081
幼龍と伴に、空間転移術の魔術陣で送られたウィルが目を開けると、魔境の中で別れたマーシャル、アレクサンドラ、ハロルドの三人が気を失った状態で倒れている。意識を保っているのは、ハワードだけだ。ウィルの魔力も彼等に負担を強いているのだろう。片膝をつき、眉間を押さえたまま動かない。
そうしてウィルは、ハッとなる。この場所は門の近くよりも闇の気配が濃い。瘴気を生み出している櫻龍のすぐ近くにいるのだから、当たり前だ。
どうやら、ウィルは毒に侵される様子はない。しかし、彼らの顔色は悪くなり、アレクサンドラやハロルドは息も荒くなっている。ウィルは、慌てて龍刃連接剣を具現させ詠唱を始めた。
『光の守護 結界領域』
『水の加護 浄化』
四人がいる周辺に結界を張り、周辺の空気を清めると、彼らの呼吸が緩やかなものに変わる。それを見て、ウィルはホッと安堵の吐息を吐き出した。
幼龍は、しきりに辺りを見回している。フォスターが、ここへ転移させたということは、この近辺に必ず櫻龍がいるのだ。
闇が深い所為で、見通しが利かない。それどころか、気配を探ることも難しい。
「っ! 後ろだ!」
ハワードの叫び声に後ろへと振り向き――。
グオァアーーー!
「ぐっ!」
『ッ?』
「櫻龍? ……そんな、鱗が……」
なんとか龍刃連接剣で防いだものの飛び退く間はなく、ウィルと幼龍は吹き飛ばされ、結界の壁へ叩き付けられた。
ふらつく脚でなんとか立ち上がり、前方へと目を向ければ、櫻龍の淡紅色だった鱗が闇色で斑に染まり、瘴気を発している。
そうして、瘴気が噴き出す度、櫻龍は苦しげに龍鳴を上げているのだ。櫻龍の姿に、涙が零れそうになるが、ウィルは歯を食い縛って止めた。
「……諦めない。諦めてなんかやらない」
その足元で、櫻龍に何かを叫んでいるガイが目に映る。龍の守護役である竜人族の声すら、今の櫻龍には届いていない。
「櫻龍。……闇に囚われて、錯乱してるんだ。止めなきゃ……」
『トメルノ!』
ウィルが言えば、同意するように幼龍も声を上げた。
「櫻龍! 幼龍を連れて来たんだ! お願い、話を聞いて!」
「ウィル! 何で、ここに来たっ! それに、なぜ約束を破った!」
櫻龍より先に、ガイがウィルに気付き、駆け寄ってくる。その隣にいる幼龍が目に留まり、ガイは目を見開いた。
「幼龍を見つけ出したのか!」
「ハロルドが卵を奪って、召喚獣にしてたんだ」
「まさかっ!」
「大丈夫、まだ堕龍になってない。だけど、名前を貰えなきゃ……」
『?』
幼龍は首を傾げて、ウィルの前へ来ると頭を摺り寄せてくる。その頭を撫でながら、ガイへ視線を戻した。
「ガイの声も、櫻龍に届かないの?」
「ああ、俺が見つけた時には……櫻龍? ウィルは、この龍を知ってるのか?」
「櫻龍は、僕の大切な友達」
「……ならば、俺の声よりもウィルの声が届くかもしれない」
ガイはウィルの腕を掴み、櫻龍へと駆け出す。その後ろを、幼龍が駆ける。櫻龍は二人と一頭を見つけると、叩き潰そうと腕を上げた。
「跳ぶぞ!」
「わっ!」
ウィルの腰を抱き、ガイは跳躍して櫻龍の背中へ着地する。振り落そうとしているのか、櫻龍が激しく動き出した。
「ここから、呼び掛けろ!」
「こっ、ここから? やってみる! 櫻龍、お願い、聞いて! 僕だよ! ウィルだよ!」
『……ウィ……ル……?。ウ……ル……グオァアーーー!』
今まで暴れていた櫻龍が、動きを止め、その名を口にする。だが、次の瞬間、龍鳴を上げ、再び暴れ出した。
『おのれ人族。よくも我が子を……。怨めしい、怨めしいぞ! 喰らうてやるぞ!』
「駄目っ! 駄目だよ! そんなことをすれば、櫻龍が堕ちる! 幼龍に名前を渡せなくなる! 櫻龍!」
『汚らわしい分際で、我が名を呼ぶなぁああっ!』
「ウィル!」
グオァアァァーーー!
