078
ウィルは、ハワードの愛馬に同乗している。理由は、ハワードの愛馬がウィルを気に入ったようで離れようとしなかったため。そして、其々が使う武器の所為もあった。マーシャルとアレクサンドラは、ロングソードを愛用している。ハワードは剣も使うが、使い慣れているのは、魔弓と呼ばれる弓である。マジックアイテムのひとつだ。
偵察や隠密行動を主とする第三師団の師団長だけあって、ハワードは街の中に詳しい。ウィルが指差した方向を、一番早く辿り着ける道と言って、狭い裏道を馬で容易に駆けていく。マーシャルやアレクサンドラも同様だ。裏道を抜けて大通りに出ると、ハワードは馬の駆けるスピードを落としてウィルに話し掛けた。
「大丈夫か?」
「う、うん。少しお尻が痛いけど、大丈夫。もう、近いよ。この大通りをあっちに行って、進んだ場所だと思う」
ウィルが指差して指示した位置を確認して、ハワードは顔を歪めた。マーシャルやアレクサンドラの顔も曇る。
「ウィル。本当に、その場所で間違いありませんか?」
「うん……。どうして?」
「以前、この大通りを通った時に、貧民街の事を話しましたよね?」
ウィルは、仕事をしない者たちや悪行に手を染めてしまう者が住んでいるとマーシャルが話していた場所だと気付き、頷く。
「警備隊の人達も手が出せない場所」
「ええ、正解です」
「俺達でさえ余程のことがない限り、近付くことはない。危険な場所だ」
「しかし、どうしてハロルドは、貧民街に居るのでしょう?」
嫌われる存在である騎士が、貧民街で何をしているのか。答えは、悪に手を染めたか、捕らわれたかの二択しかない。
「ハロルドのような小心者が、自ら悪に手を染めるとも思えん。大方、逃げ出そうとして捕まったのだろう」
ハワードが馬から下りると、何処からともなく騎士達が現れ、預けられた馬を連れて待機している。ウィルは辺りを見回し呟いた。
「さっきから気配がしてたのは、騎士さん達なのか。警戒して損した」
その呟きに反応したのは、ハワードだ。指示を出していた部下達の元を離れてウィルの隣に立つとウィルの耳に顔を寄せた。
「騎士だけじゃない。あの角に隠れているのは、別だな」
「え? じゃあ、家の二階と屋根から見てるのは?」
「それも、違うな。屋根からも見ているなら、隠れても無駄ということか」
小声でウィルとハワードが話していると、馬を預けたマーシャルが後ろから歩いて来る。その後ろでは、アレクサンドラが、別の騎士に馬を預けていた。
「二人で、内緒話ですか?」
「ううん。僕達を見てる人がいるって話してた」
「見てる人ですか?」
マーシャルがそちらを向こうとした時、ウィルは突然、龍刃連接剣を具現させると、巨大な障壁を展開させた。それは馬を預かる騎士たちをも覆い尽くす。
「伏せて!」
ウィルが叫ぶと、その場にいた全員が地面に伏せる。障壁に弾かれた矢は、地面に転がり、その脇を通り抜けた矢は、地面を貫いていた。伏せた状態で上を見れば、屋根の上から次々と矢が放たれている。反撃しようにも、相手は屋根の上で、場所が悪い。ウィルは、打開策はないかと考え、今まで試したことがない方法を試すことにした。
「ウィル、そのまま維持できるか?」
「ちょっと待って……」
ハワードが魔弓を取り出し、障壁を展開させているウィルに話しかけるが、何をしようとしているのか、ウィルはハワードを見ようともしない。マーシャルもウィルが何かを成そうとしていることは分かったが、その先は分からない。
『障壁 固定化』
『光の守護 結界領域』
ウィルが詠唱すると、ピタリと矢が止まる。ウィルは、危険がないことを確認して大きく息を吐き出すと、固定化したシールドを解除した。
「何をした?」
「屋根の上に結界領域を張ったから、暫くは平気。僕達は、先に進まなきゃならないから、今の内に騎士さん達は馬を連れて隠れて」
屋根の上と言われ、見上げると確かに屋根の上で右往左往している人影が見えた。ハワードは部下たちにウィルに言われた通り行動しろと伝え、騎士は馬を連れて裏道へと入って行く。
「僕の魔力を切り離したから、あの結界領域は長くは持たないよ。急ごう」
「そんなことまで出来るのですか?」
「結界領域で試したのは初めてだけど、他の魔法で修業したことがあったから。って、危ない!」
貧民街に入って、直ぐの十字路で待ち伏せをしていた者達が現れ、瞬時に反応したウィルが龍刃連接剣を鞭に変化させ、家に立てかけられていた木材を引き倒すと、その者達は材木の下敷きになった。
「ごめん」
「謝る必要などないっ。疚しいことがあるから、我らの邪魔をするのだ」
「そうですねっ。今は、それより先に進みましょう」
「ウィル、俺達も付いてくる。先へ進めっ!」
