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ひとびと。 10:恋心は側に

「……あら?」

 久しぶりに丸一日休みになったその日、宮中にある自室の片付けに精を出していたアイは、積み重なった書物の要不要を仕分けている最中、何気なく手にした一冊の頁のどこかから何かが滑り落ちた。

 拾い上げてみると、押し花だ。手作りらしい栞。

(紫苑の花ね?)

 挟まっていたのは女官の手引きともいえる作法手帳だった。基本の挨拶や言葉遣い、礼儀作法、宮中のしきたりなどが記されていて、見習い時代に配布される教科書のようなもので、頻繁にめくっていたのはもう遠い昔の話だ。

(わたくし、そんな情緒豊かな娘だったかしら……?)

 いまも昔も可愛げのなさは自覚があるだけに、首を傾げながら季節の花の栞が挟まっていたであろう頁を探してめくってみる。そうしてしばらくしてそれらしい箇所を見つけ、ああ、とため息がこぼれた。

 女官の心得が綴られたそこに走り書きされた日付――前族長セツエイの没年月日。そこに栞があったのだとすぐに気付けた。

 官等を持たない一女官に過ぎなかった当時、葬儀に参列することも叶わず、花を手向けようにも墓前に行くこともできず、祖廟に詣るのは違う気がして、代わりに、かの人に捧ぐ花をこうして挟み込んだのだ。

 あっという間に時間が流れ、仕事に慣れて、役職を得て、仕える人が変わって、いつの間にかその存在を忘れてしまっていた。

 忘れてしまえる、本当に、それだけの時間が流れていたのだ。

「…………」

 寂しいけれど、悲しみは和らいでいた。大事な人の死を受け入れるとはこういうことをいうのだろう。思い出さなければ忘れてしまえる、生きているゆえの残酷さ。

 アイはしばらく栞の花を見つめ、指で触れ、込められた心に思いを馳せた。そしてくすっと笑みをこぼした。

(あの頃のわたくしは、こんな未来をきっと想像もしなかったわ)

 女官として勤め上げるつもりではいた。けれどいと高き身分の人に淡い恋心を抱くなんて思いもしなかったし、それなりに恋をして適当な結婚をすることもないとは考えなかったし、キヨツグが後を継ぎ、ヒト族の花嫁を迎えるなんてことは予想外の最たるものだ。

 けれど若く幼いアイを満たしていたあの人への思慕、それに匹敵するものに未だ巡り合えていないのは、すごいことだと思う。くすぐったいほどに、そう思う。

 そしてアイはそれを後悔したことは一度もないのだ。

(これを唯一の恋、その幸いと言うの。そうでしょう?)

 そっと目を伏せた後、アイはその花を再び同じ場所に挟み込み、頁を閉じた。

 きっとこれから何度も、こうしてふとしたときに思い出して確認するのだ。

 わたくしの花がそこにあるのだ、ということを。

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