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第八話 第一次お弁当戦争《勃発編》

 日本には『家事のさしすせそ』なるものがある。


 曰。裁縫。

 曰。躾。

 曰。炊事。

 曰。洗濯。

 曰。掃除。


 まぁ、ベタと言えばベタであるが、これらを完璧にこなしてみせるのは決して容易なことではない。

 今回のお話はこの『さしすせそ』の中の『す』に悪戦苦闘しながらも、果敢に勝負を挑む乙女たちの物語である。




――※――――――――※――




 なんと言いますか、形容しがたい妙な思考が頭を駆け巡っています。

 いうまでもなく、そのメランコリックな気持ちの原因は琴音さんと奏さんに押し付けられたアレのせいなのですが、押し付けられるに至った理由が自分にあるのですから、何かぶつけようのないもやもやとした感情が僕の中でくすぶっているのです。

 止まる気配のないため息に、自分自身びっくりですよ、はい。


 僕は視線を手元から窓の外へと飛ばします。

 青い空に薄い雲のコントラストが素敵です。都会のなかでもこれほど美しい風景が見られるんですね。忙しい日常では見落としがちですが、改めてこうやって見ると日常の一風景も一枚の絵画になりえるのではないでしょうか。

 そう考えると、自然と笑みが浮かびます。

 あっ、小鳥が飛んでますよ? かわいいですね。


「……や、現実逃避中に悪いんだがノールックで野菜を切るのはやっぱ危ないと思うんだが」

「あ、すごい。見ないまま鮭切りだしたよ」

…ん? どうしたんですか? そんな微妙な顔をして。


 隣でエプロンと三角巾を着けたタロ君と真君が僕を気の毒なものでも見るような目で見ています。

 手を拭きながら二人の方に向き直ると、目が合ったタロ君が苦虫でも噛み潰したような渋い顔をして口を開きました。


「……やっぱ大変か?」

…ぼちぼちです。若干眠いですが。

「少し眠いぐらいじゃ料理しながら寝たりしないと思うんだがな」

「お願いだから無理しないでね……」


 僕の言葉と様子に若干苦笑しながらタロ君がレタスを水で洗い、真君が心配そうな声をあげながら危なっかしい手つきでジャガイモの皮を剥いています。


 はい、もうここまでくればこの時間に何をしているのかはわかりそうなものですが、今の時間は家庭科の定番、調理実習なのです。

 お題は特にありませんでした。

 事前に欲しい食材を報告して、男女別れて三、四人のグループを作り、好きなようにご飯を作れ、というひどくアバウトなものでした。

 なので、今回は普段家事をしている僕が指揮をとることになったのですが、昨日、例の警備の配置について学校の見取り図を持ってきてくれたクイナさんと夜遅くまで頭を捻っていたので思い切り寝不足だったりします。


 この学校の塀は軒並み平均よりも高いので、登って侵入するのは不可能のように見えますが、それこそ本気になればハシゴでも台でも置いてよじ登ることは出来ます。

 そうなると正規のルートにだけ人員を割くことが出来ず、どうしても学校全体に人を配置しなければいけません。

 ですが、人員にも限界があるでしょう。風紀委員の方々を警備に回すからうまくやりくりしてくれ、と言われてましたが、一学年二十人、三学年合わせて六十人―――その半分は女の子で人員として計算出来ないので、男の子三十人しか人手が見込めません。さすがに三十人程度では学校全体をカバーすることは難しいのです。

 しかも襲撃が確実とあらば一人で見回りをしてもらうわけにもいきません。三人組(スリーマンセル)、或いは四人組(フォーマンセル)で動いてもらわなければいけないでしょうから、実質、目が届く場所はさらに狭まります。

 あちらが一点突破を目指してくる可能性、分散して一斉に攻め入ってくる可能性、はたまたどうにかして学園内に侵入して内外から同時に食い破ってくる可能性、などなど考慮して配置を決めると、どうしても警備が薄い場所が出てきてしまうのです。

 一応、その旨を琴音さんと奏さんに伝えたのですが、『了解した』としか言われずに割と混乱しています。任せられたからにはこれくらい自分で解決出来なければいけないんでしょうね……。


