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リゲルは、深く息を吐くと、口を押さえたまま固まっているウィルへ視線を向ける。
「少年よ、私も同じ気持ちだ。我がラクロワ一族は、レイゼバルト王国の初代国王との約定を果たすため、代々オズワルド領に貴族として生きてきた。貴族とは、民を守るために存在する。しかし、多くの者達が、そのことを忘れてしまった。貴族の家に生まれたという時点で、責務は平等にある。切り捨てれば、そこで終わりというものでもない。……それよりも『唆されて龍王の眷属に手を出したハロルド』という話は、息子から聞いていないが、どういうことか教えてもらえるか?」
ウィルは、少しの間リゲルを見詰めていたが、コクコクと頷いて話し始めた。
「還縁の場で、ハロルドが口にした言葉の中に『俺は騙されただけ』という言葉があったんです。僕もガイも櫻龍を止めることに必死になっていました。ただ、彼らは僕の結界領域の中にいたから聞こえただけで……。ハロルドは、俺は悪くない、還縁の場にドラゴンの巣があると言われて、卵を盗んだだけだ。そんな言い訳を始めて……。あ、ごめんなさい。僕、敬語が下手なんです」
ウィルはハロルドに関して、情状酌量の余地はないと考えている。皆を見返そう、強さを見せつけよう。そんな理由で、大勢の人を巻き込んで死者も負傷者も出した。そして、何より盟友が命を失う原因を作った。感情が高ぶり、言葉遣いが普通に戻ってしまったことに気付き、ウィルはリゲルに謝罪する。
「言葉遣いのことなら、私も不得手だから気にする必要はない。それより、他に気になったことを話して貰えないか?」
リゲルも敬語は苦手としている。貴族として最低限、使える程度だ。実際、普段は敬語など使わず、領民と接している。
「他に気になったこと……。あ…⋯ハロルドは竜だと言っていたのに、幼龍が精神干渉系の魔法を使えることを知ったみたいです。あの魔法は、龍だから使えるはずなのに……その魔法を使って、自分の命令をきかない人たちを無理やり従わせてたんだとおもいます。命令をきかないのが悪い。俺は悪くないって言い訳してて」
この二千年近く、龍王の眷属はアルトディニアへ関わることをしていない。龍が、どこで卵を産むのか。どのような魔法を使うのか。それを知る者は多くない。それが人族であれば、立場も限られている。
「それでは、龍王の眷属、龍達の秘密を知る者の仕業かもしれないと?」
「そこまでは、僕にもわからない……です。どれだけの人が、龍のことを知ってるのか、僕は知らないし……。でも、知ってる誰かが関わってるんだと思います」
「なるほど……」
「後は……ハロルド、貧民街の人達に尋問されてたみたい、です。俺は何も知らないんだって叫んでたから。ちょっ! フィー、くすぐったいよ! わっ。それ、首締まるからっ!」
待っていることに飽きたのか、フィーが首を伸ばしウィルの顔を突いている。大事な話だから待ってと言うウィルを無視して、ウィルの肩で暴れはじめた。
「ふむ。後の話は、またの機会とするとしよう。少年……ウィル君、だったな」
「は、はい!」
暴れるフィーを抱え込んで、ウィルはリゲルに返事をする。フィーは遊んでもらえると勘違いしているようで、その腕の中で大きな翼をはためかせている。
「君は、何時頃まで……。いや、止めておこう。気にしないでくれ。龍王様、また伺います」
リゲルは、言葉を止めると緑龍に礼をして背を向け、歩き出す。その後姿を見て、ウィルは声を掛けた。
「僕、……僕、なるべく早くノーザイト要塞砦に行きます!」
「そうか。そうしてもらえると、私としても助かる。ノーザイト要塞砦騎士団で君の扱いは、生死不明となっておるのだ。特に第三師団までの騎士や総長補佐の精鋭隊が気落ちしていてな」
「皆にも伝えてください。約束を守るって」
「伝えよう。それでは失礼する」
ウィルは、森の中に消えていくリゲルの姿が見えなくなるまで見送っていた。
『それにしても、随分と懐いたものじゃ』
