096
紅龍達がウィルを龍の住処へ連れ帰った、その日から一夜明け――ノーザイト要塞砦の被害が明らかとなった。
特務師団の騎士たちが、特務師団の詰所に火を放ち、火計の策を取るが、街に被害が及ぶ前に鎮火した。
街の住民や家屋に被害が拡大しなかったのは、第二師団・第四師団・第五師団の魔法士を総動員して、街の防衛にあたったお蔭だろう。
現在、第五師団は治癒士を街へ派遣して、負傷者の確認を行なっている。残りの第五師団の騎士は亡くなった騎士たちの遺体を収容中だ。警備隊は、街の住民や商人たちの対応に追われている。
「この大通りだけ、随分と遺体が多いな」
「ああ、モラン師団長を助けた少年を襲おうとした特務師団と、それを阻止しようとした第一師団が戦った通りだからな」
「それで、こんなに酷いのか」
「ああ……。それでも、思っていた以上に死者は少なくてすんだらしい」
第五師団の騎士が荷馬車を引いてきたのは、ウィルが住む家の大通り。未だ遺体の収容が済んでおらず、商店は臨時休業している。第一師団は百十九名の騎士が命を落としたのだから、少ないとも呼べない。そのほとんどが、この大通りで亡くなっている。負傷者も多く、ノーザイト要塞砦に残っていた第一師団は、壊滅的な被害を受けていた。
「それでも、よく頑張った方だろう」
「コンラッド師団長!」
「街で残っている遺体は、この通りで最後だ」
「はっ!」
第五師団を預かるダリウス・コンラッドは、愛馬に跨り街を捜索する部下達へ指示を出していた。ノーザイト要塞砦騎士団の敷地内は第二師団と第四師団に任せ、街へ出てきている。
「それにしても……」
折り重なるように亡くなっている騎士たちの顔は、対照的なものだった。一方は、満足気に笑みを浮かべ亡くなっている騎士、その一方で悔しげに歪んでいる騎士。
「……守り通せた誇りを掲げ、逝った者か」
第一師団は、戦闘部隊ではない。第二師団から第六師団を纏め、指示を出し統制する役割を果たしている。どちらかといえば、ノーザイト要塞砦騎士団の中では、戦闘が不得手な騎士が多い。それでも王都騎士団や近衛騎士団に比べると、格段に強い騎士たちだ。その騎士等が、ここまで満足気に逝ける。
「実に、羨ましいことだ」
「ええ、本当に」
師団長のダリウス・コンラッドが発すれば、遺体を集めていた騎士も同意するように頷く。其々に黙祷を捧げながら、遺体を納棺しては荷馬車へと積み続けた。
昨晩、ノーザイト要塞砦騎士団第一師団、その頭脳であるマーシャル・モラン師団長が、ハロルド・ガナスに急襲を受け重篤な状態と、第三師団の騎士から報告を受け、待機していた第五師団師団長ダリウス・コンラッドと第四師団師団長のディーン・ファーガスは、信号弾を待たず突入すべきか、判断に悩んだ。
第二師団は大門から、第四師団と第五師団は街を囲む壁と壁の内にある非常時用通路から突入する手筈で、既に各中隊に別れ待機していた。第三師団の騎士から、次の知らせが届いたのは、それから間もなくのことだった。
『第一師団の騎士が特務師団の騎士と大通りで戦闘中』
何故、そんな場所で戦闘が起きたのか。その理由を尋ねても第三師団の騎士は、それ以上の情報は、持っておらず――。
街へ続く大通りであれば、民に被害が及ぶ。第一師団の頭脳が倒れたことで血迷ったかと、出撃命令を出そうとするダリウス・コンラッドとディーン・ファーガスを止めたのは、第二師団副師団長を務めるユアン・イザドルだった。
その通り沿いに第一・第二・第三師団が護衛対象としている少年が住むのだと。そして、恐らくモラン師団長を救えるのは、その少年であると。その少年が、特務師団の騎士達に狙われ、護衛対象となっていたことも、ユアン・イザドルが二人に語った。
刻々と過ぎていく時間を、彼らは歯痒い気持ちで待った。第二師団副師団長ユアン・イザドルが語った言葉が真実であるならば、待ち続けるしかない。それでも待つのは、夜九時の鐘が鳴るまでと定めた。
それが、証明されるように騎士団詰所から信号弾が上がり、その数秒後、魔境からも信号弾が放たれた。そして、一斉に動いた。第二師団の騎士は、ユアン・イザドルが率いて騎馬隊で騎士団詰所へ真っ直ぐに向かい、第五師団のダリウス・コンラッドが第四師団の騎士と第五師団の戦闘騎士の指揮を執り、特務師団詰所へ。第四師団のディーン・ファーガスが指揮を執り、各師団の魔法士達を引き連れ、街の防衛へと向かった。
ノーザイト要塞砦の防衛としては確かに成功したのだろうが、亡くなった騎士達のことを思うとダリウスはやるせない気持ちになってしまう。
「騎士たちの遺体は、丁重に運んでやれ。街が守れたのは、この者等のお陰だ」
「はっ!」
