0.3.天災3
北条遥は兄への報告を終えてから、封鎖されている中学校付近を大きく一周して様子を眺めてみた。おそらく危険はないが、複数の障壁を張り巡らし、前の衝撃波と同様のものがたとえ来たとしても耐えられるようにしておく。仮に前回のものよりも数倍のものが来ても何とか命だけは助かるのではないだろうか。
その防御策を講じるにあたって、自信を中心として一定の範囲を遥の陣地と定義する。そこに意識を配り、警報があったときには瞬時に障壁が強化されるように設定する。10歳近く年が離れた兄は、たぐいまれな才能を持っているが、資質面だけでいえば遥も大差ない。実戦経験は圧倒的に違うが、底力ならば同程度の自信があった。
後者の残骸の近くには惨状をSNSに載せたくて仕方がない命知らずで馬鹿な野次馬だけではなく、消防者や軍事的な車両の姿もあった。魔術師はどれだけの生命が残っているかということを使い魔を通して、あるいは直接的に感じ取ることができるが、普通の人々はそうではない。一人の生存者は校舎からかなり離れたところで発見されたのですでに救助されているが、救助されていないだけで助かっているかもしれない死者たちのために、防災や安全保障の専門家が働いている。しかし、彼らがどれだけ優れていようとも魔術的な攻撃を遮ることができないので、もう一度同じことが起こればみんな死んでしまうことになるだろう。
こうしたとき、通常魔術師は人目を避けるために、事件が起こった環境を人の関心が集まらないものへと作り替える。
ただ、今回の場合、事件があまりにも派手だったためにそうした隠ぺい工作は効かない。同じような事件が起こったときには大量の死人が出るかもしれないが、それを防ぐ術はない。SNS映えを期待してうろちょろしている人たちはさておき、職務を遂行している人たちは助けたいが、遥一人にはどうしようもないことだった。
周囲の人たちとはどこか違う雰囲気を持った人たちが紛れ込んでいることができたのは、しばらく歩き回ったときのことだ。
遥の属する機関とは異なるこの道のプロであることは間違いなかった。しかも、ひとつだけの勢力ではなく、複数の異なる種類の気配が感じられる。特に、双眼鏡をのぞき込んでいるパーカーを着た少年……いや、少女か、は目立って異質である。
遥の頭の中には「これは同じ人間の気配なのか」という疑問がよぎったのだが、好奇心がその疑問を突き抜けて、接触という行動に至らせた。兄は責任のある立場だが、自分は優れていても一兵卒でしかないという事実が甘えになったのかもしれない。遥が近づいて行っても、パーカーの少年(少女)は反応を示さない。
「何か面白いものでも見えますか?」
どう切り出してよいのかわからなかったので、遥はとりあえず声をかけた。双眼鏡から手を離して首にかけた紐から垂らしながら、お姉さんも見学者かと質問を返す。声から判断するとどうも少女であるらしい。背格好からすると少年と間違えたくらいだし、中学生くらいだろうか。パーカーに半ズボンというやや寒くなってきた気候を考えると、少し軽装であるといえる。
「お姉さん、この辺ではかなり強い方だよね。でも、ぼくが悪意を持っているかもしれないのに、距離の詰め方凄いっすね」
声からは緊張や不安のようなものは伝わってこない。警戒されているわけではなさそうだ。
「この状況で、あれを前にしてけんかを吹っかけてくることもないと判断しました」
「それは正しいと思うっす。うん。お姉さんが冷静でよかった。どこに導火線があるかもわからないのに、火遊びするわけにはいかないだろうし。でも、お姉さんが冷静だったとしても、ぼくの頭がおかしかったときのことは考えなかったっすか?」
そう言って少し考えたふりをして、遥が答える前に、少女は自分で納得したらしくうなずいた。
「ああ、そういうことか……自分の力に自信があるから、大事にする前にぼくを無力化することくらいわけないと思ったということっすね」
「そこまでは自信過剰ではありませんよ」
「そうかな。見込み自体は大きく間違っていないと思いますし、それはそれとして、ぼくはお姉さんは自信家だと思うっすよ」
少女は遥に笑いかける。それとほぼ同時に、少女の体を包み込んでいる雰囲気が大きく変わり、少なくとも遥と同格の魔力が感じられるようになった。自分やその他の同業者が力を抑え込んでいるというのとはまた違った感じである。兄は、遥のことを感覚に頼りすぎるきらいがあるといってよくたしなめるのだが、感覚の鋭さ自体は兄妹で大きく変わらず、相手の実力を見極めることも大きくはたがわないと彼女は考えている。つまり、同じ状況であれば、兄も間違ったはずだ。
遥は瞬時に闘争なり逃走できる準備を整えたが、目の前の少女は戦うつもりはないらしかった。
「今から襲いますって宣言して奇襲する馬鹿はいないっす。そのつもりならぼくはおしゃべりなんかしないでお姉さんのことをぶった切ってたっす」
だから安心して、と優しい声を遥に投げかける。
「少なくとも今のぼくは、お姉さんの敵じゃないっす」