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1.1.すべての始まり

相波結樹は、知能こそ低くなかったが、できの良い生徒ではないため、興味のない授業は睡眠時間にしていた。彼の短く刈った髪はだいたいは教室の机の上に転がっており、そこから緊張感と締まりのない表情が広がり、口元は少し開いてよだれを垂らしている。思春期にありがちな反抗心ともあまり縁がなく、日々の暮らしに対して本当に不満という不満がなかった。

教室というのは嫌な場所で、年頃の子供が狭いところに閉じ込められているため、互いに持たなくていいような感情を抱きがちである。スクールカースト、ということばが結樹の周囲でも自嘲気味に使われることがあるが、狭い場所に同じ年頃だからという理由で対人スキルが全然違う人間を詰め込めば、その格差で亀裂が走る。結樹は体つきが大きいわけではないが、小さくはなく、太ってはいないがガリガリではなく、並みより少し上の背格好だった。体育会系の部活に所属してはいなかったが、運動神経が悪いわけでもなく、成績も中だったので、取り立てて目立たない存在であった。しかし、授業中は爆睡していることが多く、教師もあきれて声をかけなくなったため、クラスの中ではとにかく「授業中に寝ているやつ」というキャラ付けがなされ、なぜ眠いのかと尋ねられても

「とくになにをしているわけでもなく、晩も比較的よく寝ているが、眠い」

 とあくびをしながら言うくらいなので、天然ボケキャラのような形で扱われるようになった。結樹は細かいことを気にしない性格だったので、多少馬鹿にしていじられるくらいは許容して寝続けていたので、あいつはいつも寝ているやつ、というブランドのようなものが形成され、その信頼に足る実績を積み重ねることに本人としても何も問題を感じなかったため、自分のキャラクターを全うするだけだった。

 授業時間に寝ていて、誰かにノートを写させてもらう、というのはなんとなく自分に都合のいいことをしすぎている気がして、結樹はノートをクラスメートに頼むことをしなかった。授業内容については教科書の内容や参考書の内容から類推できることだけに取り組んでいたので、一応、地域でも二番手くらいの進学校で中程度の成績はとることができた。結樹の隣の席に座っていた田中祥子はたまに気を聞かせて、ノート貸そうか、と起きているときの結樹に声をかけてきたが、その厚意を受け取ってしまうのもポリシーに反する気がしたので、

「ありがとう、でも、どうせノートはとらないから遠慮しておく」

 と返答した。結樹のことを嫌っていた人もクラスにはいた。彼らは熱心に授業に参加しているが、テストの結果は結樹よりも少し上という微妙な立ち位置の人たちであり、トップクラスの優等生は結樹の存在をどうでもいいと思っていたし、同じくらいの成績の人たちは半ば呆れと称賛に近いかたちでそれでよくやれるなと声をかけていたが、労力と成果があまり見合っていない人たちからは嫌われていた。しかし、と結樹は思う。まず、自分にとっては寝たいだけ寝ているだけだし、勉強は最低限自分の苦にならない方法でやっているし、睡眠も勉強もせいぜいが個人で何とかするものなので、よその人間なんて気にしても仕方がないだろう、と。どれだけ努力しても見合わない成果なのだとしたら、努力の仕方か生物として脳の出来が勉強に向いていないかのどちらかなのだから、諦めろよ、ということになる。他人の素行に口を出したくなるような精神状態で勉強してもどうせ頭に入らないだろうから、そんな気持ちになるくらいだったらたっぷり寝ればいいのである。

 睡眠はいい。まず心が安らぐ。心が安らいでいるので、家族や友人と穏やかな気持ちで接することができる。穏やかな気持ちで接していれば、不和も生じるきっかけが結樹起点ではあまりないだろう。重要なことは、毎日を気持ちよく過ごすことだ。

 結樹の考えは確かに事実であり、睡眠は気分を安定させ、安定した気分のおかげで対人関係や学業や運動などは想定されたパフォーマンスに達していた。細かいトラブルには気を留めなかった。一方で、結樹はあまり他人に関心がなく、人と仲良くすることを難しいと感じるタイプではなかったが、他人と深い関係を築くことはあまりうまくなかった。同年代の多くが、寂しさや不安感から友情や恋愛関係を築く一方で、結樹は十分に良く寝れば心が平穏だったので、友情も恋愛感情も重視しなかった。

 この生活は、高校一年生のころから続いており、高校二年になったころには不可解なほど安定してしまっていた。両親は夫婦仲がよく、のんびりしていたため、子供に多くを望まなかった。結樹には姉がひとりいるが、彼女は両親に付き合っているとダメになってしまう気がすると言って、熱心に勉強して首都圏の高偏差値大学に入学して、下宿して、キャンパスライフを満喫している。両親ともに決して一流とは言えない大学出身で、安定した仕事につき、ふたりの子どもを育てている。姉が言うには、両親の時代とは違って、今は競争社会でのんびりしていては親と同じ生活水準にはなれないのだという。

 その点について姉の考えに対して結樹は疑問を持っている。父親も母親も40代だが、ふたりの就職した時期が今に比べて格段に楽だったとは思えない。第一、姉が職を得たり収入を得るために直面する競争状況は、両親が日常的に労働している場でもあるわけだ。広い意味でとらえれば。姉の言い分が正しければ、両親は競争社会から追い出されているはずだ。にもかかわらず、そうなっていないのは、のんびりしてもコツさえつかめれば生きていくことができるということである。結樹はそう考えて、勉強も運動もほどほどにしている。姉はそうしなかった。最近では姉の行動について結樹は別の考え方を持つようになってきている。姉は競争……勉強や運動にしろなんにしろ、高みを目指して鎬を削るという局面が好きなのだ。つまり、結樹がたくさん寝たいと思ってそれを実行することがたまたま勉強だっただけである。だから上達することができた。同じ母親の腹から同じ種で生まれたのだから、姉が天賦の才の持ち主であったとは結樹は考えていない。しかし、一つ違いがあったとすれば、勉強が彼女のやる気スイッチを押したということだ。あるいは勉強の先にある彼女の競争社会のビジョンが彼女のやる気スイッチを押したのだろう。

 そうしたビジョンや学校の勉強そのものが結樹のやる気スイッチを押しているという実感はない。モチベーションがわかないため、熱心に長時間創意工夫を傾けるということにつながらない。しかも、余力があれば寝てしまうので、モチベーションがないにもかかわらず長時間勉強するというような事態もまたあり得ない。当然ながら、ほとほどの努力とほどほどの工夫からはほとほどの結果しか出ない。ほどほどの結果を見ても、劣等感も優越感も刺激されないため、努力を促すような強いフィードバックにならない。

 そんな時間があるなら寝るだろう。

 一日12時間寝るとする。残り12時間しかない。学校に遅刻せずに行くためには、7時に起きる必要がある。晩ごはんを食べた後、眠気に襲われて就寝するのは11だからこれでは計8時間である。4時間足りない。しかし、夕方になってちょっと寝てしまうと、睡眠本体のクオリティが下がってしまうため、できるだけ早い時間に睡眠時間を確保する必要がある。体育や実習系の科目のようにどうしたって居眠りできない授業があることを考えると、学校にいる間になんとしてでも4時間稼がなければならない。野球部の丸刈りがティーバッティングでバットの芯に当てるために使っている時間も、サッカー部のイケメンがいかに少ない機会で確実に得点を挙げることができるかを競っている間も、結樹は惰眠をむさぼることに力を注いでいたのであった。そんな毎日がこれまでと同じように将来にわたっても続く、と結樹は思っていた。


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