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第??話――何処かの誰かが見る夢は

1.はい、遅くなりましたが一万ヒットのおまけ話です。えらく長いので(通常の一話の二倍から三倍ほど)夜に見ない方が健康的です。


2.本編ではどうしても張れなかった伏線をぐりぐりと詰め込んだ結果、結構なシリアスっぷりです、ごめんなさい。また、時系列はバラバラなのでご注意を。


3.どうでもいいことですが、隠しキーワード、『似非ファンタジー』が解放です。


4.前置きが長くなりましたが、余話『何処かの誰かが見る夢は』、始まります。

――ケースA 橘家の場合――




 お鍋のなかに豆腐と水で戻したワカメを入れ、味噌を入れて味を調整していきます。

 軽く火で炙った油揚げを最後に投入し、少しかき回してからお鍋の火を止めます。

 後ろから炊飯器の電子音が聞こえてきたのを確認しながら、網焼きしておいたししゃもをお皿に乗せました。


「まだなにか手伝うことあるー?」

…えーと、じゃあご飯をよそってくれますか?

「あいあい〜」


 テーブルを拭いてもらっていた義姉さんにお茶碗とヘラを渡すと、パジャマ姿の義姉さんは足取り軽く炊飯器の前まで歩いていきました。



 義姉さんと僕しかいないこの家では、基本的に家事は分担して行っています。

 ですが、一週間は七日間です。普通に割ると一日余ってしまうのです。

 そのため、日曜日は時間がある限りは二人で家事を分担してさっさと済ませてしまおう、という方針になったのです。

 そして、そんな説明をするくらいですから、今はやっぱり日曜だったりするわけです。


 木漏れ日がカーテンを通してリビングを照らしています。

 今日も快晴。夏の暑さが戻ってくるそうです。

 イヤですねぇ。寒いのも好きではないですが、暑いのも好きじゃないです。


「ほら、ぼーっとしてないで用意用意。私はお腹が減ってるんだから!」

…はいはい、あまり慌てないで下さい。朝ごはんは逃げませんよ。


 そんなことを考えていると義姉さんに背中を小突かれました。苦笑を浮かべながらとりとめのない思考を打ちきり、朝ごはんの用意を再開しました。




「これから出掛けない?」


 朝ごはんを食べ終え、後片付けを済ませてひと休みをしていたところで、義姉さんがそんなことを言い出しました。


…出掛けるって、どこにですか?

「前にいた孤児院」

…はい? な、何でまた急に?


 義姉さんがそういうところは、長い付き合いですし慣れているつもりでしたが、さすがに急すぎるというものです。

 思わず呆けた声を出しながらも、一応何故そんなことを急に言い出したのかを聞いてみます。


「夢に出てきたからかなぁ」

…いや、もう何て言いますか…………、まぁ暇なんでいいですが。

「やたぁ〜! じゃあ着替えてくるねー」


 ため息を吐く僕をよそに嬉々とした様子で用意を始めた義姉さんを見て、まぁこんな日曜日もいいのかなぁ、などと諦め半分で考えていました。




「うわっ、久しぶり! 相変わらず何もないや」

…そうですね。でも、空気はとても綺麗ですよ。


 電車を乗り継ぐこと一時間と少し。

 僕たちは周りに何もない、かなり殺風景な駅で降りました。

 一応、関東圏内ではあるのですが、こういった秘境じみた場所はどこにでもあるようです。


…次のバスは三十分後ですね。待ちましょうか?

「んー、歩いてこ。三十分もかからないでしょ」

…まぁ、いい天気ですしそれもいいですかね。

「そ、散歩がわりさね。それじゃあレッツゴー!」


 バスのタイムテーブルを確認していた僕は、手を上げて元気よく歩き始めた義姉さんについつい苦笑しながらも、その後ろ姿を見失わないように早足で追いかけました。




「やっっっぱり、スゴい懐かしいや!」


 乾いて地面が露出した田んぼ。

 ぽつんぽつんとある無人のバス停。

 鬱蒼と大樹が繁った深い森。

 木漏れ日の形が無限に変化する神社。


 久しぶりに来たにも関わらず、何一つ変わっていないその光景に義姉さんは感嘆の声をあげ、その場でくるりと回りました。それに追従するように、義姉さんの薄手のブラウスとスカートがはためきます。