ダリウス・コンラッドは愛馬から降り、騎士の一人に馬を預けると細道へと進む。その先の通りでは、第三師団の騎士が遺体を納棺し、運び足そうとしていた。ダリウス・コンラッドの姿に気付いた騎士たちは、その手を止めて敬礼する。
亡くなった第三師団の騎士たちの棺には包布が掛けられ、その上に剣が乗せられている。恐らく、この包布は元第一師団副師団長補佐が掛けたものを、そのまま持ち帰るのだろう。ダリウスは並べられた遺体の前に立ち、敬礼して黙祷を捧げると、騎士たちに運ぶよう指示を出した。
ダリウス・コンラッドの脳裏に浮かぶのは、血に染まった痛ましい少年の泣き叫ぶ姿。騎士たちと過ごした僅かな日々を大切に思ってくれた、己を守るため戦った騎士たちの命を惜しんでくれた、心優しい少年。
「(……あれは流石に、堪えたな)」
恐らく自分の息子より幼い少年。その少年が、傲慢な者たちが起こした謀反の戦場に立たされた。それも、たった一人で。あの場にいた騎士たちの誰もが、己の不甲斐なさを感じたはずだ。その少年も行方不明と聞かされている。ダリウス・コンラッドは大きく息を吐き出すと、その場を立ち去り部下の待つ騎士団詰所へ向かうのだった。
「謀反に加担した者は、おおよそ八百名。そのほとんどが、首謀者ハロルド・ガナスの手に寄って洗脳されていました。そのうち、二百三十五名は同師団の騎士により、謀反が起きる前に捕縛され謀反自体に参加していません。死者は全ての師団を合わせ六百一名。負傷者は約九百名。首謀者は三十二名。残りの騎士百八十一名についても、現在取り調べが進んでいます」
「死者の内訳は?」
「第一師団百十九名、第三師団三名、特務師団四百三十名ですね」
「……そうか」
既に夜半とも呼べる時間帯。報告を済ませるため、マーシャルはアレクサンドラの執務室を訪れていた。負傷者たちは、魔法訓練所に運ばれ、各師団の治癒士達が協力して治癒にあたっている。既に、軽症の騎士は、魔法薬で回復すると各師団の職務へ戻っていた。第二師団の騎士と手隙の騎士は、焼失した敷地内の設備を撤去してまわっている。
「第一師団は引き続き、取り調べを続けます。第三師団は継続して街へ潜り、第四師団・第五師団は、三日後にルグレガンとセルレキアに帰還してもらい、代わりに第一師団をノーザイト要塞砦へ帰還させます。エドワード王太子殿下も王都への帰路に就かれるのですから、これ以上今の体制を取る必要はありません」
「ほう? エドワードが頭を縦に振ったか」
「ええ。交換条件を出されましたが、何とか振らせました。それに……」
エドワードは現在、ラクロワ伯爵が代官を勤めるガルドリアにいる。それは、次期領主セドリックが立ち寄っていた宿場がラクロワ伯爵が代官を勤める地だったこともあるが、ラクロワ伯爵の城が目的でもあった。
「ラクロワ伯爵の城は、難攻不落と呼ばれる城ですからね。まず、エドワード王太子殿下を人質にしようという不心得者は出ないと考えたのですよ」
「……確かに、祖父の右腕と呼ばれた伯爵ならば、それは許さんだろう」
「ええ。これ以上の滞在は非常に迷惑ですと、エドワード王太子殿下に直接伝えましたからね」
ウィルの家で、ガイとハワードに指示を出したマーシャルは、その足でエドワード王太子殿下が滞在する屋敷を訪問している。そこで、エドワードエドワード王太子殿下に謀反が起こる可能性があること示唆し、その場で遊学を続けられるとオズワルド公爵領に不利益になると告げたのだ。
既に、オズワルド公爵領に隣接する領の領主へ先触れを出し、その領主からの領地の境まで迎えを送ると、返書も受け取っている。三日後には、第六師団が隣の領まで送る段取りも整えた。
「そうか……事の詳細は、私から次期領主に伝えておこう」
「よろしくお願いします。それでは、失礼します」
マーシャルが一礼して執務室を出ようとすると、アレクサンドラは呼び止め立ち上がった。その手には、封書の束が握られている。
「ほとんどが領内の貴族から援助の申し出だが、これは別だ」
「それは?」
「ハロルドの廃嫡手続きをしたと、ガナス家から早馬が来た。当家と関わりのない者故、オズワルド公爵領で好きに処分しろと書かれていたぞ」
「それは、また……。随分と早いですね。昨日の今日ですよ?」
「魔塔の所長の愚痴付きで届けられたからな。金と伝手を使って無理やり送らされたそうだ。恐らく、貴族街の屋敷にいたガナス家の執事が知らせたのではないか? それに、そのうち同じような封書が王都からも押し寄せるだろう」
「ああ。街にいる錬金術研究所の男を使ったのでしょうね。しかし、此処でも王都の貴族が絡んできますか。面倒ですね」
「全くだ」
