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第十一話 大運動会開催・前日

 彼には命の恩人がいました。

 小さい頃からどうしようもないほど劣悪な環境にいた彼を、どうにか元の世界に戻してくれた恩人です。

 軽々しく、命などという言葉を口に出すのは彼の信念に反しましたが、彼としては本当に命を賭けてもいいと思えるほど大切な人でした。


 それまでずっと独りで生きていた彼にとって、その人は陽だまりで。こんな日々が何時までも続けばいいのにと、ありふれた言葉に思いを乗せました。




――※――――※――――※――




「……何と言うか、相変わらず坊は押しに弱いな」

…別に押しに弱いわけではありません。あの人の押しが強いだけです。

「ぷはっ! そんな仏頂面するな、面白いから」


 ちょうど太陽が顔を出し始めるころ、僕と竜也さんは家の近くにある古びた道場で柔軟体操をしながらそんな会話をしていました。ちなみに服装は動きやすいように改良された拳闘着を身につけています。


「しかし坊の方から組手の申し出があるとは思わなかったな」

…最近は走り込みもろくに出来ていませんでしたからね。いざ動こうとしても身体がついてこないのでは話しになりませんし。

「たかがガキ同士の喧嘩だろ? 何も坊が本気を出さなくてもいいんじゃねーか?」


 腕の柔軟をしながら不思議そうな顔をする竜也さんを見て、思わず苦笑がもれます。


…買いかぶりすぎですよ。現に義母さんにも竜也さんにも組み手で勝ったことがないじゃないですか。

「や、それで十分だろ。そこらのガキじゃ幾ら束になっても坊に敵いっこないだろ」


 それが買いかぶりだと思うのですが、いくら言っても僕のことを過大評価している竜也さんには無駄なようです。

 取り繕うことを諦めて、少しばかり本音をもらすことにしました。


…確かに、僕の身一つ守るだけならさほど問題ではないのですが、今回は違います。守らなければいけない人が大勢いますから。


 苦笑を浮かべたまま今の心境を吐露すると、竜也さんは一瞬きょとんとした顔をしましたが、すぐに呆れたような表情を浮かべてため息を吐きました。


「……ったく、相変わらずの甘ちゃんぶりだな」

…申し訳ありません。

「実はあんまり申し訳なく思ってないだろ?」

…はい、あまり。


 竜也さんはもう一度大きくため息を吐くと柔軟体操を止めて半身の姿勢をとります。


「……そう言うことなら、手加減無しだ。受け身はしっかり取れよ」

…わかってますよ。何回投げられてると思ってるんですか。


 僕の返答にニヤリと笑いながら竜也さんは一息で間合いを詰めてきました。




 僕と竜也さんの戦闘術の基本は、共に義母さんから教わったものなのですが、鍛錬を続けて行き着いた先は竜也さんは投げ、僕は打撃、という異なるスタイルでした。

 そういった戦闘スタイルの違いは、習った格闘術によってももちろん変化するのですが、習得する側の内面の違いでも大きく変わるらしいのです。義母さん曰く、僕は意外と攻撃的なのだそうです。


 瞬きの間に間合いを詰めた竜也さんが襟を掴むために伸ばしてきた腕を軽く払いながらその勢いのまま姿勢を低くして半身だけ回転します。

 ムチのように思いきり振りかぶった右手で竜也さんの足を打とうとしましたが、弾かれた腕をそのままにして放たれたショルダータックルで吹き飛ばされ、残念ながら不発に終わってしまいました。


「……お前、それ喰らったら三日は普通に歩けないの知ってたよな?」

…はい、もちろんです。


 吹き飛ばされた勢いのままに後転して立ち上がりながらその質問に答えると、竜也さんの頬がかすかにひくつきます。


…怒ってます?

「いや、ぜんぜん。おにーさんはかんだいなのDA」

…いえいえ、もう完全に怒ってますよね?