「ま、なんだ。あんまり大変なようだったら俺にも声をかけてくれよ。一応、身内が迷惑かけてるわけだしな」

「僕も。友達が辛そうなのは見てられないよ」

…んんん。心配を掛けてしまい申し訳ありません。


 ふと、気がつくと僕は自然に笑みを浮かべていました。

 二人が僕のことを気遣ってくれているのが、申し訳ないと思う反面、すごく嬉しかったのです。

 友達とは、いいものですね。



 昔の僕は人と向きあうことを恐れていました。施設にいた頃は、話しが出来たのが義姉さんと園長先生くらいでした。

 義父さんと義母さんに出会っても僕の人見知りはあまり改善されませんでした。初見の人とは口を聞かないどころか、目すら合わせない始末です。いつも義姉さんの後ろに隠れて様子をうかがっていました。


 たぶん、自分のことを理解されることが、自分の心に踏み込まれることが怖かったんだと思います。

 同時に、誰かを理解することをも恐れていました。誰かを理解することで、自分が自分を保つことが出来なくなるのではないかと考えていたからです。

 まぁ、今にしてみれば、何言ってるんだこのすっとこどっこいは! とか思ったりもするのですが当時の僕は真剣にそんなことを考えていたのです。


 結果、全てを失ってしまった時に誰にも相談が出来ず、塞ぎ込んだ僕は義姉さんを傷つけてしまったのです。


 痩せた腕。

 閉じた瞳。

 白い天井。

 繋がった点滴の管。

 僕が僕のしたことに気がついたのは、義姉さんが倒れてからしばらくしてからでした。



「んー…、お前やっぱすごいぞ。そんな状態でも料理って出来るもんなのか?」

「心ここに有らず、って感じだね……」

…ふぇ? 何か言いました?

「んにゃ、何でもない。とりあえず包丁と火ィ使ってんだから気をつけろよ」

…え、はぁ。


 タロ君が苦笑い、というか呆れたような表情で手のひらを僕の方に向けました。


…えっと、何ですか?

「ほら、貸せよ。代わるから」

「じゃあ、僕はお鍋担当しようかなー」

…ええ? しゃ、じゃあよろしくお願いしますね。


 包丁だけでなくお鍋も真君に持っていかれてしまいました。

 焦げないようにすればいいんだよね、とか、魚を捌くのはなかなか難しいな、とか言いながらガヤガヤと料理を始めた二人を見て、ようやく二人の意図に気付きました。


 お気遣い感謝します……。


 やっぱり、友達はいいものですね。




――――※※※※――――




 私は割と悩んでいた。

 一応、生物学的には女になる私だが、家事全般はあまり得意な方ではない。特に料理は苦手な分野に入る。


 ”料理はセンスが必要である”