 普段なら、その子供のような行動を、いけませんとたしなめるところなのですが、斯くいう僕も、幼少の頃の記憶とあまりに合致するその光景に、驚愕の声をあげていました。


…凄いですねぇ。どこもかしこも見覚えがありすぎます。

「八年近く前なのに全然変わらないもんね〜。あ、覚えてる? あのバス停でヒロが迷子になったの」

…忘れたくても忘れられませんよ。あー、そういえばさっき通りすぎた森で義姉さんも迷子になりましたよね。あの時は大変でした。

「……うっ。そ、それはだねぇ」


 義姉さんが珍しく頬をひくつかせてあれやこれやと言い訳をしているなか、これなら孤児院も前のように開いているに違いない、とそんなことをぼんやりと考えていました。




 孤児院には義父さんと義母さんに引き取られてからも度々連絡をとっていたのですが、義姉さんと二人きりになってからはゴタゴタしていたので連絡をとっていませんでした。

 なので、今日孤児院に訪問することになり、内心ドキドキだったりしたのです。


 そんな気持ちだったからでしょうか。

 閉鎖された孤児院を見て、心臓が止まったのではないかと思えるほど、衝撃を受けました。


 ありえないことなんて、ありえない。


 そんなことは知っていました。身を持って体験しましたから。

 それでも、少し、ほんの少し目を離した合間に、これだけ大切な繋がりが、簡単に消滅してしまうなんて、考えもしていなかったんです。


 隣にいた義姉さんも、つい先程までの明るい表情(かお)ではなく、何か我慢するような表情をしていました。

 何か声をかけなければ、と口を開いた直後、


「なか、入ってみよ」


 不意に、義姉さんはそんなことを口にしました。

 回転が鈍くなった頭では、義姉さんの言いたいことを理解するまでに少々時間がかかりました。そんな僕が口を開くよりも早く、義姉さんは孤児院の入り口に張ってあった鎖の下を潜っていってしまいました。


