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ひとびと。 6:人生の戦場

 草原中央部の雪は淡い、とリオンは思う。

 北部戦線に駐留する立場上、王宮に戻ることは滅多になく、リリスの雪といえば北領を埋める白、氷塊のような根雪と力強い吹雪だった。モルグ族との和睦が表面上ながら成立した現在、こうしてシャドに戻り、王宮に上がると、この地の雪はなんて柔らかく儚いのかと思うのだ。

 白い息を吐きながら馬を駆る。蹄が蹴立てた雪が舞う。

 平和だ。つまらん、と贅沢なことを言い出しそうになるくらいに。

 雪の上に鮮血が散る、それがリオンとリオンが指揮する猛者たちの日常だった。その痛みや高揚を、政の中心にいるキヨツグは決して理解できまい。理解してはならない、と思う。そこまでの危急をリリスにもたらさないことがリオンたちの任務、平穏を保つことがキヨツグの役目だ。

 北部戦線は哨戒部隊を置いて撤退し、定期報告とリオンの巡回を行っている。変事、兆候もなしの報告をし、今後を決める重要な話し合いを大雑把にまとめてしまうと、リオンはぐったり疲れてしまっていた。

(こんなにも面倒なのに、これ以上わずらわしい王宮にいられるものか)

 脳裏を支配する考え事を振り払って自由に過ごしてやろうと、リオンは一人街に降りた。

 王宮に戻ったときの楽しみは食べ物と酒だ。リリス全域のものが集うシャドの街の食べ物は、現地で口にするより多少味は落ちるものの、種類が豊富で新しいものも多い。

 酒が美味いことで知られる酒場へ行くか、それとも大皿料理をかっくらうべく大衆食堂へ行ってみるか、はたまた熱い麺を啜ろうか、などと考えながらぶらぶらしていると、片足を引きずるようにしてゆっくり歩いている男の背中を見つけた。

(おや珍しい。カリヤ・インだ)

 本の虫。陰険。不機嫌の塊。リオンの知るカリヤは街中や人混みよりも書物と文字と一人の時間を好む男で、淡雪の降る街を散策する人間でもなければ、街の往来を一人出歩く気軽な身分の持ち主でもない。

(一人でどこへ行くつもりだろう。浮気か? 懇ろな女でもできたのか)

 リリス族は基本的に自由恋愛が推奨される。子どもが生まれにくいため、早くから関係を持ち、妊娠すれば結婚の流れになるのが一般的だ。複数の女性が身ごもってしまい、実質的に一夫多妻となってしまう例も少なくない。ゆえに結婚時にすべての関係を洗い出し、清算するのが男の役割ともされる。

 そしてカリヤは周囲の評価に反して愛妻家だ。憎まれ口を叩きまくるが、妻と愛娘には頭が上がらない。

(どちらにせよ不審な動きなのは間違いない。弱味を握るいい機会かもしれん)

 あのユメ御前が静かに怒り狂う修羅場を想像してにんまりすると、気配と足音を殺してカリヤを尾行することにした。

 逢引なら然るべき待ち合わせ場所に向かうだろう。待ち人がいるのか、店に入るのかと様子を窺うが、通りの店やすれ違う者を気にする素振りもない。

 ユメが結婚するという報告を受けたときも驚いたが、相手がカリヤだと聞いてさらに驚いたことを思い出す。

 勇猛果敢、優秀な武官を多く輩出するイン家の跡取りが、武官を引退して書庫に住み着くようになった異端者と結婚するとは。始終嫌味を言う男の何がいいのかといまでも思う。しかもカリヤは反キヨツグの革新派だったのだ。そして現在、その主張を翻す形で族長の秘書官を任じられている。リリスをまとめるために反対勢力の先鋒であったカリヤをキヨツグが取り込んだ形だが、忠誠心は皆無だろう。何故そのような状況になったかリオンは薄々察している。

(カリヤはユメと愛娘以外のことでは決して動かんからな……)

 汚いやり口を用いたであろうキヨツグに呆れるが、カリヤに同情はしない。キヨツグへの理解が浅いゆえの手落ちだ。そして反撃に出ずに現在の状況に甘んじているのは、それでいいとカリヤが納得しているからだろう。

 そんなことを思っていると、ふっ、と、前を歩いていたはずのカリヤの姿が消えていた。

 リオンは目を凝らして人波と物陰に姿を探した、その瞬間だった。

 横から薙ぐ気配を察知したリオンは左手を振り上げ、右手で剣の柄を握る。打撃音が響くと近くにいた者たちが足を止めた。

「……姫将軍殿?」

 左腕の鈍い衝撃に顔を顰めるリオンに、死角から杖を振り下ろしたカリヤが訝しげな顔をしていた。

「何をしているんですか、こんなところで」

「それはこっちの台詞だ」

 暴行騒ぎではないと示すように立ち止まる者たちを視線で追いやって、人の流れを邪魔しないよう道の端に寄る。

「仕込み杖か」

 受けた左腕をさすりながらカリヤの杖を指す。

「大変失礼をいたしました。不埒者が後を尾けてきていると思ってしまったもので」

 しれっと言いながら杖を突く。見た目は木製だが、恐らく芯は金属だ。武器にもなるし、細身の剣や小刀くらいなら防ぎ切ることができるだろう。こうした備えも万全なのがカリヤ・インらしい。

