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ひとびと。 15:接吻をしよう

「……キス、してもいいか」

 使い慣れない都市の言語での要求はたどたどしくなった。

 キス、すなわち口付け。接吻や口吸いともいう。馴染めば端的でわかりやすい単語だ。

 だがその言語を当たり前に使っていたはずのアマーリエは異言語を耳にしたかのようにきょとんとキヨツグを見ている。

 真昼時、互いに時間が空いて、アマーリエの部屋にて菓子を摘みながら短い休息を得ていた。女官や護衛官たちは気を利かせて一人二人と姿を消し、現在ここには二人きりだ。

 ぱちりぱちりと咲き初めの花のような瞳が瞬く。キヨツグは応じるようにゆるりと緩やかに瞬きを返す。

 そうして次の瞬間、アマーリエの全身が弾ける寸前のような赤に染まった。

「どっ、ど、どう……!?」

 温度計なら勢いよく割れるだろうという真っ赤な顔で言葉をもつれさせながら「どうしてそんなことを」と訴える。思考が小さく破裂する音がいまにも聞こえてきそうだ。

 この妻はいつまでも愛を示す行為に慣れず、羞恥で真っ赤に染まって動揺するので、夫としては大変揶揄いがいがあって飽きない。つい嗜虐心を煽られてしまう。

「……したくなった」

 そうですか、としか返しようがない答えを告げると、赤いまま口をはくはくさせ、やがて石のように黙りこくってしまった。

 可愛い。愉快で、愛おしい。

 そんなことを表情のない顔の下で思いながら、キヨツグは手を伸ばしてアマーリエの長い髪を取った。

「……いいか」

 囁くように尋ねると、こくり、と頷きが返って頬が緩んでしまう。

「よく、キスなんて言葉……」

「……覚えた」

 アマーリエの純粋さは身を以て知るがゆえに揶揄いが過ぎてはならないと思うのに、こうして心を尽くした献身を示されると、どこまでなら許されるのか、胸に秘める欲望のままに何もかも求めてしまいそうになる。もし「あなたが言うのなら」などとすべて委ねられてしまったらキヨツグの方が壊れてしまう。暗く凶暴な情愛は絶えずアマーリエを欲して止まないのだ。

 観念して目が閉じられる。震える睫毛が愛らしい。

 目元にそっと口付けると、びくっと小さく身体が跳ねて強張った。

 今度は唇をついばむ。アマーリエがあえかな息を漏らした。

「っ!」

 数度重ねた唇を押し進めて深くする。一瞬反応できなかったアマーリエが我に返って拒むようにキヨツグの腕を押すが、なおも強引に、しかし嫌がられない程度に加減して口を吸った。

 実を言えばここまでしつこく口付ける気はなかった。だが原因はアマーリエにある。

『……キス、してもいいか』

『どうしてそんなことを』

 どうして、などと、夫が愛する妻に口付けたいと思うのがそんなに不思議なのか。

 隙あらば触れたい、唇を重ねたいと思うのはキヨツグだけなのか。

 多少なりとも傷付いた己が意外だった。幼少期から感情を抑制するよう徹底的に教え込まれ、何を考えているかわからない、情がないと周囲に言われてきた。何も感じないわけではないが情動が薄い自覚はある。

 だというのにアマーリエのささいな態度ひとつで「思い知らせてみたい」と思ってしまった。すなわちこれは意趣返しなのだった。

 頃合いと定めて身を離すと、腕の中のアマーリエは熱に潤んだ涙目になっていた。

「困った」「強引だ」と彼女の内で渦巻く非難を宥めるように、ゆっくりと抱き寄せる。するとアマーリエが身を預けてきたので、羞恥に由来する混乱に見舞われてはいるものの心底キヨツグを拒絶しているわけではないとわかった。

 この己を投げ出すような献身と許しが何よりも愛おしいのだと、いつ伝えよう。甘く香しいアマーリエの熱や息遣いを感じながらキヨツグはうっとりと目を細めた。

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