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第五話 おそく起きた朝に

 少年は夢を見ました。

 それはとても懐かしい夢です。

 大きな大きな家がありました。おいしいおいしいご飯がありました。そして何より暖かい家族がありました。

 まるで絵本の中のようなそれは、孤児院にいた頃から求めていたモノで、大好きな人に恥ずかしさに顔を赤らめながらもつい話してしまうほど夢と希望に満ち溢れた青写真。

 それが突然に叶ってしまったのです。少年は純粋に、ただ純粋にそれを喜びました。


 ゆっくりと、歯車が動き出したのにも気づかずに。




――――※――――※――――




 まどろみの中から完全に目を覚ましたのはつい先程のことでした。

 いつもと違うところに置いてあるデジタル時計に目を向けると七時三十分と表示されています。

 あれ? タイトルと違うよ……ゴニョゴニョ。


 脳内自動ツッコミ機能を解除してぼーっと天井に視線を這わせる僕ですが、不意に隣でもぞもぞと動く気配を感じました。


「……んんん」


 寝言と言いますか呻き声と言いますか、そんな声をあげたのは僕の腕の上で眠る義姉さんです。

 僕たちは今、義姉さんの部屋にある少し大きめのベッドで横になっているのです。



 やや……、一応説明しておきますが僕たち、服は着てますからネ? と言いますか二人とも制服なんですが。

 結局、あの後そのまま寝ちゃったんですよね……。


 腕の上でうごめく髪の感触にこそばゆさを感じながら空いた方の手を義姉さんの顔に近づけます。

 涙の痕が残っている頬をなぜ、少しだけ罪悪感に苛まれます。


『一人に……しないで』


 胸にズキンと痛みが走り、たまらずに義姉さんから視線を外します。


『護るから……今度は絶対に、ボクが護るから』


 無責任に言い放った約束事が頭の中をぐるぐると回っています。

 僕はきっと、それを言うことで少しでも自分の中の罪悪感を和らげようとしたのですよ。



 義父さん、義母さんが死んだという情報が流れてから、関係者の人たちの搾取が始まるまではそれほど時間はかかりませんでした。

 まるで最初からそうなるのがわかっていたような手際の良さで債権や株式、その他を僕たちの知らないところで根こそぎにしていきました。

 子供であり、経済的な知識など皆無に近かった僕たちでしたから、なすすべなくそれらを喰い破られ、蹂躙されていきました。

 メチャクチャにされたのはなにも資産だけではありませんでした。

 心も、それに引っ張られるように体も。


 時計の秒針のように確実にゆっくりと。

 掌の中の砂のように確実にゆっくりと。


 気が付けば僕の前には倒れている義姉さんがいて、僕は膝をついていました。


『一人に……しないで』


 その時、義姉さんが漏らした一言は、僕のその後の人生を決めました。




…ダメじゃないですか。


 ぽつりと、頭の中で考えていたことが口からこぼれました。


 わかっていたはずです。

 義姉さんがあの一件以降精神的に脆くなっていることを。

 たまに幼児退行のように幼い部分を見せることを。

 なのに、僕は……僕は……――


「そんな悩まなくてもいいんじゃないか?」


 思考の渦に飲まれそうになった僕に、聞き覚えのある男性の声が掛かりました。

 声の発信源、先程まで閉まっていた部屋の入り口にはキツネ目にビシッと決めた黒髪、それと対照的によれよれのスーツを着こんだ長身の男性がコーヒーカップを片手に壁に寄りかかっていました。


「久しいな、坊。一年ぶりくらいか? 相変わらず女難の相が浮かんでるぞ」

…余計なお世話ですよ竜也さん。あと最後に会ったのは二ヶ月前です。


 そうだったっけか、と笑いながらトレードマークのキツネ目をさらに細めて笑うのは僕たちの恩人、この家や日々の生活費を他の人たちから守り抜いてくれた義父さんの側近である水無月竜也(みなづきりゅうや)さんです。


「坊にしては珍しいな、こんな時間まで眠ってるなんて」

…土日くらいはゆっくり寝かせてください。

「ハハ、なんか言うことがジジ臭いな」

…放っておいてください。


 昨日は金曜日でした。新学期始まってそうそうに土日と二日休めるのは嬉しいことです。

 特に今日みたいな日は、です。


「それにしても、その、なんだ……?」

…どうかしましたか?


 眉根を寄せて微妙な顔をする竜也さんに僕は自由になっている首だけを傾げて聞いてみます。


「坊も意外と大胆なんだな。義姉の部屋に夜這いとは……。しかも制服プレイだと? ちくしょう……羨ましいぞ、ちくしょう………っ!」

…いやいやいやいや、もうどこから説明すればいいかわからないんですが。てかもう最後の方は僕もツッコミきれませんからねっ!?