 一瞬、その後ろ姿に静止の声をかけようとして……、止めました。

 正直なところ、僕も入ってみたかったんです。なら、義姉さんの行動を止める言葉は、僕にはありません。


…足元、危ないですから気を付けてくださいね。

「ん。だいじょーぶ」


 義姉さんの後を追って、僕も鎖を潜りました。



…これは、また、壮大ですね。


 思わず、息を呑んだのは、昔は子供たちの共有スペースとされていた大広間にたどり着いた時でした。

 崩落していた天井から、太陽の光が差し込んで、残されていたピアノを照らしていました。

 さながら、その光景はステンドグラス越しに光を浴びる聖堂のようで、驚くほど高潔な雰囲気を醸し出していました。


「……夢に…………だ」


 そんな雰囲気に飲まれていたため、義姉さんが何かを呟いたのを聞き逃してしまいました。

 何て言ったんですか? そんなことを聞こうとした時、義姉さんはトテトテと部屋の端に歩いていってしまいました。


「これ、覚えてる?」


 置きっぱなしになっていた小型のソファーをどかした義姉さんが、その後ろの壁を指差してこちらを見ました。

 義姉さんが指差す壁が見られるところまで歩いていくと、そこには赤い塗料でラクガキが施されていました。


…懐かしいですね。

「この時のヒロはいつも私にひっついてまわってたよね」

…あはは、お恥ずかしい限りで。


 昔を思い出すようにしみじみと語る義姉さんに僕は苦笑を浮かべて応じます。

 そのラクガキは、確か油性ペンで書かれたものだったはずですが、時の経過を感じさせるように()せてしまっていました。


 少しだけ、残念で。

 少しだけ、痛くて。

 言い様のない感情が胸に去来しました。



「それでも、消えてないよ」


 義姉さんが、ふっと笑みを浮かべて立ち上がりました。


「どんなに、薄くなってても。どんなに、色褪せちゃってても。消えてない、残ってるんだよ」


 優しく、子供を諭すときのようにゆっくりと。


「私たちは、ここに居たんだよ」


 僕に、そして自分に言い聞かせるようにしっかりと。


「そう。私たちは、ここに居た」


 噛み締めるようにはっきりと、そう言いました。


「けど……それでも、どうしても辛かったら。私に言ってね」


 そこで少しだけ間を置き、どこか儚げに見える笑顔を浮かべて、僕の頭を撫でました。


「私も、あなたをまもるから」


 何にかえてもね。

 そう付け足して、こつんと額同士を合わせました。


 伝わってきたのは、暖かな体温と柔らかな匂いと。

 合わさった箇所からは心臓は遠いはずなのに。


 とく、とく、とく。


 とく、とく、とく。


 確かに聞こえる僕と義姉さんの鼓動は、渇いてひび割れた心に染み渡って広がっていきます。



"笑おう 一人じゃないから


僕たちは翼がないから翔べないけれど

繋いだ両手があるから

キミを感じるココロがあるから

二人ならきっと何処へだっていけるんだ

結んだ手が 結んだココロがあるから

きっと世界の果ても超えていけるから


だから歌おう 怖くないから

だから歩こう 一人じゃないから"



 ”唄”が、静寂に支配された孤児院に響きました。

 少しの間呆けて聞いていましたが、未だに僕の頭に掌を乗っけている義姉さんの方に視線を向けると、はにかみながら笑っていました。


「……あはは、久しぶりに歌っちゃった。アカペラはちょっと恥ずかしいなぁ」


 義姉さんははにかんだままグシグシと一際強めに僕の頭を撫でてから、手を僕の頭から下ろしました。

 少し残念に感じたのは内緒です。


「昔はここでよく歌ったりしたよね」


 義姉さんは部屋の中央に置いてあるピアノに歩み寄り、そのイスに腰かけました。

 昔、よくよく泣いていた僕のために、義姉さんが歌を歌ってくれることが度々ありました。そのやさしい歌声を聞くと、自然と涙が止まったのは今でも覚えています。


…そうでしたね。義姉さんは昔から歌が上手でしたよね。音痴の僕には羨ましい限りです。

「あはは、そういえばヒロはなんでか音痴なんだよねぇ。楽器全般はビックリするくらい上手いのに」


 深くイスに腰かけているので足が浮いている義姉さんは、それをパタパタと前後させています。


…そういえば義姉さんは楽器音痴でしたよね。改善されましたか?

「ぜんぜーん。未だにけん盤のどれが『ド』でどれが『レ』だかもわからないよ。ヒロの方はー?」

…僕も全然です。歌うと声が裏返って大変なことになります。


 僕がそう言うと、お互いの顔を見合わせて、声を出して笑いました。

 気が付けば、先程までの陰鬱な気持ちが、嘘のように晴れていました。

 今も昔も、僕は義姉さんに頼りきりなのかもしれません。



…そう言えば、このピアノは随分と綺麗ですね。


 一頻り笑いあったあと、はたとそんなことに気付いて義姉さんが座るピアノを見ました。

 天井が崩落するほど時が経っているのにも関わらず、目に見えるホコリはなく、ピアノ自体も損傷している様子がありません。

 不意に義姉さんが鍵盤の一つに触れると、ピアノからは澄んだ音色が零れ落ちました。


…ありえない。


 先程、自分でその観念を否定しておきながらも、思わずそう呟いてしまいました。

 ピアノは、と言いますか楽器全般はまめに手を加えて調整しておかないと、すぐにダメになってしまいます。そしてこのピアノは見ての通り、限りなく野ざらしに近い状態で、かなりの年月放置されていたはずです。普通ならば、弦が弛んでろくな音がしない、もしくは音自体しないはずです。

 だのに、このピアノの音には一切歪みがないのです。


「いい音だねぇ、心に染みるよ。アー、アー、アー…………あっ!この音はここだね」


 この不可解な出来事について頭を捻っていると、ただ純粋に楽しんでピアノをいじる義姉さんが視界に入りました。


…まぁ、どうでもいいですかね、そんなことは。


 そんな義姉さんの姿を見て、何だかもうどうでもよくなってきました。

 竜也さんにも言われたことですが、僕は物事を難しく考え過ぎなのかもしれません。

 わからないことは、わからない。それでいいのかもしれません。


…先程の歌、もう一度歌えますか?

