがとう」
「ああ」
「あ、そうだ。こないだ騎士団の見学に行った時のルーファス、とっても格好良かったよ」
あの日、ティムだけでなくルーファスのことも見ていたけれど、彼は誰よりも強く、そして誰よりも一生懸命だった。
彼は間違いなく、努力家なのだろう。私は気が付けば、ティムよりも彼ばかり見てしまっていたように思う。
「…………………………………………そうか」
「うん、これからもお仕事頑張ってね」
返事には何故か時間差があり、かなり小さい声だったけれど、なんとか聞き取ることが出来た。そして彼はティムの姿を見ると、くるりと背を向け王城へと戻っていく。
そんな彼の背中を見つめながら、私は胸の奥がじんわりと温かくなっていくのを感じていた。
……そしてティムに「お嬢様、あの怪しすぎる奴は一体なんですか!?」とひどく心配されたのは言うまでもない。