「しかもだぞ!? そういうオプションは別料金発生のシステムがあってそれがまたけっこう高いんだ。けど一度それを体験すると俺の[ピヨピヨ]が[ピヨピヨピヨ]で……」


 事のあらましを説明しようと試みましたが残念。僕の話を聞かずに竜也さんはぶつぶつとなにかを呟いています。

 ちなみに[]内は不適切な発言だったのでヒヨコの鳴き声を被せておきました。かわいいですね。


 この小説のジャンルが変わってしまう前にどうにか止めなければ、と頭を捻っていると援軍は思わぬところからやってきました。


「ん……んんん………」


 義姉さんが漏らした寝言です。

 それに気付いた竜也さんはぶつぶつと呟くのを止めてこちらに向き直ります。


「……こんなところで騒いだら嬢のこと起こしちまうか。とりあえずリビング行くぞ」


 心持ち、声のトーンを下げた竜也さんに従い、腕を義姉さんの頭の下から引き抜いて替わりに枕を入れます。

 最後に義姉さんの寝顔を見ると、どこか悲しげな表情をしている、気がしました。




 コーヒーの香ばしい匂いがキッチンを占領するなか、それを切り裂いたのは僕の話を黙って聞いていた竜也さんでした。


「ふむ、それで結局お前はどうしたいんだ?」


 新しく入れ直したコーヒーに砂糖を大量投入しながら竜也さんが僕に話を振ってきました。


 僕たちの事情をおおよそ把握している竜也さんに説明をはじめて十数分。話しながら気持ちの整理をしようとしたのですが……。


…正直、どうすればいいのかわからないんです。

「ま、そうだろうな」


 僕が漏らした一言に、気抜けするほどあっさりと竜也さんが肯定しました。

 なんとなく怒られるかと思っていただけに意外でした。


「別に坊を怒る必要はないだろ」


 僕の顔色から心中を察したのか、そんなことを言いながらコーヒーカップに口をつけました。


「やりたいことなんて分からないやつの方が圧倒的に多いんだ。何だかんだで就職なり恋愛なりして過ごしちゃいるがみんなそれを本当に求めちゃいないからな」

…そんなものですかね?

「そんなもんさ。人はそういうジレンマの中で生きてるんだ」


 コーヒーがまだ苦かったのか、はたまた嫌なことでも思い出したのか、苦い顔をして言葉を吐き出す竜也さんは虚ろげな瞳で天井を見上げています。


…実体験ですか。

「まぁ……肯定だな。あの人達に拾ってもらうまで、俺もぼちぼち悪いことに手を染めてたんだ。生きるためにな」


 あの人―――義父さんと義母さんのことでしょう。あの人たちは底抜けにいい人たちでしたからきっと竜也さんもお世話になったんでしょうね。かくいう僕も、お世話になりっぱなしだったんですが。


「坊の人生はまだまだこれからだ。もちろん嬢もだが、まだ考える時間は山ほどあるんだ。なら考え続けろ。自分の生きる道と、嬢との関係をな」

…考えても答えが出なかったら?

「出せ。それが坊、お前の命題だ」


 いつものようにひょうひょうとしながら、それでいて強い調子で竜也さんが断言します。

 話はそれで終わりだと言わんばかりに鼻を鳴らしてコーヒーカップに口をつけましたが、その中身が無くなっていることに気付いて立ち上がりました。

 いつもとどこか雰囲気が違う竜也さんの姿を見て、僕は少しだけ考えた後に口を開きました。


…竜也さん。

「なんだ?」

…シリアスは似合いませんよ。

「うるせーよ! わかってるよ!」


 僕の言葉に先程以上に苦い顔をして怒鳴る竜也さんでした。



 なんやかんやで竜也さんは自作のコーヒーを飲み干して帰っていきました。

 相変わらず元気な人だなぁ、と呆れると同時に感謝の念も沸いてきます。

 たぶん僕らの状況をどうにか知って、わざわざ朝早くから駆けつけてくれたのでしょう。

 そういうお節介なところも昔と変わりません。

 けど、本当に……ありがたかったです。


…よいしょ、っと。


 腰を上げ、空になったコーヒーカップをカチャカチャと音を立てながらキッチンに運んでいきます。

 早く洗わないと食器にコーヒーの跡がついちゃいますからね。



 水音。食器の音。外から聞こえてくる子供の声。

 色々な音が混ざりあって、それでいて静寂を称える奇妙な時間が過ぎていきました。


…こんなところでしょうか。


 タヌキのアップリケが付いているエプロンを外して手を拭きます。

 テレビの上に乗っている時計はいつの間にか十時を過ぎています。

 何となく主婦の悲哀を感じながらご飯の用意をするか思考します。

 お米だけでも炊いておきましょうか? あー、けど……。


 義姉さんの昨日の様子を思い出して、少しだけ心が折れそうになりましたが同時にあの様子だと夜ご飯は食べていないだろうとも思い至りました。

 ………。

 ………。

 よし! 今日のお昼は冷蔵庫の大掃除と称して思い切り豪華にいきましょう!

 グッと握りこぶしを作って気合いを入れたところでリビングのドアがやや乱暴に開きました。


 竜也さんが帰った今、この家にいるのは僕と義姉さんだけで、そのドアの向こうに立っているのはやっぱり義姉さんです。確かに義姉さんなんですが……。


…な、なぜに麦わら帽子……ですか?

「海賊王に、私はなる! ……じゃなくて」


 水色のワンピースに麦わら帽子と典型的な夏ファッションな義姉さんに、今は秋だと教えるべきか悩んでいると、当のご本人である義姉さんはビシッと北の方角を指差しています。


「野郎共ッ! 海に行くわよ―!」

…そっちには山しかないですよ。

「帆を張れ―! 酒を用意しろー! ヤイサホー!」


 僕のツッコミを華麗に無視する様は、まさに海賊王のそれでした。

用意を済ませました。

日焼け止め、ピクニックシート、おにぎりに水。

濡れてもいいように替えの靴下をリュックに詰め込んだ所で僕は思わずため息を吐いてしまいました。


…何にせよ、元気になってくれるのなら問題はないのですが。


次回『海と夢のあとに』


…義姉さん、スイカは持っていきませんって。

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