「え?いちお覚えてるけど?」

…じゃあ久し振りに伴奏しますよ。せっかくこんな綺麗なピアノがあるんですから。

「うわっ、久しぶり!」


 義姉さんは満面の笑みを浮かべ、跳ねるようにイスから立ち上がりました。

 そのイスに腰掛け、指を慣らす意味もこめていくつか鍵盤に触れてみますが、やはりピアノにはどこにも違和感はありませんでした。


 とん、という軽い音とともに背中に軽い衝撃を感じて振り返ってみると、義姉さんが背を向けて僕に寄りかかっていました。

 しばらくもぞもぞと背を動かしていましたが、ベストポジションを見つけ出したのかその動きを止めました。


「うっし、いくぞー」


 とく、とく、とく。


 さっきよりもはっきりと聞こえてくる鼓動を感じながら、ゆっくりと伴奏を始めました。






――ケースB 新宮家の場合――




「アンタ……、何でだろうね。料理だけはどうしても出来なかったわよね」


 両親が仕事に出ている珍しい日曜日。私が家事一式の練習をする絶好日。

 そんな日に、呆れたような、諦めたような声が開け放たれたドアから聞こえた。

 手に持っていたフライパンを下ろし、声のした方を見ると懐かしい顔がそこにあった。


「…香音、いつ帰ったの?」

「ついさっき。一応、電話もしたしインターホンも鳴らしまくったけど?」

「…気付かなかった」


 家の電話に目を向けると、確かに着信があったことを知らせるように『留守電ボタン』が点滅していた。

 料理に集中していた上に、換気扇が全力で仕事をしていたので、まったくと言っていいほど何も聞こえなかった。


「今日から一週間くらいは泊まるから」


 急に帰ってきた我が姉、新宮香音にいみやかのんはそう宣言すると、居間のソファにだらしなく寝ころんだ。香音がはいているスカートはそれほど短くはないが、行儀が悪いことには変わりない。


「…もっと行儀よく」

「…………へ? あ、わかった」

 

 私が眉根を寄せてそう注意すると、香音はちょっと驚いたような顔をしてから素直に居住まいを正した。

 彼がいたらきっと同じことを言うのだろうな、と考えると少し気分が良くなる。


「……何で笑ってんの?」

「…何でもない、気にしない」


 ……どうやら顔に出ていたらしい。

 少し前にも同じようなやりとりがあったような気がする。どうにも彼のこととなると私の顔の筋肉は仕事を放棄するらしい。


「まぁいいけど。……それにしても、そのフライパンの中身は何?」

「………」


 香音の指摘に、弛緩していた顔が盛大に歪め、それを誤魔化すためにそっぽを向いた。


 ……自分の手でそれを精製しておきながら、それでいてどこかこのフライパンの中身は異次元の隙間からこぼれおちてきた『何か』なのではないか、と本気で思ってしまうほど――――

