098
はたしてマーシャルの予想通り、ハワードとガイはジョセフィーヌ・アッカーソンと彼女を守る冒険者たちと対峙していた。
ラクロワ伯爵が代官を勤めるガルドリアは、森の民が多い。所謂、エルフ族だ。連峰の裾野にはドワーフ族や獣人族も暮らしている。勿論、人族も普通に暮らしているが、その比率は大きく他種族に傾いていた。ハワードは、自分達がガルドリアに入るより前に精霊へ頼み、森の民に知らせて足止めを頼んでいる。
その結果、箱馬車はノーザイト要塞砦からラクロワ伯爵領を結ぶ街道の森で、盛大に彷徨さまようことになった。森に住む精霊たちが道を塞ぎ、エルフたちが魔法で幻影を見せ、ドワーフが罠を仕掛け、獣人たちが馬や箱馬車に乗る者等を脅えさる。そうやって、箱馬車の動きを一時的に封じ、ハワードとガイがラクロワ伯爵の城へ到着するまで待っていた。
箱馬車が森を抜けると、ラクロワ伯爵の城まで一時間も掛からない。馭者を務める冒険者は、漸く安堵の息を吐いた。普通なら、一日もあればラクロワ伯爵の城まで辿り着ける。一言で言うならば、森の様子が異様だったのだ。
一昨日の夜。冒険者たちは無理やり大門を抜け、ガルドリアがある森の手前で箱馬車を停めた。昼間であれば危険は少ないが、夜間に森へ入ることは躊躇われた。そうして夜が明けてから、再び動き出したのだ。当初、朝日に照らされ森は明るかった。しかし、進む内に森は暗くなり、木々は鬱蒼と生い茂り、広かった街道は箱馬車が辛うじて通れるかどうかの細い道になっていた。迷ったのかと振り返ってみるが、ノーザイト要塞砦からガルドリアまで横道はない。
枝が邪魔だと降りて確認すると、そこにあったはずの枝が見当たらない。それを何度も繰り返しながら進むと、今度は踏みしめられ固いはずの地面が、柔らかく湿った泥地になり車輪が埋まる。挙げ句の果てに、木々の狭い隙間を、何かの影が街道沿いを駆け回る。
魔物が出たと警戒するが、襲い掛かってくることはない。暫く経つと、再び影が箱馬車の近くを過ぎ去っていく。この状況で、冷静な判断など出来るはすもない。ガルドリアの跳ね橋がうっすらと見える位置にたどり着く頃には、かなり日が傾いていた。
「やっとガルドリアが見えたな」
「ああ、後少しだ。頑張ろう」
しかし、馭者を任されていた冒険者がホッと出来たのは、ごく短い時間だった。ようやっと辿り着いたガルドリアを見て、冒険者の顔色が悪くなる。
「跳ね橋が、上がっている?」
ガルドリアは堀に囲まれ、出入口は二箇所の跳ね橋しかない。その跳ね橋が、まだ日暮れ前だというのに上げられている。冒険者達が訝しみ、馭者席から降りて城を見上げると、ベルクフリートに人影が見えた。
「依頼人の話じゃ、ここにエドワード王太子殿下が居るんだろ。たぶん、その所為じゃねえの? これ、貴族様の箱馬車だし、すぐに跳ね橋を下ろしてくれるだろ」
「そうだな。それまで、待つか」
見張りが気付けば、跳ね橋も下りるだろうと安堵の息を吐いた。二人揃って、背筋を伸ばす。一人は、箱馬車に乗る女性二人の所へ、もう一人は道の脇にあった大きめの石へ腰を下ろす。
そもそも、彼等は王都で依頼を受けた冒険者に過ぎない。護衛依頼は、Cランクから受けることが可能になるが、正直な話、冒険者にとって利が少ない。依頼主が商人であれば、最初で何処までが、依頼に含まれるのかを確認する。盗賊や魔物から商人を守るだけでも大変だ。それに加えて、荷馬車に積まれた商品まで守るとなると、相当数の護衛が必要となる。商品に傷が入った、商品が奪われた、そういったことで、揉める話をよく耳にしていた。
その点、この依頼は貴婦人の旅を護衛するもの。貴族からの依頼は、Bランクからと決まっている。男もBランクに上がったばかりだった。ここで、貴婦人に気に入られれば、貴族と繋がりが持てる。チャンスに恵まれれば、専属になれるかもしれないと男は欲が出た。
