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ひとびと。 11:色を得る

 書を繰る手元が不意に濃くなった気がして、キヨツグは我に返った。

 机上の燈明がふらりと揺れる。侍従がこれを置いて行ったのはいつだったか、調べ物に集中している間に夜が更けていたらしい。

 しばらく執務は長時間に及んでいた。結婚してから都市とのやり取りが多くなると、こちらが不利にならぬよう、向こうの文化や考え方の知識のなさを埋める必要があり、何をするにもいつも以上に慎重を期さなければならなかった。

 他の者ならどこかで疲れ果てて音を上げるかもしれない。机仕事も外回りも苦手でなく、好悪の感情も持たぬキヨツグだから、何をするにしても多少の無理を無理と思わずに可能にしてしまう。

 頁を閉じた瞬間、部屋全体が、ふうっと暗く、大きく揺らいだのを感じてキヨツグは視線をわずかに鋭くして顔を上げる。

 すると視線の先、部屋の片隅の影から出でるようにオウギが姿を現していた。

 足音もなくこちらにやってきた彼は、机に山積した書類や書の山を見遣り、不機嫌そうな面持ちになった。その目つきの意味は――何をしている、さっさと休め、だ。

 護衛官だった立場上、キヨツグの、時間と寝食を忘却した、あるいは意図的に無視した行動の数々を知っているオウギだ。怒らせると実力行使に出かねないため、キヨツグは手元の書物を置くと、使った筆記具の掃除を始めた。置いておけば侍従なり文官なりが磨いて適切にしまうのだが、使用後の清掃はキヨツグの習慣だ。

「……次はどこへ」

「西へ」

 都市か、とキヨツグは呟いた。

 オウギが姿を見せるのはその必要があるときだ。行動すべきときであるか、連絡事項があるか。後者だろうと思っての問いかけだったが予想通りだったらしい。

 肯定は返らなかったが、リリス族とヒト族の外交が本格的に始まった現在、合法非合法問わず情報を得るための調査は必要だ。都市の出入りは難しいはずだが、オウギならば問題はないのだろう。この男の行く先に限りはないとキヨツグは知っている。その理由を知ろうとして阻まれたことがあるくらいだ。

 日が陰るように、空の色が変わるように、オウギはその存在と気配を変える。そしてさだめられた瞬間にさだめられた必然を告げに来る。

 それはあたかも、神のもたらす託宣のようだった。

「……不穏な気配が?」

「そうならねばいいが、難しかろう」

 オウギはキヨツグから半ば顔を背け、夜の向こう、その果てを探るように目を眇めている。その目に映るのは恐らく、いまのキヨツグには目にすることが叶わない、遠い世界、時の狭間、世の果てと呼ばれるようなものたちだ。 

 オウギの出身であるタカサ家は巫覡の血筋だ。だが真実タカサの血の者なのか、もっと別の、濃い血を継ぐのかはわからない。どれだけ生き、どのように育ち、何を見てきたのかも。

 そのオウギが都市に行くというのなら、そこに知るべきものがあるということ。

(荒れるか)

 貪欲で、同盟の際にこちらが提示した政略結婚の条件を飲んだヒト族だ。表面上は友好的でもいずれ何らかの形で仕掛けてくるだろう。地の底を蠢くようにあの種族の企みは動き出している。

 ならばあれは泣くのだろうか、と、儚い微笑みを浮かべる花嫁を思ったとき。

「色に呆けたお前では見えるものも見えぬ」

 驚くようなことを言われて軽く目を見張る。本当にそれを口にしたのが目の前の男なのか、信じられない思いで確かめようとするも、オウギはすでに背を向けている。

「いまのうちに新婚生活を楽しむがいい」

「……オウギ」

「蕩けた目をして何を言われても響かぬ」

「オウギ」

「可愛がるのはいいが度を越すな」

「オウギ!」

 席を立って声を荒げた瞬間、オウギは振り返った。

 あからさまな嘲笑、そして揶揄の色がそこにあった。

 身を翻すオウギを呆然と見送り、キヨツグは力を失うように深く椅子に沈み込んだ。色呆け、蕩けた目、という言葉を思い返し、それほどあからさまに表に出ているのだろうかと考える。そして一つの可能性に思い至る。

 連絡事項を伝えに現れたのだと思っていたが、異なる用向きがあったのではないか。

(……もしかして、あれは……私を、揶揄いに来たのか……?)

 まさか、そんなことがあり得るのか。

 初めて知る、謎そのものであるオウギの面妖な言動に「……まだまだ知らぬことがある」とその途方もなさを思うキヨツグだった。

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