 語尾に星でもつきそうなほどの完璧な笑みを浮かべる竜也さんが完全に戦闘体勢に入ったことを確認しながら、今度は僕から間合いを詰めていきます。

 半端な小細工は逆に自分の首を絞めることは、昔から格上相手と組み手をすることが多かったので身に染みています。そのため、あらゆる打撃を最速で放てる自然体のまま歩いて間合いを詰めます。


 間隔(セーフティ)が徐々に狭まりそれがゼロになった直後、ギリギリまで脱力していた右足が身体の全ての力を受け止め、今出せる最高のスピードで上段に放たれます。しかし、それは目標である竜也さんを捉えることはありませんでした。


 竜也さんが視界から消え―――


 黒い影が一瞬、僕の軸足に絡んだのを見たところで、僕の身体は宙を舞っていました。




「不用意に足刀で攻撃しようとするな。確かに脚は腕よりも強いがその分バランスを手放すことになる」

…はい。

「各関節の連動が甘い。力の流れが一瞬だが阻害されて動きが鈍った。もともと体格がいい方じゃねぇんだからそれは致命的だぞ」

…はい。

「対一の場合は一瞬でも相手から視線を切るな。打撃エリアよりも更に接近を許せば坊の場合は確実に不利になる」

…はい。って言いますかそろそろ僕の上から退いてくれません?

「ダメだ。ペナルティだと思え」


 思い切り投げられ、仰向けに倒されている僕の上で、どこからか取り出したタバコを吸いながら竜也さんは僕の要望を即座に却下しました。ヒドイです。


「喧嘩なら馬乗りにされる。戦場なら喉をかっ切られる。そんなもんとかよりいくらかマシだろ」


 不満が顔に出てたのか竜也さんは笑いながらそう言うと、タバコを握りこんで火を消しました。


「ま、組み手も罰ゲームもこれで終了だ。今日は坊が朝食当番だろ? 急がないとお転婆姫が目ぇ覚ますぞ」

…あー、それは困りますね。あの人、朝起きてご飯がないと暴れるんですよ。

「まるで酔っ払いの親父だな。嬢らしいよ」


 竜也さんは苦笑しながら僕の上から腰を上げたところで、なにかを思い出したのかこちらに向き直りました。


「そろそろあの日だが準備は済ませてあるのか?」


 ずいぶんと端折った言葉で、普通なら首を傾げるところですが思い当たる節があります。ありすぎます。


…はい。ですが今回は家でやるのではなく、どこか外に行こうと考えていますが。

「まぁ、たまにはいいんじゃねーか。あんまり暴れさせるなよ?」

…善処します。

「ま、頑張ってどうにかなるような相手じゃないけどな。せいぜい機嫌を損ねないように努力しろよ」


 竜也さんは楽しそうな様子でそう言うと、そのまま道場の入り口の方向に歩いていきました。


…もう帰るんですか? 朝食をご馳走するつもりだったんですが。

「ん、魅力的なお誘いだが今から仕事がな。今度時間があるときにまた来るからその時な」

…おかずは何がいいですか?