「ま、冒険者と警備兵を襲えと言われた時は、ひやひやしたけど楽な依頼だったよな。後は、王都に送り届けるだけだし……」
馬の嘶きが聞こえ、石に座っていた男が驚いて箱馬車を振り返ると、馬車と馬を繋ぐハーネスが切れて馬が駆け出していく。城のベルクフリートにいる見張りが、弓矢でハーネスを切ったのだと気付いたのは、次の矢が飛んできてからだった。
「ちょっと! どうなってるのよっ!」
「俺が知りてえっての!」
「あんな場所から、どうやって狙ってるのっ!」
侍女の役割を果たしている女性冒険者が、箱馬車から弓を持って外へ飛び出して来たが、牽制するようにベルクフリートから矢が降ってくる。もう一人の男も矢に追い立てられ、箱馬車の陰から動くことが出来ない。
「嘘だろ⋯⋯。こんな、やばい依頼だって聞いてない」
箱馬車から離れて石に座っていた男は、上擦った声で呟く。確かに警備兵を襲ったが、それは公爵夫人と名乗った貴婦人に命令されたからだ。ノーザイト要塞砦の騎士団や警備隊に追われるなら理解できた。しかし、着いたばかりのラクロワ伯爵家から攻撃を受けている。確かに、迷走したが一本道の街道で誰とも出会わなかったし、抜かれてもいない。そこまで考えて、男は奇妙な事に気付いた。
「街道なのに、人が居ない?」
「ようやく、気付いたか」
「なっ? うわっ!」
後ろから声を掛けられ、振り返りながら帯刀している剣に手を掛けたが、それよりも早く風を斬るような音が鳴り、目の前に穂先が突き出された。辛うじて回避した男は、無様に尻餅をつくと向けられた穂先から柄へ視線を上げていく。そうして、ノーザイト要塞砦の騎士服が目に入り、 気が動転する。
「な、なんで……」
濃紺の騎士服は、ノーザイト要塞砦騎士団の制服。そして、丈の長い騎士服は師団長の標。
「どうして、師団長クラスが出てくんだよっ! たかが、警備兵を襲ったぐら――――」
「辺境に住まう者にとって、警備隊隊員は自分たちを守ってくれる盾だ。たかがと呼べる者たちではない。そして、貴様たちは同業の冒険者たちにも怪我を負わせたな?」
「そ、それは、公爵夫人に命令されて仕方なくっ」
「なるほど。王都の冒険者は、命令されたら同業殺しもするのか。貴様が門で跳ね飛ばした警備隊員は、今も重篤な状態だ。その件もオズワルド公爵へ報告しておこう。だが、俺達の目的はお前達じゃない。お前の雇い主だ」
「っ! ただの旅じゃなかったのかよ!」
素直にその言葉を信じたお前が悪い。そう言って斧槍の穂先を逸らすと、呆れたように溜息を吐いた。
「大人しく降伏するならば、手は出さない。だが――――」
「する! 降伏する。俺達は、ただ旅の護衛と聞いたんだ! こんな危険な依頼だと知っていたら、受けてなかったっ!」
男は装備していた剣を騎士に差し出し、平伏する。それを受けとると箱馬車へ視線を向けた。箱馬車に張り付いていた男女も、同じように武器を地面に置き、大きく頷いていた。
「そのまま武器を置いて、跳ね橋へ向かえ。少しでも怪しい振る舞いをすれば容赦しない」
その場にいる者達の背後で、跳ね橋が下りる音が響き渡る。
「お前達の処分は、オズワルド公爵領の冒険者ギルドとノーザイト要塞砦騎士団で話し合う。それまで、ラクロワ伯爵家の牢に大人しく入っていろ」
跳ね橋が降りるとガシャガシャとフルプレートアーマーの音を鳴らし、ラクロワ伯爵家の私兵たちが姿を見せる。
「ノーザイト要塞砦騎士団第二師団長ガイ・ラクロワだ。冒険者三名は既に降伏した。騎士団が護送するまでの間、ラクロワ伯爵に冒険者の身柄の拘束、並びに一般牢への勾留を要請したい」
「はっ。既にラクロワ伯爵家当主リゲル様より話は伺っております」
