008
敬礼をする者達の間を通り抜け、騒ぎの中心へやってきた人物は、視線をウィルへ向けたまま、カーラとエドワードへ話し掛けた。
「カーラ・リーガル子爵令嬢殿。マーシャル・モランの報告では、エドワード・アシオス警備隊隊長に非がある」
「そ、そんなはずがあるわけないっ!」
「そんなことがあるから、私が態々ここへ足を運ぶことになったのだが?」
「っ……」
「エドワード・アシオス警備隊隊長。拒む少年を屋敷へ連れ帰って、どうするつもりだった? その所為で、あの少年は一睡もすることが出来ていないと報告を受けている。それが、少年に対する行為かどうか、よく考えろ。カーラ・リーガル子爵令嬢。其方は少年に剣を向け、怪我を負わせた。しかも、被害者の少年に対してだ。申し開きは有るか? なければ、即刻屋敷へ帰れ。ここから先は、ノーザイト要塞砦騎士団総長であるアレクサンドラ・オズワルドが取り仕切る!」
エドワードとカーラへ告げ、アレクサンドラはウィルへと歩き出す。頬からの出血が痛ましい。ウィルは、その成り行きを大人しく見ていた。否、そうでもなかった。
「少年よ、大事はないか?」
「……い」
「む?」
「……眠い」
呟きとともに、ウィルの身体がグラリと傾く。それをアレクサンドラは、優しく受け止める。ウィルの意識が途切れた瞬間、龍刃連接剣も消えたのだが、アレクサンドラは気にも留めなかった。
「余程、疲れていたか」
過酷な魔境内部を一人で戦いながら歩いてきたのであれば、もっともなことだとアレクサンドラは息を吐く。
「総長。治癒師のベアトリス嬢をお連れしました」
「ふむ。ベアトリス嬢、早速で悪いが治療を頼む」
「まあ! こんな綺麗なお顔に傷を負わせるなんて! いくら、エドワード様の部下でも許せませんわ!」
騎士に案内されてきた治癒師のベアトリスは、アレクサンドラの腕に抱かれるウィルから、門前に居るカーラへ視線を向け、そのカーラを睨みつける。しかし、その肩をアレクサンドラが掴み、止めた。
「ベアトリス嬢、治癒が先だ。彼女の処罰は、我々が関知することではない」
「あらまあ、私としたことが。そうですわね。この程度の怪我なら、あっという間ですわ。癒しの水よ――――」
ベアトリスの持つ杖の先端に淡い水色の光が宿り、ウィルの頬を癒していく。傷痕は瞬く間に消え失せ、血痕だけが残された。
「総長、馬車の準備が整いました」
「少年を詰所にある医務室へ運べ」
「はっ!」
「ベアトリス嬢も、少年と一緒に詰所へ向かってくれるか」
「ええ。構いませんわ」
騎士がアレクサンドラの腕の中で眠るウィルを預り、門の先で停車している箱馬車へと乗せる。その騎士の後ろをベアトリスも歩いて行き、同じ箱馬車へ乗り込んだ。その全てを見届け、箱馬車が動き出したことを確認すると、アレクサンドラはエドワードの元へ向かった。
「エドワード・アシオス警備隊隊長。部下の処罰については、我等が与り知るものではない。貴殿がなされよ」
「なっ! 私は処罰されるようなことをしていない! 平民に傷を負わせたぐらいで――」
「ほう? 貴女は、この地を守護する我がオズワルド公爵家の誇りを愚弄する気か?」
「っ……」
アレクサンドラは、カーラの言葉に被せるように発言する。その気迫に、カーラは一歩後退した。
「我がオズワルド公爵領では、種族も貴族も平民も関係ない。王都の常識を、この地に持ち込むことは許さない。そう領主であるオズワルト公爵から最初で忠告されたはずだが? エドワード・アシオス警備隊隊長の行為も、既にオズワルド公爵の耳に入っていると思え。此度の件、カーラ・リーガル子爵令嬢の件と併せて、オズワルド公爵から国王陛下にも報告されるだろう」
