第二話 愉快な仲間と義弟君
友達ってのは割と大切な財産だ。
金でもなく、打算でもなく、体裁でもない。
何かをしてくれるでもないが、いつも隣にいて話を聞いてくれる他人。
人生にはそんな人間が必要になることが必ずある。
一度どん底にまで落ちた彼はその辺りをよく把握している。
昔の彼の回りには、そんな人間がいなかったから。
――※――※――※――
「へい、橘はこれでペケ三な」
息も切れ切れに教室に飛び込んだ僕を迎えたのは、体育を担当している男性教師、橋本先生の慈悲無きお言葉でした。
急ぎに急いでここまで走ってきたのですが、結局始業式には間に合いませんでした。
それもこれもあのようなよからぬゲームを始めた義姉さんのせいなのですが今さらなにを言い訳しようと無駄なのでなにも言いません。
ちなみに『橘』とやたらに画数の多い苗字は僕のもの……といいますか義母の家の名字です。
「何だ? 何でそんな遠い眼をしてるんだよ」
…何でもないですよ。近い将来、僕の顔には一体どんな落書きがなされるのか恐怖におののいているだけです。
「安心しろ。目立たないように蛍光ペンで落書きしてやるよ。ま、その日の授業は全部暗い部屋でビデオだけどなぁ!」
橋本先生はふははと笑いながら手元にある名簿に少しだけペンを走らせます。
たぶん、僕の出席欄に遅刻をつけているんだと思います。
このクラスの方針は破天荒な先生の性格を見事に体現しています。
遅刻であったり、無意味な欠席はなんらかのペナルティーが科せられるのです。
このご時世にそういうスパルタ的なことをする先生は得てして嫌われるものですが、この人に至っては無駄にほとばしっているカリスマ性がそこら辺の不満を中和させているのです。
あ、ちなみにペケが五つで一日落書きされた顔で生活しなくてはいけないので何としてもこれだけは避けたいところですね。
それにしても……、先程から先生の後ろに気になるモノがあるのですが、何かツッコミ待ちのような顔をしている先生に素直にツッコミを入れるのは釈然としないものがあります。
かといってこのまま放っておくと、先生の性格からきっとそのまま進んでしまうので、やはりなにがしか言わなければならないのでしょう。
…で、一応聞くのですがその黒板に大量に書いてある僕の名前はなんですか?
「んあ? あぁ、委員会の役員だよ。だれも手ぇあげないから遅かったお前に」
…いえいえいえいえいえ。物理的に無理って言いますか、そういったことを大きく通り越してもうこれは単なる嫌がらせにしか見えないんですが?
「……まぁ、何だ。オジサンとしてはもうちょっと上手なツッコミを期待したんだがなぁ。ちょっとがっかりだ。がっかりついでにお前の所にペケをもう一個書いちゃおう」
なにか変なところで期待されているのはこの際目をつむりましょう。
ただ、それでまた一歩落書きに近づくのは困ります。
その行動をどうにか止めようとした時、とつぜん飛来してきた教科書が先生の頭に直撃し、先生の行動を止めました。
ちなみに先生の頭を直撃した教科書はふわふわと宙に浮かんでいます。
普通なら騒然となる事態ですがこのクラスの皆さんは気にした風もなく談笑しています。このクラスにおいて、そういったポルターガイストまがいの出来事は理由も原因もハッキリとしているので誰も騒がないのです。というか皆さん、雑談がすぎませんか?
「…ヒロ君をいじめちゃダメ」
「なんだよー……ちょっとした冗談だろ? そんなに怒んなよ新宮」
ぶぅ、といい年をした男性が頬を膨らませている姿は通常ならちょっとアレなのですが、橋本先生は教師の中でも群を抜いて容姿がいいのでそんな姿も様になります。
先生が難しい顔をしながら宥めている女の子―――肩口まで伸びたきれいな黒髪に吸い込まれるような黒い瞳が印象的な新宮波音さんが目を細めて先生の真意を読み取ろうとしています。その間、浮かんでいる教科書が先生の頭を何度となく叩いています。
彼女―――波音さんは俗に言うエスパーさんなのです。感情の高ぶりとともに手を触れずに物を動かせたり、否応なく人の思念を読み取ってしまったりと、なかなか大変な能力を持っていたため色々と辛い思いもしたようです。一学期の頃に彼女が教室でその能力を暴走させた事件は記憶に新しく、このクラスを一つにまとめさせたいい思い出でもあります。
現在は彼女も強い意志を持ち、その能力の制御も出来るようになったらしいです。色々と大変でしたが結果的に大団円となってよかったです。
さて……さすがに先生の頭を叩いている教科書は書道のものでかなり薄いとはいえ、このまま放っておいたら先生の頭がパーになってしまいます。波音さんが……
「……エスパーだけに?」
…波音さん。僕にそれを聞きますか? ボケは説明してしまうと死んでしまうのですよ? それと僕の心を読まないでください。
首をかしげて僕の方を見ている波音さんに苦笑いを返します。
波音さんは純粋で非常に可愛らしいのですが……
「………」
…はい、波音さん赤くならないでください。それと何度も言うようですが僕の心を読まないでください。
「はぁ……、とりあえず新宮も落ち着いたようだし橘も席につけ」
叩かれていた部分を手で押えながら先生が僕に指示を飛ばします。その手元の名簿が閉じられているところからペケをつけるのは諦めてくれたようです。後で波音さんにお礼を言わなければいけませんね。
「…気にしない」
………。
こちらにVサインを出す波音さんの姿に、僕は気付かれないようにため息をつきました。
「ははは、ヒロも大変だなぁ、朝から」
…タロ君、お久しぶりです。しかし、実際問題これは笑いごとではないのですよ?
