ニール・バッセル
「はい、どうぞ。今取ってきたものだから安心して」
「あ、ありがとう」
「俺が本当に俺なのか心配でしょ? さ、なんでも聞いて」
「う、うん……」
ニールと名乗った彼は、近くの給仕からシャンパングラスを二つ受け取ると、一つを私に差し出してくれた。お礼を言って受け取り、こつんと軽くお互いのグラスをぶつける。
じっとその顔を見つめれば「穴が空いちゃうな」なんて言い、彼はやっぱりおかしそうに笑った。
……そうだ、ニールはいつもこんな風に笑っていた。明るい彼の笑顔には、何度も励まされたものだ。
「どうして、私がセイディだって分かったの……?」
「見た目の特徴は調べてあったし、こんな美人が壁の花になっているのに、誰ひとり声をかけないなんて余程やばい奴なんだなと思って。例えば、セイディ・アークライトとか」
「なるほど」
セイディが予想以上に美人で驚いたよ、と彼はエメラルドのような瞳を柔らかく細めた。それはこちらのセリフだ。
ジェラルドだけでなく、ニールもかなりの美青年だ。ジェラルドの身体を奪った男も『綺麗な顔をしていたし、将来は遊び放題だ』なんて言っていたくらいだし、あえて見目のいい子供達を選んでいたのかもしれない。
「ねえ、セイディが余所余所しいのは寂しいから、早くなんでも聞いて? 俺が本物だって証明するから」
急かすようにそう言われてしまい、慌てて本物のニールならば知っているであろうことを考えてみる。
「ええと、私がいつも寝る前、ニールに歌っていた曲は?」
「月と星の子守唄」
「……私が、唯一嫌いだった虫は?」
「虹色芋虫。あれだけはダメだって言ってたよね」
そう、3年に一度、それも一週間だけ出てくる虹色の芋虫が私は大の苦手で。確かそのことはニールとエリザしか知らないはずだった。ということは、つまり。
「ほ、本当にニールだ……!」
「うんうん、俺だよ。久しぶり、セイディ」
間違いなく、本物のニールだ。こうしてお互い自分の身体で再会できたことが何よりも嬉しくて。思わず抱きつくと、彼もまたぎゅっと抱きしめ返してくれた。
「本当に良かった……。ニールも元に戻れてたんだね」
「お陰様でね」
私もジェラルドも、そしてニールもこうして元の身体に戻れているのだ。エリザとノーマンもきっと、元に戻って幸せに暮らしている。そう信じたかった。
「あっ、私も本物だからね。何か聞いてくれたら答えるよ」
「分かってるよ」
「えっ?」
「あいつが君を、間違えるはずがないからね」
「…………?」
どういう意味だろう。よく分からないけれど、とにかく私のことは信じてくれるらしい。
「そもそも、今の質問をしてきた時点でセイディだし」
「あっ、確かにそうだね。ねえ、ニールも私とジェラルドと同じく一ヶ月前の夜に、元の身体に?」
「うん。俺はあの日、自分の家にいたんだ」
それから彼は、家族に全てを話し状況を整理した後、私たちと同じように伝手を使って色々と調べたのだという。
辺境伯の力もあり、楽に進んだと言っていた。けれどやはり、家族以外に信じてもらうのだけは難しかったらしい。
「俺の中にいた奴は、大人しい静かな人間だったんだって。お蔭で世の中じゃ、ニール・バッセルは引きこもり扱いさ」
「えっ、そうなんだ」
「家の中は玩具だらけで、かなり贅沢はしてたみたいだけどね。むかつくけど、セイディに比べたらマシ過ぎる」
彼は困ったように肩を竦めて、やっぱり笑った。
元の身体に戻った後、今まで一度もニールは交流がなかったらしい"ジェラルド"・フィンドレイから突然手紙が来たこと、遊び人と言われていた彼が最近、"セイディ"・アークライトとしか噂になっていないことから、私達も元の身体に戻ったのではないかと推測したらしい。
それからは、お互いの近況を話していたけれど。
「他に、何か聞きたいことはない?」
不意にそう尋ねられ、私は一番気になっていたことを彼に聞いてみることにした。
「ねえニール、あの手紙、どういう意味なの……?」
「そのままの意味だよ」
そう言って、ニールはまっすぐに私を見た。
「ジェラルドには、気を付けた方がいい」
「どうして……? ジェラルドは絶対、本物だよ」
「だからだよ」
本物だから、気をつけた方がいい。ニールの言っている意味が、さっぱり意味がわからない。
けれど昔からニールは賢くて、私に懐いてくれていて。間違ったことや嘘は、言っていなかったように思う。
「とりあえず、あいつも君のために本気で動いているようだし、今はそのままにしておくけど」
「…………?」
「それに全て話せば間違いなく、セイディは顔や態度に出るだろうし。詳しくはまだ言わないでおくけど、とにかくジェラルドには気を許しすぎないで」
一体、ニールはジェラルドの何を知っているのだろう。
私はずっと、ジェラルドに助けられてきたのだ。そんな彼を疑うことなんてしたくない。けれどニールが意味もなく、そんなことを言うとは思えなくて。
小さく頷けば、彼は困ったように微笑んだ。
「あいつのことを好きだって言うなら、止めないけどね」
「ジェラルドのことは好きだよ」
「そういう好き、じゃなくてさ」
ま、心配はなさそうだねと言うと、ニールはシャンパングラスに口をつけた。どうやらお酒は強いらしく、あっという間に彼のグラスは空になっている。
「とりあえず、今後はエリザとノーマンも探そうか」
「うん! 二人とも、元気だといいな」
「……ねえ、ノーマンが何歳だったか覚えてる?」
「私達の5つ上だよ」
「だよね。俺の記憶違いじゃなくて良かった」
ニールはそう言うと、ひどく真剣な表情を浮かべた。
「この国でノーマンという名前の、且つ同世代の貴族令息は三人だけ。けれど一つ上、もしくは年下なんだ」
「えっ……?」
一体、どういうことだろう。
間違いなくノーマンは、私達の5つ歳上だと言っていたはずだ。混乱する私に、ニールは続けた。
「多分、ノーマンは嘘をついていたんだと思う」