「……んー、ブリ大根」

…了解しました。それではお仕事頑張ってくださいね。

「おーよ」


 前を向いたままこちらに手を振って竜也さんが道場から出ていきました。

 仰向けのままそれを見送ってから、少しだけ目をつむります。


 この道場を軽く掃除してから朝ごはんを作って、義姉さんと一緒に家を出て学校に向かって……。

 一日の予定を頭の中で反芻し、ゆっくりとまぶたを開けます。

 右手を持ち上げて、握って開いて。


…僕の非力な手で、どれだけの人を守れるか。


 誰にともなくそう呟き、最後に一際強く手を握りしめてから立ち上がりました。




「……ふむ、よく纏まっているな。さすが義弟君だ」

…よかったです。寝ずに資料作成をしていたかいがありました。


 時間はお昼過ぎで、場所は生徒会室です。ちなみに今日は体育祭前日ということで半日授業となっています。

 ソファーに深く腰かけている琴音さんの前に立って、昨夜ようやく完成にまでこぎ着けた資料の出来をうかがっていましたが、どうやら問題ないようです。


「まぁ問題は警備の人員が足らないことくらいか」

…はい。そればかりはどう勘定しても足りません。他にいくつか手を打ちますがどこまでしのげるか、といったところです。

「他の手、か。コレだな」


 琴音さんは資料の一枚をつまんでこちらに見せてきます。


…はい。まぁオマケみたいなものですが、何もしないよりはいくらかマシだと思います。

「まぁそうだな。こちらの指揮は……、奏が適任か。任せられるか」

「はいはーい。けど、通信機一式の用意は済んでるの?」


 常は琴音さんが座っている机で、何やらパソコンに打ち込んでいる奏さんが首を傾げてこちらに向きます。


…手配はすでに終わっているはずです。そうですよね? クイナさん。

「…………あっ、は、はい! ばっちりカンペキっすよ!」


 僕が何故か先程から隣で放心したままのクイナさんに話をふると、思い出したかのように首をかくかくと振りました。


「ふむ、大丈夫か、クイナ嬢? この大切な時期に貴重な人材に風邪でも引かれるのはごめんだぞ?」

「は、はぃ! 気を付けます!」


 声を裏返しながら敬礼のポーズをとるクイナさんの様子に、僕だけでなく奏さんと琴音さんも軽く笑みを浮かべました。


「……まぁ、とりあえずはこんなものか。明日は二人とも朝早くから来てもらうことになるが構わないか?」

…はい。六時半でいいんですよね?

「ああ、それで頼む。それと人員の件、こちらで手を打とう」

…あ、そうですか! 助かります!


 僕が琴音さんの言葉に小さく小躍りをしていると、後ろからの不意な衝撃につんのめりそうになります。

 後ろを向くと、先程までデスクワークに勤しんでいた奏さんの顔が目と鼻の先にあり、頬を引くつかせて慌てて前に向き直ります。


…いきなり突っ込んでこないでください。それとはやく僕の背中から下りてください。

「いや〜、楽しみだね。まるでお祭り! 最近は学校で問題が起こらないからつまらなかったんだよね」


 僕の注意を軽くスルーし、嬉しそうに笑って僕の背中にブラブラしている奏さんをどうにかしてほしいと琴音さんに視線を送ります。

 その視線に気づいたのか、琴音さんは、ふむ、と唸ったあと、腕を組みました。その視線は心なしか少し厳しめです。

 嗚呼、やりすぎだと奏さんをたしめてくれるんですね?


「見せつけてくれるな、義弟君。奏、もっとやれ」

「あいさー」


 ですよねー。琴音さんなら僕のことを素直に開放したりしませんよねー。


 僕は大きくため息をついて、この嵐が過ぎ去るのを待つことにしました。




 奏さんに遊ばれること十分、ようやく退出の許可が出たので、放心しているクイナさんを引きずりながら生徒会室を脱出しました。


 生徒会室から十二分に離れてから、適当な空き教室に入り、未だ放心中のクイナさんを頬を軽く叩いて目を覚ましてもらいます。


「こ、ここはどこっすか!? 私は誰っすか!?」

…ここはA棟の三階で、あなたは神津クイナさんですよ。


 クイナさんの定番のボケに丁寧にツッコミながら、僕は自分のYシャツのボタンを一個一個外していきました。ちなみにYシャツの下には黒いTシャツを着込んでいます。


 その僕の行動にクイナさんは何故か顔を真っ赤にして吹き出し、ひどく取り乱したようにあたふたしだしました。


「な、何やってるっすか! いきなり!!」

…むしろ、クイナさんはどうしてそんなに焦ってるんですか?


