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ひとびと。 12:夜支度、逃支度

「見つかりました!?」

「こちらにはいらっしゃいませんでした!」

「くそう、逃げられましたわね……!」

 回廊の交差する場所で機敏に集って目をぎらぎらさせているのは、統率力では武官に引けを取らぬと評判の女官たちだった。宮中の各所に散った彼女たちが柱の影や空き部屋や房を覗き込み行く様を目の当たりにした武官文官は、揃って「大捕物をする警邏のごとく」と称するほどの凄まじい勢いだった。

 彼女たちの目標、それは主人たるアマーリエの確保だ。

 この春、都市から戻ったばかりのヒト族の真夫人。運命の花嫁とも揶揄されるが、命山と女神と始祖という彼女の後ろ盾を思えばあながち大仰すぎるともいえない。

 だがアマーリエ・エリカという女性の人となりは控えめと表現するのがしっくりくる。大人しく、穏やかな性格で、出しゃばるような振る舞いもなく、わがままを言わず、誰かを煩わせるくらいなら耐えてしまう、ありがたくも少々困った性格だが、たった一つだけ彼女が控えめながらも抵抗を諦めない事柄があった。

 衣装の着せ替えである。

 常日頃は勤めであれば真面目にことにあた彼の人だ。たとえそれが心底歓迎できずとも協力の姿勢は見せてくれる。しかし新しい衣装を誂え、女官たちが主人を着飾ってみたいと企みを抱いた途端、まるで草食の獣が敵を察したかのような俊敏さで逃げられてしまうことが最近多発していた――帯やかんざし、香油などを握りしめて「真様」と呼びかけながらうろうろと彷徨う様は、やはり肉食獣がうろついているようにしか見えない、逃げ出すのも致し方なし、と後に文官の一人が語る。

 王宮は広い。いかに長く勤める者であろうと、自身の行動範囲外のことはよく知らない場合が多い。身を潜める場所の検討はつくが当てにしてはいけないのだ。これまでの逃亡、発見、捕獲の経緯から、地の利があるゆえの思い込みは捜索の妨げとなることを学んでいる彼女たちだった。

「それほどお嫌なのでしょうか……いまよりももっと! さらに! お美しくする自信がございますのに」

「いいえ、諦めてはなりません。真様をお美しく仕上げる、それすなわちリリスの安泰。わたくしたちの重要な使命です」

「ええ、ええ、そうです。天様の御心を離さないために!」

「もう一人御子様を望むのはわたくしたちだけではないはずですから!」

 リリス族長キヨツグと真夫人アマーリエには御子が一人。名をコウセツといい、目を離すと怖い年頃の赤子だ。父親に似て恐ろしいほど美しい顔立ちで、将来はさぞ美々しい若君にお育ち遊ばされるに違いないと、女官たちはすっかり魅了されてしまっていた。

 ――となればもう一人。叶うならば姫君を。

 そう望んでしまうのは仕方がないことなのだった。御子誕生の後も変わらず、否、いっそう仲睦まじい主君夫妻を見ていれば、第二子は決して夢ではない。父母のどちらに似てもさぞ可愛らしい姫になられることだろう……が、アマーリエに言わせると「そんな遺伝子を私に期待しないで!?」ということらしい。『遺伝子』とはなんぞや。

 ともかくそのような思惑の元に、着飾らされて、上げ膳据え膳よろしく夫に捧げられるのは困る、とアマーリエは逃げ出すのだった。

「日が落ちる前に確保しますわよ!」

「ええ頑張りましょう、皆様!」

「今宵も過去最高にお美しい真様を天様に!」

 えいえいおー! と女官たちが拳を振り上げていた、その頃。


 女官たち監督し従える立場であるはずの草食獣、もといアマーリエは、実は彼女らの陰謀の終着地点である人のところにいた。その辺りにあった薄紗を掴んで頭から被って顔を隠し、執務室に駆け込んで「匿ってください!」と叫んで、いまに至る。

「……まだ呼ぶ声がする……」

 窓や廊下に張り付いて、女官たちが探し回る声を聞いては隠れることを繰り返す。もう日が落ちるのに諦める気配がない。ため息をついて隅に置いた椅子に腰掛け、頭を抱えた。

「すみません、お仕事の邪魔をして……」

「……気にせずともよい。まったく問題ないゆえ」

 呻くアマーリエに書類から顔を上げたキヨツグが言った。

 女官たちもさすがに主君の執務室に立ち入ろうとはしないだろう、そう思って選んだ逃げ場だったが、予想通りこちらにまで捜索の手は伸びない。またアマーリエが口止めを頼んだため、キヨツグに命じられた執務室の警備も、護衛官も一切情報を漏らさないし、秘書官であるカリヤはそもそもこのような騒ぎを冷淡に眺めている人なので、わざわざ知らせに行かないし、女官たちも尋ねるようなことはしないのだった。

 執務室に駆け込んだアマーリエは、キヨツグが政務を執る部屋の隅で、本棚にあった歴史やリリスの資料などの本を借りて勉強がてら読みながら、女官たちが諦めるのを待っていた。執務室で書類仕事に勤しむ彼と長時間過ごすのは初めてだったので、時々手を止めてこっそり観察もした。

 わかったのは、彼はたとえ一人であっても存在を消しているみたいに、ため息をついたり独り言を口にしたりもせず、書き物をする音だけでしかそこにいるとわからない静かな人だということ。

 そのような仕事ぶりなので非常に多くの書類を捌いてしまう。彼の仕事が終わるとアマーリエも逃亡を終えねばならない。

 執務が終わるとキヨツグはカリヤや侍従に引き継ぎ事項を申し渡し、そこで明日以降の予定を聞くなど打ち合わせを始める。関係者が集まっていると話し込むこともある。それが終わると夕食を摂り、入浴して、急ぎの事項や問い合わせがなければ就寝となる。だからいつまでも隠れていられないのだ。