「そうだよなー。一日落書きされたままってのは正直しんどいよな」
僕のグチを難しい顔をして、それでいて妙に楽しそうな顔をして肯定するのは、隣の席に座っている体格のよい男子、伊田太郎君―――通称タロ君です。
この色物クラスの中にいて、特殊な能力を一切持っていないその存在感は虚無皆無に限りな……
「オーケー、聞こえてるぞヒロ。ってか、わざとだろ?」
…バレましたか。笑われたお返しですよ。
ニヤリと笑みを浮かべるとタロ君も同じように、いえ、僕なんかとは全く違う。誰とでもすぐに仲よくなれる明るくて邪気のない笑みを浮かべます。
先程、彼に特殊能力の類が一切無いと言いましたがこれはもう立派な能力なのかもしれません。
そう、僕なんかには到底手が届かないような素晴らしい能力です。
何故だかわかりませんが胸に痛みが走ります。
「どうしたの? 難しい顔して?」
…いえ、何でもないですよ。真君。
視線をタロ君の逆側に向けるとそこには中学生、見ようによっては小学生にも見えるやたらと小さくて可愛い男の子―――小川真君がカクンと首をかしげてこちらを心配そうに見ています。
何といいましょうか……その姿はまるで天使です。髪に浮いた天使の輪はきっと彼が天使であった名残りなのです。服に隠された華奢な背中にはきっと純白の両翼がある筈です……っ!
「全面的に同意せざるを得ないです」
僕の心の声が聞こえていたのか、真君の前の席の長身美麗な女の子―――立川茜がくるりと振り向いて、落ち着いた雰囲気を持つ彼女にしては珍しくグッとサムズアップをしています。
茜さんはこのクラスの委員長さんです。いえ、委員長さんだった、ですかね? 新しい学期になったのでもしかしたら違う人が委員長になるかもしれないですが、無意識的に発揮してしまうリーダーシップからおそらく今学期も委員長さんになるのでしょうね。
そして、どうやら茜さんは真君と夏休み前に付き合い始めたらしいのです。本人たちは何も言いませんが信用できる情報筋からのお話ですのでまず間違いないと思われます。
まぁ、本人たちの態度を見ていれば大抵の人は気付くんですがね。
だって『ぼ、僕らはそんな関係じゃないおっ!』とか『え……ええっ!? そ、そそそんなわけじゃ、ないじゃないですかぁ!』など、もう二人とも日本語が話せないほどに動揺すればさすがに……、です。
本人たちはそれで隠しおおせたと思っているのですから、恋は盲目とはよく言ったものです。ん? ちょっと違いますかね?
「ちなみに翼は生えてませんでした」
…あはは、そんなのは冗談に…………っ!?
人差し指を立てて僕の冗談に生真面目に答える茜さんに思わず戦慄を覚えます。
隣ではその言葉の真意を読み取ったのか、タロ君が引きつった笑顔を浮かべたまま固まっています。
「おーい、どうでもいいが真面目に委員会を決めるぞ。このままじゃ昼メシまたいじまう」
どこからツッコミを入れればいいのか全力で右脳(左脳でしたっけ?)を働かせているところに、今まで黙っていた先生の声が響きます。
昼食の時間ををまたぎそうなのは先生が最初から真面目にやらなかったからなのですが、今はそんな無責任な言葉にも救われた心境です。
「どうしたの?」
「どうしたんですか?」
僕とタロ君のただならぬ様子に二人が何事かと尋ねてきますがぶんぶんと首を振って何でもないとアピールします。
「………やったん、だ?」
僕の後ろに座っていた波音さんの歯に衣を着せない呟きが妙に大きく聞こえました……。
僕の心を読んで口に出してしまう波音さんをなだめてすかしてとりあえず黙ってもらい、女の子がそんなことを言っちゃいけませんとたしなめます。
ぶぅたれる波音さんの頭を撫でてこれからの学園生活に思いをはせます。
…はぁ、やっぱり大変そうですよねぇ。
次回『放課後でいず』
お楽しみに!