二人揃って溜息を吐き出し、マーシャルは封書を受けとると、今度こそアレクサンドラの執務室を退出した。廊下は騎士によって掃除が済み以前の姿に近いが、血の臭いは色濃く残っている。窓から外へ視線を向ければ、篝火の中で騎士が懸命に野営用のテントを張っていた。その横では、食堂の調理人たちが炊き出しをしている。
「とりあえず……休める場所を確保するのが、先ですかねえ。騎士は、身体が資本ですから……。予算も考えなければなりませんし、技術者も集めなければならないし、取り調べも進める必要がありますし……。当分、休暇は取れそうにありませんね」
「休んでくださいと言った部下の言葉を聞かなかったのは、マーシャルだろう?」
「第一師団の騎士は、動けない者がほとんどです。部下も疲れているのに、自分だけ休むなんてことが出来るとでも? ハワードも、総長に報告ですか?」
「ああ。明日になればベアトリスが帰ってくる。そうすれば、魔法訓練所に収容されている負傷者たちも、各師団に復帰できるだろう」
ハワードは隣に並ぶと、書類の束をマーシャルへ見せた。ズラリと並ぶ名前にマーシャルは溜息を吐き出す。
「ハワード。これ以上、私の仕事を増やさないでください。ただでさえ忙しいというのに」
「仕方がないだろう。オズワルド公爵領に王都近隣の貴族を知る者は少ないんだ。お前に確認するのが、一番早い」
「はぁ⋯⋯解りました。見せてください」
再び溜息を吐き出して書類を受けとると、マーシャルは受け取った書類を分けていく。それはノーザイト要塞砦へ不法に入り込んでいた貴族たちのリストだった。第三師団の騎士は昨晩、謀反の最中にノーザイト要塞砦から逃げ出そうとしている不法滞在中の貴族達を一斉摘発していた。
「この方々は、害はありません。純粋にエドワード王太子殿下と繋がりを持ちたい方々でしょう。それから、此方は謀反を起こした騎士達の縁戚に当たる家系ですから、引き続き捜査をお願いします。……後、此方は貴族至上主義の方々なので、問題を起こす前に即刻追い出してください。まあ、エドワード王太子殿下が王都へ帰還すると教えれば、大人しく言うことを聞くと思いますよ。……これは?」
最後の一枚に手を掛け、マーシャルはハワードへ視線を向けた。街にある宿屋に宿泊していた貴族婦人と書かれ、その他の詳細は不明のようだ。
「宿泊していたということは、もう居ないということですか?」
「昨晩、二頭立ての箱馬車が警備隊の静止を振り切り、砦を飛び出した。第二師団騎馬隊が大門から突入した直後のことで、落とし格子が間に合わなかったらしい」
「負傷者は?」
「貴族街の門番をしていた冒険者二人が重症。大門で箱馬車を止めようとした警備兵が二人。一人は軽傷だが、もう一人が危険な状態らしい。ベアトリスが間に合うと良いんだが」
大門に居た他の警備兵から報告を受けた第三師団の騎士は軽傷を負った警備兵の元へ行き、事情を訊きた後、残っていた警備兵と貴族街へ向かった。そこに警備をしている冒険者二人が倒れていたのだと話す。
「警備をしていた冒険者の話では、見たことのない男二人女一人の冒険者と貴婦人だったため、入口で身分を明かすように警告したらしい」
「どなただったのですか?」
「判らん。だが、その貴婦人の護衛をしていた冒険者が『王家の縁戚にあたる公爵夫人が至急の要件あり、エドワード王太子殿下の元を訪れた』と警備中の冒険者に話したらしい。冒険者たちは、警備隊隊長がエドワード王太子殿下だとは知らんからな。そのような尊い方が貴族街に滞在中とは聞いていない。ノーザイト要塞砦騎士団に確認をすると答えたら、いきなり護衛の冒険者が斬り掛かってきたらしい。その後、箱馬車が逃走した。恐らく、この貴婦人が本星だろう」
「そういうことですか⋯⋯ハワードは、この件を総長に報告して、至急ガイと二人でガルドリアへ向かってください。王都へ向かうにしても、領地へ還るにしても、ガルドリアを通らねばなりません。領境の関所には、第一師団の騎士を向かわせます」
「わかった」
マーシャルは話を聞くと、ハワードに書類を突き返して歩き出す。レイゼバルト王国に公爵家は、三家。オズワルド公爵家・マンスフィールド公爵家・アッカーソン公爵家である。マンスフィールド公爵家の当主は、夫人を病気で亡くしている。それに、マンスフィールド公爵家は、ユニシロム独立迷宮都市と面する国境地帯が領地で、オズワルド公爵領から遠く離れていた。オズワルド公爵家と因縁を持つ公爵家は、アッカーソン公爵家に限られている。
「アッカーソン侯爵夫人⋯⋯否、ジョセフィーヌ前王妃。絶対に逃がしませんよ」
暗闇が広がる廊下に、マーシャルの声が冷たく響いた。




