009
窓から漏れる日差しが強くなり、ウィルは目覚めた。
「……んー………。っ? ここ……どこ?」
ベッドに手をついて起き上がると辺りを見回す。個人の部屋にしては、趣もなく雑然とした部屋であった。室内に置かれている物は、机に椅子、ベッドが数個並べられ、薬品が入った棚である。
「……なんか、保健室みたいな感じ?」
この世界に保健室は存在しないが、ノーザイト要塞砦騎士団の医務室なのだから、ウィルが感じた既視感は、あながち間違っていない。
「ベッドに横になった記憶ないんだけどな……」
思い返しても、ウィルの記憶はエドワードに見据えられていたところで途切れている。ベッドから降り立つと、神経を澄まし意識を外へ向けた。これは、龍の住処で覚えたスキルのひとつで、探知系のスキルとなる。広範囲に意識を張り巡らせ、周りにいる者の気配を探るスキルだ。
『探索』
意識を広げていくと、建物内部にかなりの人数がいることが分かる。そして、この建物の規模も大きな物だと分かった。
「エドワードさんの屋敷じゃないことは、確かだよね。警備隊の建物かな? でも、それにしては随分大きい建物のような気がするけど……」
ウィルが悩んでいると、人の気配が近づいてくる。それに気づいたウィルは、スキルを閉ざして大人しく部屋で待つことにした。
コンコンコン
「入るぞ」
「はい」
部屋に入ってきた相手を見て、身構えていたウィルは安堵の息を吐く。その相手が、信用しても大丈夫そうだと考えていた相手だった所為だ。
「……ガイさん、でしたよね?」
「ああ。眠気は取れたか? それから、俺に敬称は必要ない」
「えーと……敬称を外すのは、抵抗があります。それより、ありがとうございます。ガイさんが、助けてくださったんですか? ずっと、エドワードさんに見られ続けて辛かったので、助かりました」
嬉しそうな顔で見上げられ、ガイは返事に詰まる。助けるも何も、カーラ嬢がウィルに斬りかかり、それを阻止したのはウィル本人だ。
「……朝方の出来事を、覚えていないのか?」
ガイに問い掛けられも、睡魔に襲われ、門での出来事を覚えていないウィルは首を傾げる。
「何のことですか? 最後の方は、睡魔と戦ってましたけど……」
「⋯⋯どこまで覚えている?」
「えっと、しっかり覚えてるのは、門でエドワードさんに見られてたところまで、です」
「はあ……。まあ、あの様子では仕方ないことか。ここは、ノーザイト要塞砦騎士団の詰所にある医務室だ。とりあえず、俺の後に着いて来い」
ノーザイト要塞砦騎士団と聞いて、動きを止めるウィルにガイは胡乱げな目を向ける。
「……え? ノーザイト要塞砦警備隊じゃなくて、ノーザイト要塞砦騎士団? でも、エドワードさんは警備隊の隊長さんで……」
「その警備隊の隊長さんが問題行動を起こした。それを止めるために、ノーザイト要塞砦騎士団が動いた。それだけの話だ。理解できたか?」
ウィルの記憶が飛んでいるならば、ノーザイト要塞砦騎士団が出てきた理由が分からなくても仕方がない。ガイが、簡単に説明するとウィルは頷いた。
「あ、なるほど……」
「まあ、いい。着いてこい」
ウィルがガイの後に続いて医務室を出ると、廊下には男性……。否、鮮やかな赤色のストレートロングに、厚ぼったい唇が印象的な男装の麗人が壁に寄り掛かっている。男装の麗人は、ウィルと視線が絡むと口角を上げた。
「ほう。ベアトリス嬢が可愛い愛らしいと、はしゃぐのも無理はない。随分と綺麗な顔立ちをしている坊やだ」
「む。僕は、坊やじゃありません。ウィリアムです」
「私に反論するとは、気骨のある坊やだな。どうだ、ウィリアム。其方、私の部下にならぬか?」
「貴方もですか? お断りします。僕は、冒険者ギルドに冒険者として登録するために、ノーザイト要塞砦まで来たんです」
「クククッ。この私に、このような態度を取れるとは。ガイよ、ウィリアムは面白い坊やだと思わぬか?」
「……総長。坊やという呼び方は、彼に対して失礼だと思いますが?」
ウィルは、ガイの言葉に唖然となる。
「総長?」
「うむ、なんだ?」
「ノーザイト要塞砦騎士団の総長?」
「そうだな。私がノーザイト要塞砦騎士団の総長を務めている」
「ひぃっ! ご、ごめんなさいいぃ!」
ウィルは脱兎の如く駆け出す。その後ろでは、アレクサンドラが大笑いしている。そして、その大笑いしているアレクサンドラの姿を呆れたようにガイは見ていた。
「クッ、アハハハハハッ。久々に大笑いさせてもらったぞ。まだ、聴取が済んでおらん。ガイ、あの坊やを捕獲して来い」
「今頃、ハロルドが掴まえています」
「ほう。それで落ち着いて見ていたのか?」
「そういうことです。ハロルドには、総長の執務室へ連れてくるように言ってあります」
「ならば、執務室で待つとしよう」
一方、逃げ出したウィルは、ガイが語ったようにハロルドによって、詰所の中庭へ追い詰められていた。
