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ひとびと。 8:雪の下に眠る

 存命だった父が現れる懐かしい夢を見たキヨツグはその日、王宮にある霊廟に詣でた。

 雪の降りそうな銀空の下、褪せた冬草を踏んでいくと、リリスの始祖は歴代の族長が祀られる石廟がある。線香の煙で燻る廟には三つ四つの花束が供えられていた。白い息を吐き出して、刻まれた名を視線でなぞりながら愛された人だったのだと静かに思う。

 前族長セツエイ・シェン。雪の影の字を持つ養父から一字を贈られてキヨツグは名付けられた。両親から字をもらう古い風習があり、多くのリリスがそうして名付けられる。生まれ落ちてすぐ父母から離れざるを得なかった赤子へ、お前は私たちの子だと示すための名付けだったのだろう。セツエイも、その妻のライカも躊躇いなくそのように行動できる慈悲の心の持ち主で、非常に賢明な人物だった。

 セツエイからもらった雪の字を使って「雪継」と表す名だと教えられた幼い頃、キヨツグはぼんやりと違和感を覚えた。自分と父母はあまり似ていないように思われたし、親と子で宮中に仕える者たちのような家族らしい距離感ではないことを理解していたからだ。

 そうしたキヨツグの疑問を察知すると、二人は真実をゆっくりとだがつまびらかにし始めた。キヨツグは自分たちの実子ではなく、命山の守護者の直系であること。そのために必ず次期族長に選出されるであろうこと。養育者である自分たちは本来キヨツグの臣となるが、しかし血の繋がりはなくとも実の父母のように育てると決めていること。

 なるほど、と思った。二人が苦心して理解させようとしているのも伝わった。

 セツエイとライカは実の父母に等しい養育者であり、臣下でもあって、キヨツグをリリスという種族を導くことのできる人間に育てる義務があるのだ。

 心に翼を持ちなさい、とセツエイは幼いキヨツグに説いた。

『宙を行く者のように、心の翼でもってこの世だけでなく人の心をも見渡しなさい』

 視野を広く持てということかと尋ねると、セツエイは柔らかく笑い、キヨツグの小さな頭を掻き混ぜた。賢しらな子どもを笑うこともなく、覚えておきなさいとも言わなかった。

 この人は自らの発言を忘れられることを前提に伝えるところがあったが、風のようなそれは、いつしか影のように寄り添って、大事なときに存在を主張する。『影』の名を持つ彼そのものだった。

『心の翼は、様々な風を起こすだろう。人を傷付ける一方で愛するものを包み込み、守るだろう。世界を、人を、変えることもできる。お前は大きな翼を持つ人になるのだよ』

 彼の父のコウエイにしてみれば『ぼんやり』『のらくら』と散々な評価のセツエイだったが、自らよりも数倍年上の、夢見の巫女を真夫人に迎えた人が凡庸なわけがない。不思議な物言いをする人ではあったが、キヨツグがリリスを治めるために必要な知識を身に付けさせようと、リリスでも古い一族であるセノオの者たちの元へと送り、草原の暮らしや馬の扱い、剣や弓の技術を徹底的に学ばせたのだ。おかげでキヨツグには養父母や義理の兄弟がもう一つある。

 思えばそれもセツエイとライカの思いやりだったのだろうか。族長位が継承されると先代は然るべき時期に命山に昇る。俗世と縁を切り、政にも関わらなくなるのだ。族長となったキヨツグの元から去った後、自分たち以外に寄る辺となる身内を作っておいた方がいいと考えたのかもしれない。

 実際キヨツグはいまでもセノオ一族のヨシヒトと親しく付き合っており、彼らの里には知人も多く、早くアマーリエを連れて遊びに来いと催促されている。

(……もしあなたが生きていたなら、私に及んだ変化を、きっとまったく驚かずに、微笑んで眺めていたのだろう)

 決して何者にも心動かされず、揺るがない者。

 族長として人を、心を、愛する者までもを疑い、ときには手を下さねばならない。理解者を求めてはならず、心を許すことはあっても委ねてはならない。

 そのようにあれと教えられ、そうであるように自らを律して、キヨツグは公子となり、セツエイの没後、族長に就任した。その頃には一部で反発を呼ぶくらい、感情の起伏はほとんどなく、厳しい処断ができるようになるくらいになっていた。

 それゆえに命山やその後ろ盾を得ているキヨツグを否定するカリヤたちの一派や、マサキを担ぎ出そうとする者たち、モルグ族との変わらぬ戦、ヒト族の躍進といった出来事も、潮目を眺めるがごとく対処してきた。

 生まれ落ちたときに宿命づけられた、とこしえの孤独。

 すべてが変わったのはキヨツグがアマーリエに出会った瞬間。

 そう、結婚のこともセツエイは事前に準備をしていた。成長したキヨツグが異性や恋愛への興味が希薄だと早々に気付くと、それでも気にしない胆力と真夫人にふさわしい資質の持ち主を吟味していたようだ。キヨツグ自身も政情や立場を考えた相手と親しくしていたが、何かの拍子に「お前の好みはよくわからないね」とセツエイが微笑んでいたことがある。参考にならないという意味だが、異性の好みなどなかったのだから仕方がない。

 己が己である限り、真の愛を得ることはない。

 そう思っていた。

(……あなたが見繕っていた有力者でもなく、政略的に選ばれただけの娘でもない、自らの意思で望んだ者を妻に迎え、愛するようになるとは、さすがのあなたも想像しなかっただろう?)

 どうかな、とセツエイの声が聞こえた気がした。

 生きているのだから、そういうこともあるのではないかな――と、笑う声。

 想像して、ふ、とキヨツグは目元を緩めた。

 亡くなったとき、キヨツグは悲しいと思いこそすれ、決して自らの歩みを止めることはなかった。彼の死の遠因となった者たちはすでに処分しており、弱り切った身体を元に戻す術はなく、責めを負わせられるものが何一つと存在しなかった。また未来を夢に視るライカがこのときを最初から知っていたことがわかると、避けようがなかったのだと受け入れたのだ。

 セツエイもそれでいいと微笑むだろう。

 しかしいまは、もう少し天命に抗ってみたかったと思う。

 リリスの中のリリスである血の宿命を負って生きる息子の、さだめられた孤独を和らげるためにできる限りのことをして、慈しみ育ててくれた恩にわずかでも報いるために。

 キヨツグはセツエイの碑の前に跪くと口を開いた。

「……叶うなら、我が子を、抱いていただきたかった」

 かすかな息苦しさは胸の痛み。父への哀惜だった。

 しばらくの後、キヨツグは廟を出た。見上げた空は雪の色、刃の色、なにものにも染まらない孤高の色。

(……エリカとコウセツに会いたい)

 咲き染める花の色の瞳が笑うのを、幼い息子のあどけない声にいますぐ触れたい。

 愛する者たちを思い、望みを抱いて、キヨツグは自らの場所へ戻っていった。

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