それは黒かった。


 冗談のように黒いそれ――暗黒物質ダークマター――を、何も考えないように仲間の眠る場所に埋葬しようとしたところで、香音が帰ってきたのだ。


「で、何を作ろうとしてたわけ?」

「………」

「もう一回だけ聞くわよ? 何を作ろうとしてたの?」

「…バターライス?」

「私に聞くんじゃない」


 近づいてきた香音にチョップされる。ついでに着けていたエプロンも奪われる。

 香音の横暴な振る舞いに非難の視線を向けると、思い切り呆れたような視線を返された。


「お昼は食べてないんでしょ?」

「…まだ、だけど?」

「そ。じゃあ何か作るから待ってなさい」

「…私が」

「待ってなさい」


 香音はびしっとソファを指差すと、慣れた手つきで準備をしはじめた。

 抗議しようと口を開いたところで『邪魔っ!』とタイミングよく一喝されてしまい、所在なくなってしまった私は、しょうがなく言われたとおりソファで待つことになった。




「…おいしい」


 ……そして、おかしい。納得いかない。

 使ってる材料は同じはずなのに、何故私の料理は漆黒の衣を纏っているのか。疑問でならない。


「それはこっちのセリフよ」


 昼食はすでに済ませてきたらしい香音は、私が食べてる姿を見ながら隣のソファに腰掛けていた。

 しばらくじっとこちらを見ていた香音だが不意に、ところで、と会話を切りだしてきた。


「何で急に料理なんてやり始めたの? 例の彼のため?」


 先程、片手間で淹れていたコーヒーを飲みながら、心底不思議そうにそんなことを聞いてきた。

 彼の話しは、香音が前に帰省してきたときに軽くしていたのだが、その後何故か不機嫌そうにしていたので、香音の方からその話を振ってくるのは少し意外だった。

 それでも、私は即答した。


「…そう」

「そっか……」


 答えた私の顔を見てからやはり不機嫌そうな表情をする香音に、首を傾げていると香音の表情はさらに不機嫌そうになる。


「アンタ、家事の才能ないわよね」

「…言われなくてもわかってる」


 今度は私が顔を歪める。自覚はしてても他の人間に言われるとそれなりに悔しかったりする。


「けど、それでもこうやって努力してる。……何で? その子はアンタが家事が出来ないとアンタのことを嫌いになるの?」

「…それはない」


 それだけは断言できる。

 たぶん、彼は苦笑いを浮かべながら私の頭を撫でて、頑張ったんですね、と受け入れてくれるだろう。

 けど―――


「…それじゃあ、ダメ」


 そう、それではダメなのだ。


 彼は何でも出来る。

 勉強だって、運動だって、家事だって、私と比べるべくもなく、本当に何でも出来る。

 だから、いつもいつでも、自分を差し置いてでも私を助けてくれる。


 彼に意識してもらえるのも、気を使ってもらえるのも、正直、とても嬉しい。

 けど、そのままじゃダメなのだ。


 彼のためにも

 私のためにも。


 いつまでも、彼にとって『手を焼かせる存在』でいたくない。それだけで終わらせたくない。


 彼の後ろ姿を見て歩くのも悪くない。だけど、どうせなら隣で手をとって歩きたい。


「…だから、こんなところで躓いている時間はない」


 誇れる自分であるために。


 今度は私が彼を守るために。


「…………アンタ、変わったわね」


 私の、誰にでもなくした宣言を、黙って聞いていた香音はぽつりとそう呟いた。

 何が、という疑問を視線に乗せて香音を見ると、大人びた笑みを向けられると同時に頭を撫でられた。


「少し前のアンタは、こんな正直に自分の心を表せなかったわよ」


 彼にされるよりも少し乱暴に、それでも優しく頭を撫でられ、目を細めてしまう。


 ……変わった。

 確かにそうかもしれない。

 誰の心の内でも容易くわかってしまう私にとって、心は恐怖の対象であり憎悪の対象でもあった。

 剥き出しの感情と貼り付いた笑顔に、恐怖して、それを隠そうと憎悪していたからだ。


 強くあろう、一人であるために。

 実の親にすら一線を引いた反応をされていた私は、自身の心にそう刻みつけた。

 結局、そんなことを続けられるほど私は強くなくて、ぼろぼろになったところを彼に助けられた。


「……本当はアタシがその役目を担わなきゃいけなかったんだけどね」


 自嘲ぎみに笑って香音は呟くと、撫でていた手を止めた。


 香音は、私よりも四つ年上だ。

 能力に戸惑う私を、姉である香音はずっと支えてくれていた。

 親すら目を逸らした私の能力も、心も、理解した上で抱きしめてくれた。

 初めて理解者を得た私は、どうしようもなく泣きじゃくって、どうしようもなく甘えた。


「何だかアタシの出番がとられちゃっみたいで悔しいわ」


 けれど、当時の私はそれを悟られるのが嫌で、一時が過ぎて心の波風が治まったら香音の気持ちなど考えず、意地っ張りに突き放した。自分のことしか考えてなかったそのときの私は、今からすればどうしようもなくみっともなくて、当時のことを思い出す度にその横っ面に全力パンチをお見舞いしてやりたい気分になる。