「宜しく頼む」
「はっ」
ラクロワ伯爵家の私兵たちはガイに敬礼すると、座り込んで項垂れている三人を立たせて城へ連行していく。そんな彼らと入れ違いに、二人の男性が跳ね橋からガイの元へ歩いて来る。
「ハワード。なぜ、連れて来た?」
「流石にエドワード王太子殿下には逆らえなくてな」
ガイは、ハワードの隣に立つ人物へ視線を向けた。王都に帰還することが決まり、髪色は元に戻り服装もノーザイト要塞砦に滞在していた時と比べ、かっちりとしたものに変わっている。エドワード王太子とマーシャルの間で、どんな遣り取りがあったのか詳しく聞いていない。ガイ自身は街には入らず、城にも帰参せず、箱馬車を森で待ち伏せていた。ハワードの表情を見る限り、納得がいく話し合いではなかったのだろう。
「ハワードに責はない。私が連れて行けと命令を出した。……ジョセフィーヌ・アッカーソンは、箱馬車の中にいるのか」
「エドワード王太子殿下は、御下がりください。これは、我等の任務です」
「どけっ! 私が、直々に取り調べる。何のために学んだのだ!」
「学んだことと、これは別です。いくらエドワード王太子殿下でも越権行為で許せる範囲ではない」
憤りを抑えようともしないエドワード王太子の前に、立ち塞がるようにガイは立つ。それが気に入らないエドワード王太子は、進行の妨げになるガイの腕を掴むが、びくともしない。その腕を掴んだまま、エドワード王太子の顔が苦しげに歪む。既にガイの眼は龍眼になっている。その姿を目にして、エドワード王太子は悔しそうに声を上擦らせた。
「第二師団長⋯⋯。否、ガイ・ラクロワ。龍王を守護する者よ。私は、私はっ……王家は、こんなこと望んでいないっ。そのために、私は学んできたというのにっ!」
恐らくラクロワ伯爵が、エドワード王太子に何かを語ったのだろう。何を何処まで知ったのか、それはガイにも分からない。その言葉に、ガイは溜息を吐く。恐らく、エドワード王太子は王族は龍王とその眷属に敵対する意思がないと言いたいのだろう。エドワードの後ろにいるハワードへ、視線をやると肩を竦めて見せた。
「望んでいないことは、分かった。だが、これだけは譲れない。譲ることは許されない」
「ガイ……」
たとえ、父親であるラクロワ伯爵に命令されても譲るつもりはなかった。龍たちを害され、ウィルも深手を負わされたのだ。その元凶が、この箱馬車にいる。口に出すことはないが、ハワードも同じ気持ちだろう。強く掴まれていた腕から力が抜け、エドワード王太子の手が離れていく。そうして、ハワードとガイが箱馬車へ向かおうとした時だった。箱馬車のドアが開かれ、熟年の女性が飛び出してくる。
「ああ、エドワード! 妾を助けに来てくれたのね。そこの者達を今すぐ捕えてちょうだい! 前王妃である妾が乗る馬車を襲ったのよ」
咄嗟にガイは、己の武器に手を掛ける。前王妃という言葉は、彼にとって禁句とも呼べる物と成り代わっていた。これでも堪えていたのだ。徐々に濃くなっていくガイの魔力に、エドワード王太子は思わず息を呑む。しかし、ジョセフィーヌ・アッカーソンは、その様子に気付かず、更に言い募る。
「妾に刃を向ける奸臣など、この国には必要ないの。エドワード、この場で首を撥ねてしまいなさい」
その言葉に、 エドワード王太子は咎めるような視線を女性へ投げた。例え、王族であっても決して口に乗せてはならない言葉をジョセフィーヌ・アッカーソンは口にした。
「ジョセフィーヌ・アッカーソン。貴様に私の名を呼ぶことを許可した覚えはない。そして王太子である私に彼等の首を撥ねよとは、どういう意味だ? 貴様こそ、己の分を弁えよ!」
「なっ! 妾は、前王妃で――」