 誰かが言った名言だ。全面的に同意せざるを得ない。

 多分に私にはそういったセンスが欠如しているのだと思う。

 一ヵ月ほど前に、卵一ダースを漏れなく産廃にしたところで私はようやくそれを確信した。

 ちなみに作ろうとしたのはダシ巻き卵だ。


「私は認めませんことよ!」

「…それでも私たちには何も出来ない」

「それでも認めたくないものは認めたくないのです!」


 隣で先程からぎゃあぎゃあと騒いでいるのは巻き髪と喋り方がいかにもな感じのお嬢様―――北条美佳ほうじょうみかだ。

 ちなみにその目は、目の前で良妻賢母よろしく、エプロンを着けて料理を作り続けている長身の彼女―――立川茜を睨み付けるように向けられている。


 今更説明が必要とは思えないが、一応説明すると、今は調理実習の時間だ。

 そして、私と巻き髪の彼女は何も出来ないどころか、手伝えば間違いなく目の前の長身の彼女の邪魔になるため、大人しく椅子に座っているというわけだ。

 まぁ、本当に何も出来ない、というわけではない。

 時折出る洗い物を洗ったりするなど、一応、現時点で私達に出来ることをやっているのだが、普段料理をしている人間はさすがに違う。最低限の洗い物しか出ないのだ。


 詰まる所、暇なわけだ。


「貴女は悔しくないんですの!? 私は悔しいですわ! こんなところでも彼女に水を開けられていたなんて……っ!」


 キーッ、とハンカチの端を噛んで悔しそうにしている彼女を見てから、鼻歌まじりにリズミカルに包丁を扱っている彼女を見る。


 まぁ、何というか、器が違うのだなと思った。


 とはいえ、そんなことを迂闊に口に出す程、私は空気が読めないわけではない。ここは黙って生温かい視線を送るべきなのだろう。彼ならたぶんそうするだろうから。


 はたと気がついてその彼に視線を移す。

 今日は彼にしては珍しく何やら眠そうな顔をしていた。心を覗いてみたところ、思考も纏まっていなかったから、相当なのだと思うが。


 …彼は虚空を見据えながら包丁を握っていた。

 いや、もう言うまでもなく危ないのだが、それでいて危なげなく野菜を切っていた。

 手際の良さは熟練の主婦を思わせる。


 ……ちょっと悔しくなってきたかも。


「あら! ようやく貴女もその気になったようね。やはり一人の女としてこんな所で遅れを取るわけにはいきませんことよ!」

「…………」


 私の手を握って目に炎を浮かべる巻き髪の彼女に、周囲から冷たい視線が注がれている。

 何かと長身の彼女に突っかかる巻き髪の彼女とその取り巻き達、という構図はこのクラスになってから一ヶ月後にはすでに出来上がっており、今までに挑んだ対決の数は十や二十では足りない。

 三人寄れば文珠のなんたら、とは言うものの、長身の彼女のスペックはちょっと異常だ。前に言ったような気がするが恋愛沙汰と蛙以外はあらゆる分野において隙がない。

 まぁ、そうなるとアンパンのヒーローに毎度懲りずに吹き飛ばされるバイキンの悪役、という予定調和的な関係が生まれるのは想定の範囲内であり、たぶん、卒業まで変わることのないパワーバランスなのだと思う。


「あの()をギャフンといわせる方法……」


 とは言え、巻き髪の彼女も中々に頭が切れる。

 それこそ、名家の跡取りとして恥ずかしくない程度にはあらゆる能力がある。

 問題があるとするならば負けん気が強すぎることと、次のパートナー候補が私だということくらいだ。


「そう……、そうですわ! 来週の体育祭でお弁当対決をしましょう!」


 巻き髪の彼女は、まるで名案でも思い付いたといった様子で手を打つと、瞳に宿した炎を更に激しく燃え上がらせてそう高らかに宣言した。


 …斯くして、巻き髪の彼女と巻き込まれた私の、限りなく勝ち目の無い、薄氷の上でランバダでも踊るような戦いが始まったのだった。




※――――――――――――※




 悩みの種がまた一つ増えました。

 よく茜さんに突っかかっては返り討ちにあっている北条美佳さんが、またも茜さんに勝負を挑みました。

 それだけならばさほど問題はないのですが、何故か僕がSA(スペシャルアドバイザー)として呼ばれてしまいました。


 何でも、今回のお題目は体育祭に持っていくお弁当らしく、僕が家で家事を一通りこなすことを知っていた美佳さんが僕に、料理を教えてくれないか、と打診してきたのです。

 本来ならば、そんな荷の重い大役は丁重にお断りするところなのですが、今回はお手伝いをさせて頂くことになりました。

 何故そんな依頼を受けたのかですが、常に真正面から、決して諦めずに何度でも挑戦していく美佳さんの姿勢に心打たれたというのもありますが、実は他にも理由がありました。


 まぁ、やるからには全力でサポートさせて頂きます。

 何故かむくれている様子の波音さんの頭を撫でつつ僕は携帯を取り出しました。


「…ヒロ君が携帯を持つなんて珍しい」


 不機嫌そうな表情が少し和らぎ、代わりに不思議そうに目を細めて波音さんが首を傾げました。


「誰にかけるんですの?」

…援軍です。僕よりもよっぽど頼りになる人ですよ。


 波音さんと同様に、不思議そうな顔をしている美佳さんに苦笑を返しつつ、僕は短縮ダイヤルの一番を押して目当ての人に電話をかけました。

…と、いうわけで協力願えますか?

『いいよいいよー。みんなで作るご飯は楽しくておいしいからねぇ』

…助かります。買い物をしてから帰るので家に着くのは五時過ぎになるかと思います。

『うん、わかった。あー、あとこれで貸し二つ目だからねー』

…え? 一つはわかるんですが二つですか?

『ふふ……詳しくは第一話を参照してくれたまえ』

…ちょっ! アレって海に行ったのでチャラじゃないんですか!?

『何を仰る。アレは単なる私のわがままですよ。ってわけで! 近々その返済を求めるからよろしくねー』

…ちょっと待ってください! もしもし!? もしもーし―――……


次回『第一次お弁当戦争 準備編』


お楽しみに。

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