 以前はコウセツの様子を見に行った際に捕まることが多かったが、あっさりリリスの暮らしに慣れた息子は近頃では母が長時間姿を見せずとも機嫌よく過ごしている。嬉しいような寂しいような複雑な気持ちだ。

(でもだからって二人目は……)

 アマーリエとキヨツグが床をともにすると知った彼女たちの熱心な仕事ぶりにはいつも感心させられる。だが現代のヒト族の感覚として『そういうとき』のために着飾るのは羞恥心がすごいのだ。文化で、仕事の一種とはいえ、気恥ずかしくてたまらない。こうしてリリスに戻って、ここで一生を過ごす覚悟で、いままで疎かになっていた真夫人の務めを果たそうと思っていたのに、こんなところで躓いている。

(いい加減、受け入れないといけないのはわかっているんだけど、うう……)

 困り果てたアマーリエが顔を覆っていると、かたりと物音がした。見ればキヨツグが机の上を片付けている。元々物を広げていないので机上はあっという間に広く艶やかな鏡面のようになる。

「あっ、す、すみません、お仕事が終わったんですね。だったらそろそろ失礼します」

「……出て行かずともいい」

 静かに言われ、机を離れたキヨツグに手招きされる。何だろうと席を立つと、手を引かれて、長椅子に並んで腰掛ける。そうしてキヨツグは頭の中で疑問符が飛び交うアマーリエを引き寄せて腕の中に囲い込んだ。

「え、えっ、キヨツグ様!?」

 キヨツグはまるでアマーリエから匂い立つものを取り込むように深い呼吸をしている。いまさらながら逃げ回った際に汗を掻いたことが気になってきた。

「は、離してくださいっ、さっき走ったから私、あの、ええと……!」

「……何故、早く仕事を終わらせたのだと思っている」

 言われて目にした時刻は、官吏たちの終業時間よりも少し早い。必要がなければキヨツグは定刻に一度仕事を終える。臣下に負担をかけないように彼らが関わる作業はきっかり終わらせ、煩雑な諸々は就寝前などに、ときには側近たちを交えて検討し、差配する。だから別に、早めに仕事を終えるのは不思議ではないけれど。

 するとアマーリエの心を読んだかのように、キヨツグは耳元に唇を寄せて囁いた。

「…… すぐ近くにお前がいて、しかし触れられぬ状況がどれほどの苦痛か、想像がつくか」

 ぞくぞくぞくっと背筋が震えてアマーリエは反射的にキヨツグの胸を押し返した。

「ああぁあの、あの! あの……っ!?」

「……自制した己を褒めてやりたい」

「できてません、自制できてませんからね!?」

 耳をくすぐられ、ひゃっと身を縮める。これはまずい。

 外には警備がいて、そのうち終業の挨拶にカリヤや侍従がやってくる。この状況を見られたらきっとものすごい顔をされる。主にカリヤに。そのうち噂になって、女官たちにも隠れ場所がここだとばれてしまうだろう。

「本当に、ちょっと待って……と、時と場所を考えて……」

「……仕事中は抑えた」

 当たり前だ。というか、たまに抑えられていないときがあることをすっかり忘れているのではないか。仕事の話をするために訪れた後にしばらく拘束された際の数々の出来事を思い返し、一瞬遠い目になる。

 すると何か思うところがあったらしいキヨツグは次の瞬間アマーリエを抱え上げた。

「わぁっ!?」

 その状態で執務室を出ると、ちょうどカリヤと侍従たちがやってきた。目を鋭くするカリヤに、アマーリエを抱えたままキヨツグは言う。

「今日は終いとする。各々ご苦労であった」

「…………お疲れ様でございました」

(カリヤさん! 違うんです、これは!)

 物凄い顔で挨拶されてしまった。不本意な状況なのだと必死に視線で訴えるが、どうでもいいとばかりに目を逸らされる。好きにしてくれと言わんばかりの態度だったが、後ろに侍従たちがいなければ「馬鹿夫婦」と二言三言罵っていただろう。

 その後アマーリエは女官たちの元に戻ることのないままキヨツグに連れ去られ、誰一人として立ち入ることのない離宮で一夜を過ごした。アマーリエの行方は、恐らく最後に二人でいるところを目撃した侍従たちによって女官たちに知らされたのだと思う。本当に誰もいない静かな場所で、静かすぎて色々と、本当に色々と困ったことにもなったが割愛する。

 その後アマーリエを着飾らせようとする女官たちの攻勢は少しばかり緩んだ。美しく飾らずとも寵愛は薄れないと理解したのか、そのような状況になっても纏わされるものは以前よりもずっと控えめで上品な、一見してそれとはわからないものに抑えられた。

(きっとキヨツグ様が何か言ってくれたんだろうな……お礼を言っておかなくちゃ)

 気恥ずかしいのは変わらないが、派手に飾り付けられて送り出されることを思えば気が楽になった。付き従ってくれる女官たちに心穏やかに「おやすみなさい」と告げ、アマーリエは寝殿に向かった。


 ――今夜も主人を送り出した女官たちの胸には一つの忠告がある。

『然るべき日、然るべきときに、そなたらの手腕を発揮せよ』

(むしろ常に飾ってしまう方が飽きてしまう可能性がある、と)

(ここぞ、というときのため、わたくしたちも熟考して備えることができる……)

(さすが天様ですわ……!)

 必ずやご期待に応えてみせます、と女官たちは胸に手を当てて誓い、頼れる同志たちと思いを確かめるように頷き合った。


 こうしてまた、リリスの平和な一日が過ぎていく。

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