「その身が王家の生まれならば、それも認められよう。しかし、伯爵家から王家に嫁いだ貴様がアッカーソン家へ降嫁した時点で、王家との繋がりは途絶えている。よって、私との繋がりもない。それに……ラクロワ師団長、マクレン師団長は、職務を履行したまでのこと。貴様如きに、口やかましく言う権利はないと心得よ」
ジョセフィーヌは、顔を真っ赤に染めてエドワード王太子を睨みつけていたが、ハッとしたように扇子で顔を隠した。淑女たる者が、人前で晒すような顔でないことを思い出したようだ。エドワード王太子が一歩後退して、ここで取り調べを行なえとガイに告げると、今度はガイが前に出る。
「アッカーソン公爵夫人、ノーザイト要塞砦での所業に釈明があるか?」
「あら。前王妃でもある妾に、釈明が必要かしら?」
「今は、公爵夫人だろう」
「あら、そうね。でも、妾は王妃に選ばれるほどの器の持ち主なのよ。そんな妾の道行きを阻む者に仕置きをして、何がいけないというのかしら? 本当にオズワルド公爵領の者達は、愚か者ばかりで困るわ」
悪いことをしたという意識は、全く見られない。さも、当然のように自己弁護をするジョセフィーヌに、ガイは怒りが膨れ上がる。その様子を見て、今まで黙っていたハワードが、ガイの肩を叩き、後ろへ下がらせた。腹立たしいのはハワードも同じ。しかし、このままガイに取り調べを執らせると、行き着く果ては目に見えている。
「ハロルド・ガナスの件は、どう弁明する? 謀反のきっかけを作った罪は重い」
「なんのお話かしら?」
「ハロルド・ガナスが、アッカーソン公爵婦人に唆され、禁域へ入り龍の卵を盗み出した件だ」
「あれは、唆したのではなく親切心で教えて差し上げただけのことですわ。下賤の輩に負けたと聞いて、可哀想でしたから力を授けてあげただけですの。こういう力もあるのですわと教えて差し上げただけで、妾は何も悪いことなどしていませんわ」
物は言いようというが、確かに口が旨うまい。ハワードは、不敵な笑みを漏らすとエドワード王太子へと振り返った。
「エドワード王太子殿下に問おう。龍王、そして龍王の眷属に繋がる全て。たとえ王族であったとしても、それらを口に乗せることを禁じられているはずだが、どうなっている?」
「それは――」
「うふっ。うふふふふっ」
エドワード王太子が答えるよりも先に、ジョセフィーヌの笑い声が聞こえ、ハワードは再び彼女へと視線を戻す。他人を見下すことが当たり前、息をするように蔑むジョセフィーヌに、その場にいた三人は溜息すら出ない。その存在自体が、異様に見えた。
「ああ、可笑しいわ。そんなこと、妾に関係ないと思いますの。確かに前王妃ですけれど、今の妾は公爵夫人ですもの」
「終生、王家の秘密を口に乗せないと、王家と婚姻するときに誓約させられただろう?」
「あら、そうだったかしらねえ? そんな昔のことなんて、覚えていませんわ。それに、妾が彼に話したことより、存在するか分からない子供向のお伽噺にしかならない龍の話を信じる者の方が愚か者なのではないのかしら? ウフフフフ。ホホ、オホホホホ」
「龍王と龍王の眷属を愚弄する気か?」
ハワードは隣にいるガイを一瞥して、高笑いを続けるジョセフィーヌに、怒りを抑えて問いかける。これ以上、龍王とその眷属を愚弄する相手に対して、ガイを押留めることは不可能だ。
「今更、龍王と龍王の眷属が何だって言うのかしら? 人族に恩恵を与える役目を放棄した龍王を敬う必要なんてあるとは思えませんもの。ただ大きいだけの蜥蜴ですわ」
その一言が、どんなことを引き起こすかジョセフィーヌは気付いていなかった。
「取り消せ。今の言葉を――」
「ひっ!」
「取り消せぇぇえぇっ!」
そこには、騎士服を纏う人族ではない者。白い鱗の肌、耳は尖り、角や牙が生え、縦に長い瞳孔でジョセフィーヌを睨みつける『龍王を守護する者』の姿があった。