「で? 何故私の尾行などなさっておられるんです。暇なのですか?」

「たまたま、姿を見かけたから気になってな。書庫守と呼ばれたお前が外出とは、明日は吹雪かな」

「下手な挑発ですね。外出くらいしますよ。どうせ私の弱味でも握れると思ったのでしょう?」

 リオンはにやりとした。

「よくわかっているじゃないか」

 カリヤはうんざりした様子で肩を落とした。

「残念ながら弱味にもなりません。節句の菓子の予約に行くだけですから」

 年が明けてしばらくすると春の節句があり、幼い子ども、特に女児の健やかな成長を願う。そのとき祝いの料理や菓子は子どもを祝福したい大人たちが総出で準備するのだ。

 カリヤの目的は間違いなく愛娘の祝いだろう。出入りの店の者に頼めばいいものを、わざわざ出歩いているのなら、恐らくカリヤのこだわりがあると思われる。

「なるほどな。娘御は息災か?」

 二度目のため息はもっと大きくなっていた。

「武官の娘はみんなああなんでしょうか。剣が大好きで、武器に関して凄まじく物覚えがよくて、目に入った瞬間に名称を叫ぶんです。普通の娘らしく平々凡々としていればいいものを」

「ほほう、武才があるのか。それは楽しみだな」

 あのユメ御前の娘だ。凛とした美貌と切れ味鋭い剣技を備える立派な武人に成長するに違いない。いや少女時代からリオンも指導に入ればリリス最強の剣士に育つやもしれぬ、と想像が膨らむ。

 するとカリヤは微妙に険のある目つきでリオンに言った。

「他人の娘を心配する余裕がおありですか。それとも現実逃避ですか?」

「うん?」と思ったが、「ああ」とすぐ理解に至った。

「なんだ、聞いたのか。私とモルグ族の若長の婚姻について」

 和睦が成ったモルグ族がリリス族に持ち込んだ、政略結婚。双方の平和の象徴としてリオンは花嫁になる。異種族を娶った義兄とは逆に、異種族に嫁ぐ女になるのだ。

 キヨツグへの報告とその話をまとめたのが先刻のこと。公への周知は後日だが、政に関わるので秘書官のカリヤが知っているのは不思議ではない。

「お前の娘の将来を楽しみに思うのと、私の結婚は関係ないだろう」

「思うところはないと?」

「そもそも繋がりようがない。状況が変わらねば縁談は勧められるし、私は義姉上のように想像力が豊かではないゆえ、結び付けて考えたところで、いずれ生まれるであろう我が子に思いを馳せるくらいだ」

 様々な事象を己の心に照らし合わせて思いの在り処を確かめるアマーリエは、それゆえに繊細で心優しく、あらゆるものを可能な限り理解しようと努力を怠らない。彼女ならカリヤの台詞に、生まれくる我が子や将来や幸福を思い、政略結婚に対して何を思い、いかに望むのか心を定めるのだろう。

 だがあいにくとリオンはそのように可愛らしい性格ではない。

「子どもは未来だ。お前の娘も、生まれるかもしれない我が子も、皆等しく幸いであれと望む。私の結婚はその通過点、平和の礎の一つとなるだろう。私が思うのはそのくらいだよ」

 族長の娘として生まれ、姫と遇される在り方に反発し、武人としてここまで生きてきたリオンだった。武の心を持っていても幼少期に染み付いた族長の娘としての義務感は褪せずに残っている。すなわりリリスのために身を捧ぐ。政略結婚はその最たるもの、命じられて当たり前のものだと思っている。

「天様に怒りを覚えないのですか?」

「あれは有能すぎるくらい有能だ。私を将軍にまでしたのも才を見出したゆえのこと。この結婚も私が最適だと考えての話だ」

 だが、と先ほどキヨツグと話したときのことを思い出してリオンはつい噴き出しそうになる。

「だが、あれにもずいぶん変化があったようだ。『よく考えて答えを出すように』と猶予を与えてきた。『受け入れがたいのならば断ろう』とまで案じられたぞ」

 以前は拒絶するはずがないという口ぶりで連絡事項を告げる調子だったが、いまでは相手の意見に耳を傾けようとする思いやりを見せるようになった。反論や主張を口にする相手を、決定したことだからと言い包めるのではなく、感情や思いを尊重しようとする姿勢だ。

 為政者としては避けるべきだが人としては望ましい感情だ。

「あれと私はなかなか相容れんが、近頃は面白いと思うようになった。お前もそうだろう?」

 リオンは晴れやかに笑った。

 キヨツグの変化、それは政略であったはずの婚姻によりもたらされた。いまも彼の傍らにいる片割れ。二人の子を抱く花嫁、真夫人アマーリエはリリスをも変えた。リオンもカリヤのその一部に過ぎない。

 カリヤは渋い顔でため息をついたが決して否定しなかった。

「別に何か言いたかったわけではありませんが、お考えはわかりました」

「わかってくれて嬉しいよ。一杯どうだ?」

「話を聞いていらっしゃいましたか。菓子を頼みに行くんです。終わったらすぐに帰ります」

 それは残念とリオンは笑い、これ以上無用な時間はごめんだと首を振ったカリヤと別れた。

 だが少し行って振り返ると、カリヤはしばらく行った先の装飾店の店に入っていく。菓子店に行くと言った口で寄り道とはいい度胸だが、愛妻への贈り物だと容易に想像できてリオンはくつくつ肩を揺らして笑った。早く一人になりたいわけだ。女性ものの装飾品を買っているところをリオンに見られたらしばらくは顔を見る度に話題にされると思ったに違いない。

 店先に立ってカリヤを待ってもよかったが、今度こそ乱闘騒ぎになりそうだったので店の者のためにも諦める。

 のんびりと平穏を歩むが、もう、つまらんとは思わなかった。

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