緑龍は、ウィルの足元を駆け回るフィーに視線を向ける。いくら龍力を与えた相手だからといって、種族が違えば、問題が起こる。かつて、どうしようもない事情で竜人族が龍力を与えたことがあったが、幼龍は竜人族に懐くことなく、成龍になる前に命を落とした。だが、フィーはウィルを受け入れている。逆も然り。
「御師様、どうしたのです?」
『ウィルよ。灰白龍も連れて行くのかのう?』
「え? フィー、連れて行っちゃ駄目なんですか? 見られたら駄目なのかな? フィー、もっと小さくなれる?」
「ギュー」
困ったようにフィーへ話し掛けるウィルに、フィーは頭をフルフルと振る。その姿を見て、緑龍は鼻息をふぅーと出す。
『話を最後まで聞かぬか。誰も連れて行くなとは言っておらんじゃろう』
「あ……ごめんなさい。連れて行きます」
『うむ。ならば、リゲルに従魔の証を作ってもらうがよい』
「……それって、フィーに着けなきゃならないってことですか? フィーは、従魔じゃないですよ?」
従魔の証とは、文字通り魔物に着ける認識票である。街に入る場合、誰の従魔であるのか明確に表示する必要があった。一般的に、街に入る時に着けられる物であるのだが、例外もある。冒険者ギルドにて発行される認識票も、そのひとつだ。問題が起きた場合、冒険者ギルドにも責任が向かうため、発行されることは少ない。逆に言えば、それだけ冒険者ギルドの信頼を得ている冒険者という証明にもなる。
それとは別に、貴族が発行する従魔の証がある。この従魔の証は、冒険者の身元を保証すると共に、従魔の保護も兼ねていた。
『ウィルよ。これは、その幼龍を守るためにも必要なのじゃ』
辛そうな顔をするウィルに、珍しい魔物や神獣と呼ばれる者は、それだけで危険に晒されるのだと、諭すように緑龍は話す。その話を静かに聞いていたウィルは、フィーの頭を撫でながら口を開く。
「でも、僕とフィーは主従じゃないです。家族で友達です。どうしても着けなきゃならないなら、僕も着けていいですか?」
『うむ? ウィルも着けるのか?』
「いけませんか? だって、フィーは魔物じゃないのに……。それだったら、せめて対等になるようにしたいんです」
聞き返されて緑龍は唸る。前例がないため、返答が出来なかった。そして、その答えは意外なところからもたらされる。
「それなら、フォスターに創らせればいいんだよ。魂君のためなら、フォスターのことだから喜んで創ると思うしね」
ふわりと空から現れるロッツェの姿に、ウィルはフィーを抱えて飛び退いた。その姿を見て、ロッツェはクククと笑う。
「今日は、飛び退くだけで済んだねー」
「普通に来れないんですか?」
「えー。それじゃ、僕がつまらないよね?」
そう言って、あははははと笑うロッツェにウィルは脱力する。そんなウィルを尻目に、ロッツェは緑龍に提案をした。
「竜人族の長がダメなら、その竜人族に使いを出して、オズワルド公爵家の紋章を従魔の証に刻む許可を貰って来させればいいんじゃない? そうすれば、余程の馬鹿じゃなきゃ魂君と幼龍には手を出せないだろうし。それか、フォスターが創って、神殿経由で書類を発行させるとか、やり方は色々あるよー。幼龍と魂君でお揃いの物をね」
「……うむ。確かに、それならば良いかもしれぬのう」
「ちょっ! やめてください。公爵家って!」
短い間で、何度も貴族絡みの揉め事に巻き込まれたウィルとしては、これ以上、依頼以外で貴族と関わりたくない。その思いが表情に表れていたのか、ロッツェはニヤリと笑い、ウィルに近寄った。
「な、なんですか?」
「そんなに、魂君は貴族に関わりたくないのー? でも、そんなこと、無理だから。全ての――――が廻り出したからね」
「っ!」
耳元で囁かれた言葉に、ウィルはゾクリと背筋が寒くなる。ロッツェから離れようとすれば、先にロッツェの方からウィルと距離を取った。
「悪いことばかりじゃないと思うよー? アルトディニアで、オズワルド公爵家を知らない国はないからねー。まあ、当分は魂君もオズワルド公爵領から出ないんだろうけどさ。じゃ、龍王様よろしくー」
ロッツェはヒラヒラと手を振り、言葉だけ残して時空の狭間へと姿を消す。
『ロッツェよ、無理強いは良くないのじゃがのう。……ウィルも従魔の証は、必要不可欠なのじゃ。諦めよ』
「…………」
心配そうにウィルを見るフィーを抱き締めたまま、小さく頷くことしか出来なかった。