「成り上がりの公爵家が自惚れるな! 国王陛下の耳に入る訳がない!」
「ほう。王太子殿下の側近になって、己の身分すら忘れたか?」
「な、なんてことを!」
カーラはリーガル子爵令嬢。アレクサンドラはオズワルド公爵令嬢。いくら王太子直属の部下といっても、身分はアレクサンドラの方が高い。しかも、アレクサンドラは一年前まで第三王女の近衛騎士団団長を務めていた。実力でもカーラは、アレクサンドラの足元にも及ばない。
オズワルド公爵領は、レイゼバルト王国で一番の生産力と軍事力を誇る。王太子であるエドワードは、それらを学ぶためにオズワルド公爵領へ遊学した。
現領主が、遊学の条件として提示したことは、三つ。王都の常識を持ち込まない。王太子の身分を明かさない。その上で、警備隊隊長としてノーザイト要塞砦で生活を送ること。
故に、エドワード・アダン・フォン・レイゼバルトは、エドワード・アシオス子爵令息として、オズワルド公爵領へ赴任してきたのだ。
オズワルド公爵領に住む貴族たちも、必ず警備隊に所属する。そうして、領地の基盤である民たちの暮らしを肌で学ぶ。
そうすることで、貴族であっても警備隊から騎士団に移籍する者も、領地運営に移る者も、民があって領地があると認識出来るようになる。そういう認識だからこそ、王都の貴族たちと馬が合う筈もない。
王都の貴族たちは、貴族あっての民と教えられる。食糧は、準備されて当たり前。衣服も準備されて当たり前。全てが、貴族に差し出されて当たり前。カーラ・リーガル子爵令嬢は、そういう王都の典型的な貴族令嬢だった。
「それから、エドワード王太子殿下。護衛任務に就いている師団長達を勝手に外されては、困るのだが?」
「……すまない」
マーシャル・モラン第一師団長、ガイ・ラクロワ第二師団長・ハワード・クレマン第三師団長、ディーン・ファーガス第四師団長、ダリウス・コンラッド第五師団長、ハロルド・ガナス特務師団長は、エドワード王太子の護衛としてノーザイト要塞砦騎士団から交代で配置されている。
それ故に、問題が起きそうな場合、総長のアレクサンドラに報告されることになっていた。……その大半が、エドワード王太子本人ではなく、カーラ・リーガル子爵令嬢が起こす問題だったが。
「エドワード・アシオス警備隊隊長は、警備隊の隊則違反で一週間の謹慎。それから、少年との接触禁止。カーラ・リーガル子爵令嬢は屋敷からの外出禁止を命じる」
「領主じゃないくせに、そんなこと決められるわけないじゃない!」
「……貴女は、よく喚く。まあ、いい。貴殿のことは、エドワード王太子殿下が決められるだろう。先程、領主である父上から次期領主セドリックが帰還するまで、領主代行としてノーザイト要塞砦の指揮権を一任された。父上は、母上の御容態が悪くルグレガンへ向かわれた。そういう理由で、私は忙しい。門前に箱馬車を用意してある。その箱馬車に乗って屋敷へ戻られよ」
アレクサンドラは、返事も待たず歩き出す。嫡男セドリックが王都から帰還するまで、領主代行を勤めなくてはならない。ノーザイト要塞砦騎士団総長としての職務もあり、アレクサンドラは多忙だ。
「……はあ。とりあえず、少年をどうするか決めなければならんな」
長い吐息を吐き出し、呟く。魔境へ続く門を守る警備隊詰所に待たせていた愛馬に跨り、アレクサンドラはノーザイト要塞砦騎士団詰所へ駆け出した。
ノーザイト要塞砦騎士団詰所は、貴族街の端にあるオズワルド公爵の屋敷の正面にある。貴族街にあるオズワルド公爵家とは壁を挟む形であるが、有事の際など、すぐ対応出来るように作られていた。