「はいはい、逃げないでね。俺だって、君をいじめたい訳じゃないだからさー」
「なら、見逃してください!」
「それは、無理。これが俺の仕事だからよ」
「僕は平凡な暮らしがしたくて、ノーザイト要塞砦に来たんです! それなのに、なんで目が覚めたら騎士団なんて場所に居るんですか!」
子供のような姿のウィルを大男のハロルドが追っている姿を、建物内にいた騎士達は驚いた様子で見送る。中には、不憫そうにウィルを見ている騎士もいた。
そんな視線があることに気づかず、中庭をウィルは逃げ回っている。
「……昨夜、冒険者になるって言ってたよな? 冒険者が平凡な暮らしに入るのか? うーん。じぁあさ、俺に勝てたら逃げられるぜ? でも、俺って凄く強いんだぜ?」
「戦いません! こんな場所で戦ったら、直ぐ指名手配されるに決まってるじゃないですか! それに、召喚士と戦いたくありません!」
「へえ、凄いな。俺が召喚士って分かるのか。これは益々逃がすのが惜しくなった」
最終的には中庭の一角にある樹木までウィルは追い詰められ、その樹木の上に登っている。
「逃がしてくださいぃぃっ。なんで、こんなに、強い人が沢山いるんですか! こんなの反則です!」
「反則ってなあ、ウィリアムの言ってるのは突っ込みどころ満載だろ。……そりぁ、ノーザイト要塞砦騎士団だからだよ」
「ぎゃあぁぁっ!」
樹木にしがみつくウィルをハロルドは、無理矢理引き剥がして、ウィルを肩に担ぐと枝から飛び下りて歩き出す。ウィルも観念したのか、大人しくなった。
「それに、総長は怒ったりしないから、安心しろって言ってるだろ。ウィリアムは、からかわれたんだよ」
「それでも、やっぱり怖いです」
「まあ、総長が女傑であることは、間違いないけどな。でも、ウィリアムを助けたのも、保護するように指示したのも総長なんだぞ」
ハロルドの歩く速度に合わせて揺れ動く地面を見詰めながら、今朝方のことを振り返ってみるが、やはり助けたと言われてもウィルには記憶がない。
「……そうなんですか? エドワードさんに見据えられてたぐらいから、記憶が曖昧で……本当に覚えてないんです。眠たくて、どうしようもなかったし。だけど、寝たらエドワードさんに連れて行かれそうで……」
「あー。確かに、俺は見てたわけじゃないから知らねーけど、凄く執着してたらしいな。昨夜だって、嫌がってるのを引きずって連れて行こうとしたんだろ? しかし、寝とぼけて折ったのか。じぁあ、思いがけず良い結果になっただけなんだな。そりゃそうだよな。そんな強そうじゃねーし」
「……僕、何したんですか?」
「俺は見てないんだよ。ガイから聞いたんだ。ウィリアムに斬りつけようとした女の剣を叩き折ったんだろ? お、着いたぞ」
「そんなの、覚えてないです」
「総長、ハロルド・ガナスです。って、こら、暴れるな」
ハロルドがウィルを担いで執務室へ入ると、勢ぞろいで待ち構えている。それを見て、ウィルは再び暴れ出した。
「召喚士も少年の手にかかると形無しだな」
「それを言うならテイマーだろ。俺は、召喚士であってテイマーじゃないぞ」
「ハロルド、よく捕獲した。その坊やをソファに降ろしてくれ」
「はいよっと」
荷卸しをするように降ろされたウィルは、ソファの上に転がる。その肩をハロルドに掴まれて、ちゃんと座らされてしまった。
「さて。しっかりと自己紹介をしていなかったな。私は、ノーザイト要塞砦騎士団の総長を務めるアレクサンドラ・オズワルドだ」
「……オ、オズワルド公爵?」
「それは、私の父上だ。お前達も仮の立場でしか会っていないのだろう? 自己紹介をしてやれ」
ウィルはアレクサンドラの言葉で、周りを取り囲む四人の制服が昨夜と違うことに、ここに来て気付く。昨夜は、警備隊の隊員としてウィルと会っていた面々だ。
「ノーザイト要塞砦騎士団 第一師団師団長マーシャル・モランです」
「ノーザイト要塞砦騎士団 第二師団師団長ガイ・ラクロワ」
「ノーザイト要塞砦騎士団 第三師団師団長ハワード・クレマンだ」
「ノーザイト要塞砦騎士団 特務師団師団長ハロルド・ガナス。な、総長は怒らなかっただろ?」
「さて、次は坊やの番だ。一応、被害者にも確認を取らねばならんからな。先に行っておくが、嘘は通用せんぞ。正直に昨夜、エドワード・アシオス警備隊隊長と何があったか話せ」
アレクサンドラの言葉で、自分が何の為に執務室へ連れて来られたのかを理解したウィルは姿勢を正して、ここに居る面々を見る。
各々がソファに座る様子を見て、建物内で見掛けた騎士は短い丈だったことを思い出す。濃紺の丈の長い騎士服は、師団長の標なのだろうかと、ウィルは関係のないことを考えていた。
「(……嘘が通用しないってことは『看破』を持ってる人が、この中にいるってことだよね?)」
そうして、彼らがいなかった空白の時間の出来事を慎重に語り出した。