 まぁ結果がどうなったかは今更語るまでもなく、香音が大学に通うために一人暮らしを始めた途端に、心の均衡が崩れてさんざん他の人に迷惑をかけてしまった。

 今でも、こうやって香音に心配をかけている。


「…大丈夫」


 だから、安心させるように胸を張って、


「…一人じゃないって気付いたから」


 頭一つ分高いところにある香音の頭にも手を乗せて、


「…そう気付けたのは香音のおかげでもある」


 恥ずかしいけれど、少しだけ素直になって、


「ありがとう」


 今まで、くだらない意地が邪魔して言えなかった、感謝の言葉を口にした。


 香音は、一瞬、呆けた顔をしたあと、盛大に顔を歪めた。


「馬鹿……っ!」


 そう言って、私に抱きついてきた。

 その勢いを殺すことなど出来るはずもなく後ろにあったソファにもつれて倒れ込んだ。


「ばか、バカ、馬鹿…………!!」


 鼻をすする音と、呪詛のように私を罵る声だけが延々と部屋に響いていた。

 私はただ、香音の頭をいつかしてもらったように撫で続けていた。




「…………何だかいつもと逆じゃない」

「…たまにはいい」

「納得いかないわよ……」


 あれから十数分後、抱きついたまま悔しそうに呟く香音の頭を、私は未だに撫で続けていた。

 いつもやられている側なのだが、人にやるのも悪くない感触だ。今度、彼にもやってみようと思う。


「……アンタを変えた男の子ってどんな奴なの?」


 まるで私の考えていたことを読みとっていたかのように、不意に香音がそんなことを言い出した。


「イイ男?」

「…いい男」


 当然即答した。

 私は彼ほど強い人を知らない。

 同時に彼ほど弱い人も知らない。

 強くて、弱くて。それでも前を向いている彼が、私は大好きだ。


 私が即答した様子を見て、香音が口を開いた。


「私たちは姉妹よね?」


 口を開かずに頷いた。


「好きなオカズも好きなテレビ番組も同じよね?」


 頷いた。


「アンタはその子にベタぼれなのよね?」


 頷いた。三回ほど余計に。


「じゃあ私もその子に会い」

「…それはダメ」


 当然のように即答した。ついでに彼がするように香音の頬をつまんで黙らせることにした。つまんだ部分が微妙に涙や鼻水で湿ってる気がしたが、今日はまぁ許すことにした。






――ケースC 伊田家の場合――




 …ぴちょん。


 今日は珍しくバスケ部の練習がなかったはずだ。

 バスケはまぁ好きなんだが、高校の練習は中学の時のそれとは、質も量も違う。今でこそだいぶ慣れたが、それでも練習中ぶっ倒れるやつもいたりするくらいには大変だ。


 …ぴちょん。


 ……つーわけで時には何もない休みの日が恋しくなったりするわけなんだが――――


「……どこだ、ここ?」


 俺は確か自分の部屋の布団で寝てたはずだ。

 そこから今に至るまで一度も覚醒していないのだから、俺の寝相が壊滅的に悪くなければ見知った天井か壁が見えるはずなんだが……。


 …ぴちょん。


 俺が目覚めて一番に見たのは荒削りな石が剥き出しになっている天井だった。

 俺の部屋っていつの間にこんなアウトドアなリフォームされたんだ……、ってそんなボケをかましてる場合じゃない。


 …ぴちょん。


 あー、ちなみにこの『ぴちょん』ってのはさっきから俺の額にしつこく水玉が落ちてくるのな。

 くすぐったいそれを拭うために手を動かそうとしたところで、更なる違和感に気付いた。


 手が……、拘束されてる。ついでに足も。


 ここにきて、寝ぼけていた頭が急激にクリアになる。脳細胞の一つ一つがしっかりと働いているのが感じられる。

 そして、そんな脳細胞たちの首脳会議の結果は多分に正鵠せいこくを射ていたと思う。こんな非常識なことを何の前触れもなく行う人間、俺は一人しか知らない。


上姉うえねぇぇぇ! この拘束解いてくれぇぇぇぇ!」


 とりあえず、この状況を作り出したであろう人間の名を、全力で叫んでみた。




「ふむ。よく私がやったとわかったな。なかなか良い洞察力だ」

「そりゃそうだろーよ。……ってか遅ェェェェ!! マジこの部屋時間感覚ねぇからってどんだけ待たされたと思ってたんだよ!? 軽く二時間はこのまんまだぞ!?」

「……ふん、この程度で感覚を狂わせるとはな。私がお前を放っておいたのは四時間だ」

「まさかの倍プッシュ!?」


 叫び続けること四時間(体感二時間)、ようやく現れた黒幕の発言にかなり衝撃を受ける。

 だが、試合でも枯れたことがない声が、今はガラガラなのだからそれも頷けることなのかもしれない。

 とりあえずそんな状態になるまで叫んだためか、少し落ち着いてきたので(ただ単に騒ぐだけの体力がなくなっただけかもしれないが)、目の前の上姉こと伊田琴音に状況の説明を求めることにした。