マーシャル・モランは、ガイとハワードを門に残して、総長のアレクサンドラへ、昨晩の件を報告するため、ノーザイト要塞砦騎士団詰所へ戻っていた。
アレクサンドラは、マーシャルに一連の事情を領主に伝えるよう命令すると、精鋭隊と箱馬車を率いて魔境へ続く門へと向かってしまった。
マーシャルが領主を訪ねてオズワルド公爵家へ向かうと、オズワルド公爵は既にルグレガンに向けて出立していると家令に知らされ、再びノーザイト要塞砦騎士団詰所にあるマーシャルの執務室へ帰り、詳細を記した書状を伝令に持たせ、後を追わせた。
全てを済ませノーザイト要塞砦騎士団を出ようとしたところに、今度はウィルとベアトリスを乗せた箱馬車が走り込んできたのだ。
「あら、マーシャル様。ごきげんよう」
「ベアトリス嬢、どうしてこちらに?」
マーシャルが手を差し伸べると、その手を取ってベアトリスは箱馬車から出る。アレクサンドラから少年と一緒に詰所に向かうように頼まれたのだとマーシャルに語ると、ベアトリスは医務室へ案内してもらえるようマーシャルに要請した。
「マーシャル様は、この少年のことを御存じでいらっしゃいますの?」
「昨晩会ったばかりですから、知っているのは名前程度ですね。ウィリアムという名前の少年です」
「では、ウィル君ですね」
「そうですね」
マーシャルが医務室のベッドへウィルを寝かせると、ベアトリスは慣れた様子で医務室にあった備品を使い、ウィルの顔に残されていた血を拭う。
マーシャルとベアトリスは、昏々と眠り続けるウィルの傍らで会話をしていた。正直言って、ただの睡眠不足なのだから看護は要らない。しかし、ベアトリスがウィルから離れようとしないため、マーシャルも残るしかなかった。
「ウィル君の魔力、とても強くて綺麗でしたわ」
ベアトリスの言葉に、マーシャルも頷く。マーシャルは、スキル『心眼』と『看破』を持っている。
同じようなスキルと思われがちだが、心理戦では意外なことに『心眼』は、あまり役に立たない。マーシャルは、昨晩エドワードがウィルに対してスキルを使っていることを見抜いていた。
昨晩、門の陰から見ていたマーシャルもエドワード王太子と同様にウィルの魔力を見た。装備している物も、一見すると普通の装備だが、スキル『看破』を用いたことで、何らかの術が施されていると分かった。
しかし、どんな術が掛けられているのか、見破ることは出来ていない。見ようとしても、壁のような物で阻まれる。
また、話の内容に嘘はなかったが、ウィリアムという少年は恐らく真実も語ってはいないだろうとマーシャルは考えている。その時点で、総長の元へ走るべきだったのかもしれないとマーシャルは反省していた。そうすれば、少なくとも少年がここへ運ばれることはなかっただろう、と。
「ある意味、この少年が居たのが魔境側の門で助かりました」
魔境側の門に少年が現れたことで騒ぎになったのだから、前提としてはおかしな話になってしまうが、それでも、街中でエドワード王太子に騒ぎを起こされるより、まだいい。
「確かに、そうかもしれませんわね。……それにしても、エドワード様は何故リーガル子爵令嬢をお連れになったのかしら? 何も典型的なお貴族様を連れて来なくてもよかったでしょうに」
「まあ、何かしらの理由があったのでしょう」
王都の貴族たちの思惑が。そう心の中で呟き、マーシャルはベアトリスに笑い掛ける。
「さて。我々が話していては、彼の安眠を妨害してしまうかもしれません。総長も直に帰られることでしょう」
「あら、そうですわね。では、案内してくださる?」
「ええ。お手をどうぞ、ベアトリス嬢」
マーシャルは、素直に従うベアトリスの姿を見て安堵した。これで、ようやく職務に帰れると……。