ひときわ大きい龍鳴を上げると、ウィルは櫻龍の背から弾き飛ばされ、地面へと落とされる。しかし、痛みはそこまで酷くはなかった。
『オカアサン!』
「幼龍! 僕を庇っちゃ、駄目だよ! でも、ありがとう」
『ウン』
落ちてきたウィルを受け止めたのは、地面ではなく幼龍。ウィルがお礼を言うと、頭を差し出してくる。撫でろという意味なのだろう。ウィルが頭を撫でると、嬉しそうに目を細めている。
「絶対、堕させないっ! 大事な友達を、盟友を堕龍なんかにさせたりしないっ!」
「なっ!」
ウィルが叫び声を上げて櫻龍へ駆け出す姿を見て、ガイは息を呑む。古龍種は、番の他に盟友と呼ばれる友を持つ。それは、龍が己の真名を与え、絆を結ぶ者。掛け替えのない大事な者と認めた証。だからこそ、ウィルの声に櫻龍は反応した。
その遥か後方で、意識を取り戻した三人が話していた。ハワードは、じっとウィルとガイの様子を見詰めている。
ハロルドは、見上げる程の大きさである櫻龍に気付き、化け物と叫んだところをアレクサンドラに鉄槌を喰らわされ、地面に伏せている。
「ハロルド。今、前にしている龍が龍王の眷属である龍です。ここが、立ち入り禁止区域になっているのは、彼等がこの地で産卵をするからなのですよ。ハロルドに卵を奪われた所為で、彼の龍は人族を恨み、闇の浸食が始まっています。これが貴方の犯したことです」
「俺は……俺は、騙されたんだ! ここには、ドラゴンの巣があるって言われたんだ! 龍がいるなんて、本当に知らなかったんだ! 俺の所為じゃないっ! 俺は、悪くないっ!」
「騙されたじゃ、済まないのですよ。見なさい!」
伏せたまま言い訳ばかりを続けるハロルドに、マーシャルは命令する。振り落されても、吹き飛ばされても、ウィルは諦めず、櫻龍へ必死に訴えかけている。
「い、嫌だ! いぎっ!」
子供が駄々を捏ねるように、頭を振り嫌がるハロルドの髪を掴み、無理やり頭を引き上げたのは、ハワードだった。
「……貴様の身勝手な行いで、大勢の者が亡くなった。今もこうして懸命に戦っている者がいる! 貴様には、全てを見届ける義務があるんだ!」
「お、俺は、こんな、こんなつもりじゃ……。ただ、皆を見返してやろうと……、俺の強さを見せつけようと……思っただけで……。こんなことに、なるなんて……」
この場に来て、もうどれ程の時間が経ったのか。瘴気の闇で空がおおわれている所為で、それすらも分からない。既にウィルもガイも、そして幼龍もボロボロになっている。それでも、立ち上がっては、櫻龍に声を掛け続けていた。だが――。
グオァアァーーー!
「ぐぁっ!」
「ガイ! っ!」
龍鳴が上がり、ガイは櫻龍の尾が直撃して、巨木へ激突して意識を失い、動かなくなる。ウィルは幼龍と一緒に結界の壁に激突した。ハワードは助け起こしたくとも、結界の所為で、触れる事さえ叶わない。
『ダイ……ジョウブ?』
「だ……い、じょうぶ……だよ。だけど……」
ウィルは、櫻龍を見上げる。櫻龍の鱗。その殆どが、既に闇色へと染まり、淡紅色は見えなくなっていた。
「止め、なきゃ…………」
ウィルは幼龍に支えられ立ち上がると、残った力を振り絞り龍刃連接剣を掲げる。
『劫初から劫末 流れる龍脈 噴き出でる力 仮初の依巫に宿る』
「止めろ! 肉体が耐え切れない! 止めるんだ! ウィル!」
結界の内側から、必死にハワードが叫ぶ。確かに、その通りだった。先程より激しい肉体の痛みに、ウィルの顔が歪む。心臓が脈打ち、関節という関節が軋み、臓物が痛み、歯を軋ませる。それでも龍刃連接剣を手放さなかった。
「守る……。たとえ、僕の器が、壊れたとしても……絶対、櫻龍も……幼龍も、ここにいる皆も、街の皆も――守ってみせる」
『滔々たる龍力の流れ 淀よどみし力 龍脈より噴き上がれ 龍昇華』
能力の全てを乗せて、櫻龍へと放つ。しかし――。
「櫻龍……どう、して……どうしてっ!」
ウィルの龍術で淡紅色に戻った櫻龍の身体からは、瘴気は消えず――――。再び、じわじわと闇色に侵食されていく。その櫻龍の姿に、ウィルは叫び声を上げた。