「……何で朝っぱらからこんなことすんだよ? 下姉したねぇとかオヤジは俺が拉致拘束されてることは知ってんのか?」

「何、少し質問がしたかっただけだ。上でするには少々具合が悪い話でな、下に同行願ったわけだ。奏は感づいているのではないか? 父様の場合は逆に知らないわけはないだろう」


 質問した内容に、順番通り答えていく上姉の冷静さにそこはかとない苛立ちを覚えるが、もはやこんなことはいつものこと、と脳内処理を進め、現状を把握するために得られた情報を整理してみる。


 一、上姉は俺に何らかの質問、てか詰問をするために朝っぱらからこんなところに連れこんだらしい。

 二、この中世を彷彿とさせる拷問部屋は、地下にあると思われる。

 三、下姉こと伊田奏と七色の遺伝子を持つなどと言われる変態にして現伊田家当主、伊田慎太郎いだしんたろうはこの割と抜き差しならねぇ状況を知っていてスルーしている。

 四、仰向けのまま手も足もキレイに拘束されており、外せる気がしない。

 五、上姉は楽しそう。


 もう、どこからツッコんでいいやら皆目見当もつかないんだが、とりあえずこれだけは言わせてくれ。


 詰(死)んだろ、これ。


 ……いやいやいや、マジ大げさな物言いとかじゃないからな!

 見ろよあの上姉の笑顔、あんな顔ドS星雲からやってきた女王様(二重の意味で)だってしねぇよ!?


「まったく、好き勝手言ってくれるな、太郎」

「…………っ!」


 こ、声に出てたらしい。

 マズい、何とかして宥めなければ、と考えたところで上姉がパチンと指を鳴らした。途端、床屋のイスのように俺が拘束されていた台が起き上がり、角度が九十度になって足が床についたところでその動きが止まった。


「いったい何を……」

「前々から考えていたことだがお前のその年上を敬わない態度、矯正しなければならないな」


 上姉が再び指を鳴らすと、突然、黒子くろこの衣装をまとった人間が数人、天井から降ってきて音もなく着地した。

 何もない天井からどうやって降ってきたのかは非常に気になるところではあるのだが、それ以上にその黒子たちが手に持っているものに意識がいった。


「筆に……羽?」


 そう、どちらかというとクナイや手裏剣でも持っている方が似合いそうな黒子たちは(いや、まぁ実際持ってたらヤバいんだが)、習字用の大小さまざまな筆を持っていたり、真っ白な大振りの鳥の羽を持っていたりするのだ。


「剥け」

『はっ!』


 意図が読めずに呆けている俺を無視し、上姉が黒子たちに指示を飛ばすと、女の声がキレイにハモって返事をする。

 そのうちの一人がハサミを持って近づいてくると問答無用に俺のシャツを切り出した。


「ちょっと待て! いきなりなんだってんだ! てかアンタ女なのかよ!?」

「ぎゃあぎゃあと取り留めのないことを喚くな」

「うふふ……暴れると綺麗な肌に傷がついてしまいますよ?」

「だからアンタは何なんだよ!? つーか鼻息荒げんなやぁぁぁぁぁぁぁぁ!!」


 興奮しているのか、ちょっと上擦った声を出す黒子に、色々と危機感を感じて暴れるも、手足を縛られた状態ではろくな抵抗も出来ずにシャツを切られてしまった。

 もはや布切れと化した寝間着を黒子が手際よく取り除いていくなか、俺は上姉を睨みつけて声を荒げる。

 そこ、無駄な抵抗とか言うな。


「服なんざ切ってどうするつもりだよ、上姉ッ」


 そんな俺の様子を歯牙にもかけず、上姉は俺が先程まで否応なしに見つめていた天井に視線を送っていた。


「太郎、頭は何ともないのか?」

「……は? いや大丈夫だけどいったい何だよ、急に」


 相も変わらず言動が突拍子のない上姉に、思わず毒気を抜かれる。

 ……しかし、上姉が俺の健康状態に毛一本ほど、神経を割くだろうか?


