敵か味方か
私が、好きだった人。いつも男遊びをしていたと聞いていたからこそ、余計に驚きを隠せなかった。
「本人は隠しているつもりみたいだったけれど、気が付いている人は他にもいたんじゃないかしら」
「その、どういう方だったんですか……?」
「王城勤めの文官で、穏やかで優しい素敵な方よ」
稀代の悪女だなんて呼ばれていた私が、そんな人を好きだったなんて。なんだか信じられない。
「けれど、ロイド様にはそういう気はなかったみたい。だからこそ、男遊びなんてしていたんじゃないかしら」
「……そうだった、んですね」
もしかすると本当は、ルーファスの為に他の男性に身体を許していなかった訳ではなく、ロイド様のことを想うが故だったのかもしれない。誰もがとんでもない人間だったという私が、何故そんなところだけ真面目だったんだろうと不思議だったけれど、それならば納得がいく。
それと同時に、私から全てを奪った私の、そんな人間らしい一面を知ってしまったことで、なんとも言えない気持ちになってしまう。知りたくなかった。
そして私を大切に思ってくれていたルーファスは、そのことに気が付いていたのだろう。ひどく傷付いたに違いない。やはり自分が悪いわけではないけれど、胸が痛んだ。
「ねえ、そろそろ敬語はやめない? 身分だって貴女の方が上なんだし、それに何より私達、お友達でしょう?」
「お友達……」
「ふふっ、私の勘違いだったかしら?」
「いえ、そんなことは!」
じゃあ決まりね、と彼女はふわりと微笑んで。そして私は彼女のことを「エリザ」と呼ぶことにもなった。
それからまた三人で楽しく話をした後、そろそろいい時間になり帰って行く二人を見送ったけれど。それからすぐに、帰ったはずのジェラルドが突然、伯爵家へと戻ってきた。
「ごめんね、二人だけで話がしたくて」
「ううん、大丈夫だよ」
再び自室へと彼を通し、向かい合って座る。
「……ねえ、セイディ。僕は彼女が怪しいと思う」
そして彼が告げた言葉に、私の口からは間の抜けた声が漏れた。ひどく真剣な表情を浮かべたジェラルドは、続ける。
「あまりにも物分かりが良すぎるし、名前のことも気になるんだ。僕の方で少し、彼女の過去を調べてみるよ」
「わ、わかった……」
戻る前の私は稀代の悪女、ジェラルドは女たらしだった。
だからこそ入れ替わった人間は皆、どうしようもない人間だというイメージが勝手についていて、令嬢の鑑だと言われているエリザ様のことを、私は全く疑っていなかったのだ。
ジェラルドの言う通り、もしも彼女が本当にエリザの身体を奪った人間だったらと思うと、背筋がぞくりとした。
「今後は彼女にあまり、余計なことを話さない方が良い」
「ごめんね、ジェラルド。これからは気を付ける」
「謝らないで。僕達に優しくしてくれる人間なんて、今までほとんどいなかったんだ。だからこそ、良くしてくれた相手に心を開いてしまうセイディの気持ちもわかるよ。それに彼女が本当に、ただの親切な女性の可能性だってあるんだ」
今まで通りに付き合いは続け、私の中でほんの少しだけ線引きをするだけでいいと、彼は言った。仲良くしている方が様子を見るのにも、色々と都合が良いからだ。
「何があるかわからないから、外では僕以外とはなるべく、二人で会わない方がいい。護衛も必ずつけてもらって」
そんな彼の言葉に、私は深く頷いたのだった。
◇◇◇
舞踏会まで、残り一週間と少しになった今日。私はお母様とのレッスンを終え、自室に戻ったもののすることがなく、やはり落ち着かない気持ちになっていた。
ちなみに数日前、完成したそれぞれのプレゼントを渡したところ、皆恥ずかしくなってしまうくらい喜んでくれた。
両親なんて泣いて喜んでくれて、私もつられて泣いてしまったくらいだ。あとは何故か、ティムも泣いていた。あんなに喜んで貰えるのなら、近いうちにまた何か作ろうと思う。
「……ええと、あった」
そして結局、私は一人図書館へと来ていた。いつものようにティムもついて来てくれている。
そして本棚からとってきたのは、この国の詳細な地図と植物図鑑、そして昆虫図鑑だった。
