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龍の住処は広大だ。元々、龍の住処はアルトディニアと同じ地上にあった。しかし、龍王たちが人族の手で堕とされた時、龍王たちは最期の力を用いて、龍の住処をアルトディニアと隔絶された天空へと切り離したのだ。その中央部に存在するのが、鎮守の森。ウィルとフォスター。そして龍王が住まう森が、鎮守の森と呼ばれる場所である。
「どこへ向かっているんですか?」
『我等が、龍の墓場と呼ぶ場所がある。その近くの森だ。もう着くぞ』
「龍の墓場……」
言葉通り、蒼龍はゆっくりと地上へ舞い降りる。ウィルはフィーと、蒼龍の背から降りて辺りを見回した。その森は、今まで居た森に比べ、荒れている。剥き出しになった山肌。薙ぎ倒された倒木、途中から折れている木々もある。
『翁は、どうしている』
『奥で休まれているわ。今ならば、大丈夫』
江龍が振り向いた先に、山のように大きな龍が横たわっている。蒼龍に促され、ウィルはフィーを抱き締めたまま、翁と呼ばれる龍の前に立った。
「こんばんわ」
『……其方が、櫻龍と白龍を送った少年かい?』
「はい。ウィルといいます。この子はフィーです。僕に送って欲しいのは、おじいちゃんなんですよね?」
『む。なるほど、確かに儂は、おじいちゃんじゃわい』
「あ、ごめんなさい! 翁って蒼龍様が呼んでたので……。翁様の方が良いですか?」
『おじいちゃんで良いわい。そっちの方が嬉しいからのう』
翁は、おじいちゃんと呼ばれたことに気を良くしたのか、色々な事をウィルに語った。翁の番が、どういった龍であったのか、翁がどれほど長く生きているのか。
そして、紅龍が成龍になったばかりの頃のこと。ここに連れて来た蒼龍と江龍の馴れ初め。そうして、緑龍の好物まで話はおよんだ。
『……其方は、儂を覚えていてくれるか?』
「僕は、おじいちゃんのこと忘れません。色々な事を教えてもらいました。とっても話し上手なおじいちゃん龍だと、ずっと覚えています」
『それは、重畳。ならば、明日は頼むぞ。儂は、ちぃと疲れたわい』
翁はウィルに言うと、そのまま頭を地面に横たえて目を閉じた。ウィルは、一礼するとその場を離れ、蒼龍の元へと向かう。
「僕、おじいちゃん龍と、話をさせていただいて良かったです」
『すまぬ。其方に幾度も辛き想いをさせてしまうが』
「辛い、とは少し違う気がします。確かに別れは辛いけど、僕の術で苦しまずに天へ還れるなら、喜んでもらえるなら送ります。櫻龍と白龍の時は、何も知らなかったから辛かったけど……。それに、今はフィーも居てくれます。ね、フィー」
「キュッ!」
同意するようにフィーが鳴くと、蒼龍が大きな頭を斜めにして、フィーを見る。
『どうして、話さぬのだ?』
「元の大きさの時は普通に話せるんですけど、小さくなると話せないみたいです。フォスターの話では、慣れると問題なく話せるようになるみたいです」
『なるほど』
納得したのだろう。蒼龍は、ウィルに背に乗るよう告げると身体を屈めた。江龍は先に舞い上がり、空で待っている。来た時と同じように、背に乗せられて着いた先は、鎮守の森だった。
『明日の朝、迎えに来よう』
「はい。お願いします」
ウィルが頭を下げると、蒼龍と江龍はバサリと音を立て、空へ舞い上がっていく。どうやら、ウィルを乗せている時は気を使い、ゆっくりと飛んでくれていたようだ。あっという間に姿が見えなくなり、ウィルは森の中へ足を進めた。
「随分、遅かったですね。お昼も帰って来ないで」
家へ入ると、紙の束を持ち、ソファーに座るフォスターがウィルに声を掛ける。その声は、何時もに比べると若干低い。
「あ、ごめん……なさい」
「遠くへ行く時は先に言いなさいと、何度も言っているでしょう?」
「……はい」
「それと、ご飯の時間には必ず帰ってきなさい。フィーも、同じです。分かっているのですか? 龍の住処は夜になれば魔物も出るのですから、ちゃんと自分達で考えて行動しないと大変なことになるのですよ?」
「ギュィー」
紙の束をテーブルへ放り投げ、フォスターはウィルの前まで来ると注意を始める。何時もならば、このまま一時間以上お説教が続くのだが、何故か降ってきたのは言葉ではなく溜息だった。
「ウィル。ロッツェが貴方に何か囁いたようですが、気にする必要はありませんからね」
「え? なんで知ってるの?」
かけられた意外な言葉にフォスターの顔を見上げると、呆れたような顔でウィルを見詰めていた。
「緑龍からお聞きしました。ロッツェに耳元で囁かれてから、ウィルの様子がおかしくなったと。全く……。お昼になっても帰って来ないので、わざわざ緑龍のところまで探しに行ったのですよ?」
ポンポンと頭を軽く叩いて、フォスターは表情を緩める。泣き出す寸前の顔をしているウィルの頬にソッと両手を伸ばし触れるとムギュっと軽く摘まむ。
「アレが何を言ったとしても、能力は私が上ですから」
「ふぉんほぉ?」
「ええ。とりあえず、ウィルとフィーはお風呂に入ってきなさい。その間に、ご飯の支度をしておきます」
「はい!」
フォスターが頬から手を離すと、ウィルは大きな声で返事をして、フィーと共に家の奥へと駆けていく。その姿を見送って、テーブルに放り投げた紙の束へ視線を向けた。
「姑息な真似を⋯⋯」
この二千年、誰が何をしようが構わなかった。興味がなかった。しかし、元々の性質も相俟って、管理者としての責務だけは放棄していない。だからこそ、裏で暗躍している者達も掌握できている。
勝手をする分には口を挟むつもりはなかった。だが、それにウィルを巻き込むなら、フォスターも黙って見ている気はない。
「させぬ」
ポツリと呟き、紙の束を仕舞い込むと、フォスターは気持ちを切り替えてキッチンへ向かう。今日もウィル目当ての来客が多かったのだが、その中に豊穣を司る女神も居た。女神に食材の話をすると喜んで協力してくれたのだ。
「さて。喜ぶと良いのだが」
夕食と呼ぶには遅い時間になってしまったが、フォスターは下拵えを済ませていた食材へ手を掛ける。鍋に炊いていた物は『白飯』という食材だ。アルトディニアには、一種類しかない米。しかし、地球には幾種類もの米があるとフォスターが豊穣を司る女神に語ると興味を抱いたらしく、詳しく調べてみると話していたことを思い出す。
「ふむ。これは、色々と使い道のありそうな食材だ」
元々、創造を管轄とする神である。興味深そうに白飯を見詰めていたが、今は夕食だと気持ちを切り替えて調理を始めた。
お風呂を済ませ、テーブルに並べられた雑炊とドリアもどきに、ウィルが喜びの悲鳴を上げるまで、あと小一時間。