 ……!


 まさか遅ればせながら、とうとう家族の大切さに気付いたのだろうか?

 だとするならば体の心配はいい。今すぐこの拘束を外して目の前で荒い呼吸を繰り返す黒子たちを退かしてくれ。



「お前に当てていた水滴、あれも拷問の一種でな。何でも、定期的に脳に振動を与えると浅い催眠状態になるらしい。お前のなかみ、身体と一緒で存外に頑丈らしい」

「あああぁぁぁっ!! わかってたよ、どうせそんなこったろうって思ってたよ!!!」



 ……もう叫ぶしかないと思った。

 実の弟にさらりと拷問を仕掛ける姉を持ってしまった自分の境遇に、泣きながら叫ぶしかないと思った。

 が、そんな微かな希望すら叶えさせてもらえないらしい。


「ひっ!!」


 突然身体に走った言い知れぬ感覚に、叫ぶことを中止し、代わりに変な声を上げてしまう。

 おそるおそる、その感覚が走った方向――――足に目をやると、黒子の一人が羽を持った手を震わせていた。


「……琴音様、そろそろ」

「あぁ、そうだったな」


 手だけでなく声まで震わせている黒子の言葉に、上姉が首肯した。


 ここまでくれば、何をされようとしているのかさすがにわかる。


「う、上姉…………。止めてく」

「やれ、くすぐり倒せ。ただし、最後の一線は越えるなよ」

『はっ!』

「止めろ、来るなッ! …………ひ、ひ……ひいやぁぁぁぁああああッ!!!」


 目の前にはB級映画よろしく、ゾンビのようにフラついた足取りで近づいてくる黒ずくめの集団。

 ……もう絶叫するしかなかった。


 最後に見えたのは、愉快そうに笑って紅茶を飲む上姉の姿だった。




「そういえば、お前に聞きたいことがあるのだがな。太郎、お前まさか義弟君とよからぬ関係に発展してはいないだろうな?」

「アハハ、オ姉サマ。サスガニソレハアリ得マセンヨ?」

「だろうな。何でも腐った女子とやらがそんな噂をしていたらしいのでな。ちなみにお前は攻めで義弟君は受けだそうだ」

「ゴ冗談ヲ。僕ハ至ッテノーマルデスヨ?」


 そんなことを聞くためだけに……?


 そんな言葉を飲み込んで、平坦な笑い声を上げる。

 小一時間近くなぶられて、心も体もすでに白旗を掲げているのだ。


(あぁ、俺、女性恐怖症になりそうだわ)

(何と言いますか……、頑張りましょう、タロ君)


 脳内に浮かんだ我が友の励ましの言葉に、不覚にも涙があふれそうになった。






ケースD ???




 月が綺麗な夜、冬の到来を感じさせる澄んだ空気を裂いて目的の建物を目指す。


「ここ、か……」


 程なくして見えたボロボロの建物の門に埋め込まれているプレートを、黒革の手袋をつけた手でなぞり、ついていた砂ぼこりを落としてその建物の名前を確認する。

 周りに誰もいないことを確認してから中に入ると、小型のライトをつけて一直線に『ある部屋』に向かう。

 もとより、さほど広くもない建物だ。すぐにその部屋にたどり着いた。



 その部屋では、ライトがいらないようであった。大きく抜け落ちている天井から月明かりが射し込んでいたからだ。

 歩みを止めることなくそのまま部屋の中央部――――月明かりに照らされるピアノの元に向かう。

 軽くピアノに触れて手袋に埃がついたのを確認し、開け放たれていた鍵盤にも手を触れた。


「……そうか。残された時間は少ないんだな」


 すでにその使命を終えていたピアノにもう一度触れ、自分に言い聞かせるようにそう呟いた。

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