私達がずっといたあの場所が、どこか知りたかったのだ。とは言え、ただ畑や森があるだけで、他の手がかりなんてほとんどない。けれど植物や生き物というのは、場所によって生息しているものが違うと、ノーマンが昔教えてくれた。
外にいることが多かったからこそ、私はそう言ったものにある程度は詳しくなっている。それを照らし合わせていけば、ある程度限られてくるのではないかと思ったのだ。
ちなみに今は、ジェラルドのご両親である侯爵夫妻も、彼と共に今回の事件について調べ動いてくれているそうだ。
恥ずかしいことに私が「身体を乗っ取られていた」という件について、両親が知人の魔法使いや騎士に相談してみたところ、私がまたおかしな事を言っているんだろうと、笑い飛ばされて終わってしまったらしい。悲しすぎる。
そして一人椅子に座り、何か見覚えのあるものがないかと図鑑を見ていた時だった。なんだか視線を感じ、ふと顔を上げればそこにはなんと、ルーファスの姿があった。
「…………」
「…………」
視線はばっちりと絡んでいるものの、声をかけていいものかわからず、やはり気まずい沈黙が続く。先日も此処で会ったばかりだし、彼の趣味は読書なのかもしれない。
彼がなんと、騎士団長になったという話も先日聞いた。忙しい中彼の、大切な休日の息抜きの場に私がいてはきっと不快だろう。今度からは別の図書館に行くのもいいかもしれない、そう思っていた時だった。
「何故、そんなものを読んでいる」
彼の視線は、私の見ていた昆虫図鑑に向けられている。確かに私がこんなものを読んでいるのは、さぞ不思議だろう。
「ええと、ちょっと調べ物を」
「昆虫が好きなのか」
「いえ、そう言うわけでは……」
今の私が正直に全てを話したところで、信じて貰える気がしなかった。だからこそ曖昧な返事をしていると、ルーファスはそのままどこかへと行ってしまった。
それからはまた、見覚えのある草木や生き物を見つけては生息地のメモをとる作業を繰り返していく。
それから、1時間程がたった頃。突然、耳をつんざくような爆発音のようなものがして、館内が騒がしくなった。
焦げたような匂いと煙が、一気に流れ込んでくる。火事か何か事件だろうか。そう思っていると突然、後ろからぐいと腕を掴まれ立ち上がらされた。
後ろに控えていたティムだろうと思ったけれど、振り返った先で私の腕を掴んでいたのは、なんとルーファスだった。
「何をぼけっとしている、早く出るぞ」
「う、うん」
そのままルーファスに腕を引かれ、外へと走り出す。私に合わせて、ゆっくり走ってくれているようだった。彼一人ならばすぐに逃げ出せるだろうに、やはり彼は優しい。
私のすぐ後ろから、ティムもついてきている。何故か彼は感動したような表情を浮かべていた。
なんとか建物の外に出ると、一人の女性が周りにいた人々に押さえつけられ、泣き叫んでいた。どうやら、彼女の息子の魔力暴走が起きたらしい。
そしてあの火の中には、子供が取り残されたままだというのだ。特に中心は火力が強く、近寄れないのだという。
「俺は風魔法使いなので、火とは相性が最悪なんです……ルーファス様もですよね?」
「……ああ」
流石の二人も、燃え盛る炎にはどうしようもないようで、ぐっと固く拳を握り締めていた。
本人は自身の出した火に耐えられたとしても、やがて建物が崩れてしまっては耐え切れるはずもない。母親らしき人の悲痛な叫び声に、胸が張り裂けそうになった。
「早く水魔法使いを呼べ!」
そんな声が聞こえてきて、私はハッとした。火は物凄い勢いで燃え広がっていく。ただでさえ魔法使いは少なく貴重だと聞く、助けを待っている時間はないだろう。
魔法の使い方なら、本で読んだ。むしろ私が魔力暴走を起こしたところで、この状況ならば吉となるかもしれない。
「ルーファス、ありがとう。手を離してもらってもいい?」
ずっと掴まれたままだった腕を勢いよく離された私は、ドレスの胸元の飾りのリボンを解いた。そして走りやすくする為にドレスの裾をたくし上げると、リボンできつく縛った。
ルーファスの瞳が、戸惑ったように揺れる。
「……おい、何をする気だ」
そんな彼の問いに、長い髪を纏めながら私は答えた。
「私が、助けに行く」