 クイナさんの質問に質問で返し、脱いだYシャツの首元や胸ポケットを探ります。無いですね……。

 予想外の事態に少し思案していると、目の前で何ごとかまくし立てているクイナさんと目が合いました。

 なるほど、その手がありましたか。


…少し、いいですか。

「え、は、何すか!!? いったい何の許可を取ろうとしてるんすか!?」


 脱いだYシャツを畳んで机の上に置き、じりじりと距離を詰めると、ちょっと申し訳ないくらい動揺しはじめたクイナさんにさすがに少し罪悪感がわいてきました。

 なので、出来るだけクイナさんが安心できるように笑顔を作って口を開きました。


…なるべく、痛いようにはしません。すぐに終わりますから。

「……ぁ…………はい」


 顔を赤くしたまま急におとなしくなったクイナさんの様子に首を傾げながら、クイナさんの肩に手を置きました。その際、びくりとクイナさんの身体が震えました。


…大丈夫ですか? 震えているようですか。

「……大丈夫っ…………す! 初めてじゃ、ないから」


 初めて、ですか? いったいクイナさんは何のことを言ってるんでしょうか?

 疑問には思いながらも、とりあえずクイナさんの顔に僕の顔も近づけます。同時に右手でクイナさんのYシャツの首元に巻いてあるリボンに触れます。


「こ、こんなところで……」


 何となく非難がましいクイナさんの声が聞こえましたが、それよりも僕には早急に済まさなければいけないことがありますから聞こえなかったことにします。


…むむ、ここにも無いのですか。

「す、するなら早く済ませてよっ!」

…申し訳ありません。今、済ませますから。


 先ほどから何故か目を瞑っているクイナさんに急かされながら、手を背中に回します。


…と言いますか、いつもの口グセはどうしたんですか?

「……あぁ!! もう今はそんなことどうでもいいでしょ!?」

…まったくもってその通りです、ね。ん、やっぱりありました、盗聴器。

「…………ふぇ?」


 首の後ろ側の襟に挟み込んであった十円玉程度の大きさのそれを摘まみとってクイナさんに見せます。

 閉じていた目を開きぽかんとした表情をするクイナさんについつい笑みを浮かべてながら、外した盗聴器に、空き教室に置いておきますよ、と話しかけ(?)、Yシャツを乗せておいた机の上に置きました。


…あのお二人の部屋に行ったあとは、盗聴器を仕掛けられてないかしっかりと調べておいた方がいいですよ。この前、僕も酷い目に会いましたから。

「…………」


 Yシャツに腕を通してボタンを留めようとしたところで、対面しているクイナさんの様子がおかしいことに気付きました。


 もしかして、泣いてませんか……?


「……か」

…え? 何でしょうか、うまく聞きと

「馬鹿馬鹿馬鹿ぁぁぁぁあああ〜!! この天然フラグクラッシャー!!!」


 クイナさんは顔をこれ以上ないくらい真っ赤にし、涙を流しながら空き教室から飛び出していきました。

 呆気にとられてしまった僕は、その場を一歩も動くことができず、その背中を見送ることしかできませんでした。


 遠くで琴音さんと奏さんの笑う声が聞こえた気がしました。



…僕がいったい何をしたんですか?


 ぽつり、と自然にそんな言葉がもれました。



 遠くで聞こえる笑い声のボリュームが大きくなったような気がしました。

疾走。疾走。疾走。


体育祭は明日だというのに、私は全力で疾駆していた。


何を期待していた?

笑顔を向けられてどう感じた?

肩を掴まれてどう思った?


そんな取り留めのない思考を置き去りにしたくて、思い切り駆けていた。が、脳が考えていたより早く、私の肺も、両足も、限界を迎えた。

脚を止め、肩で息をしていると置き去りにした思考が早くも追い付いてきた。



今まで、誰かを好きになったことなんてなかった。そんなことよりも面白いことが私にはあったからだ。


それでいいと、何も知らなかった私は思っていた。



それがあの日、保健室で彼と再会してから、全ての歯車が狂いだした。


……否、ようやく正常に廻り出したのかもしれない。


次回『大運動会開催・午前の部』


ああ、認めよう。認めてやる。私は彼のことが――――

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