其々の道から出てきた者たちを、マーシャルもアレクサンドラも次々と斬り倒していく。ハワードは屋根からの襲撃者を撃ち落としていた。ウィルは、三人の言葉に頷くと再び走り出した。
「詠唱しないで、気絶させられる魔法ってないかなあっ」
「そんな、便利な魔法があったらっ、使っていますよっ!」
「無駄口は叩くな! 斬り進め!」
「魔力の無駄遣いにつながるぞ!」
奥へ進めば進むほど、敵の数は増える。狭い貧民街の何処に、これだけの人がどうやって隠れていたのかと思うほどに現れた。
「ああもう、頭に来た! マーシャル、五秒でいいから、僕を守って!」
「こんな狭い場所で、何をする気ですか!」
「この先は直進だから、結界張る!」
その言葉に、三人はウィルを取り囲むように陣営を組み直す。たった五秒。されど五秒。その間に、其々二人ずつ斬り倒した。
『光の守護 結界領域』
「これで、前から来る敵だけで済むよ」
「かなり、時間を取られたな。急ぐぞ」
アレクサンドラは、ロングソードに着いた血糊を振り落すと、先へ視線を向ける。ウィルは真っ先に駆け出し、その後ろをマーシャルが追う。前に気配に敏感なウィルを配置することで、敵を発見できる時間が短縮されるのだ。
ただ、結界を張った今、警戒するのは前だけでいい。地面に仕掛けがあれば、別なのだろうがマーシャルがスキルを発動させても何の仕掛けも見つからなかった。
さして大きくない民家。はたして、その中にハロルドは居た。両手、両足を紐で縛られ、拷問されたのかボロボロの姿で吊るされている。
「どうやら、総長の考えが正解だったようですね?」
「とりあえず、降ろして連れて行こう。ここじゃ、話も出来ない」
マーシャルとハワード、二人掛りで気絶しているハロルドを降ろしている間、ウィルはハロルドの剣を探していた。しかし、室内には見当たらない。
「アレがないと、召喚できない」
「どうしたのですか?」
「ハロルドの剣がない」
「待っていろ。今、ハロルドを起こす」
ハワードは、そう言った直後、ハロルドに水を掛けた。どうやら室内に置かれていたらしい。
「ゴホッ……いい加減に……止めてくれ! お、俺は何も知らないんだ!」
「ほう? ハロルド、何を知らんと言うのだ?」
カツンと靴音を響かせ、アレクサンドラがハロルドを見下ろす。その靴音と聴こえてきた声にハロルドは息を飲み、そして顔を上げた。
「そ、総長…………」
「貴様、恥を知れっ!」
「ひっ!」
アレクサンドラは、その手に持つロングソードを抜くと、ハロルドの顔ぎりぎりに突き立て、睨みつけた。
「っ、この愚か者がぁっ!」
「ぐはッ!」
「総長! 今は、駄目です。動けなくなったら、運ぶことが出来なくなります」
怒りに肩を震わせ、歯をギシリと軋ませ、ハロルドの腹を踏みつける。謀反で多くの騎士が亡くなったのだ。アレクサンドラの感じる憤りと悲しみが、いったいどれほどのものか計り知れない。
しかし、今、怒りに任せて行動することは出来ない。アレクサンドラの腕を掴み、マーシャルは強引にアレクサンドラを下がらせると、その前に立った。
「ハロルド、剣はどうしたのですか?」
「マ、マ、マ、マーシャル!」
「早く答えぬか!」
「ひっ! と、盗られました!」
ウィルは、マーシャルを呼ぶと召喚用の道具は代用出来るのかと訊ねた。マーシャルがハロルドに訊ねると代用出来なくはないが、失敗する可能性が高くなるらしい。
「ハワード。余程のことがない限り近付かないということは、来たこともあるんだよね?」
「……あるが」
「じゃあ、ここの中で偉い人って知ってる?」
「知ってるな。……ハロルドの剣を取り返すのか?」
その言葉にウィルは頷く。ハワードは溜息を吐くとハロルドに近付き、どういう人相の者に盗られたのか訊き出すと立ち上がった。マーシャルとアレクサンドラ、ハロルドをその場に残して、ハワードはウィルと二人で貧民街を走る。互いに気配を消すことが出来るため、見つからずに進めるのだ。
「ここだ」
「どうするの?」
「こうする」
剣を盗った者の家へ着くと、ハワードは扉に向けて魔弓を放つ。矢が扉に当たった瞬間、扉は爆発して消し飛んだ。家の中から数人の男達が飛び出してきたが、その男達もハワードの放つ矢で次々と倒れていく。
「余計な者は、片付いたな」
「盗った人は、まだ中に居るんだ?」
「ああ、居る」
家の中に入ると、確かに男が居た。その傍らにはハロルドの剣が置かれている。その男はニヤリと笑うとハロルドの剣を手に取った。
「へへっ。騎士さんよ。この剣を取り返したいんだろ? 交渉次第じゃ、返してやっても構わないぜ」
ウィルは、ハワードに目配せをして黙らせる。交渉するなら、子供の姿であるウィルの方が男も油断するだろう。そう思い、深く被っていたフードを外し、笑顔を張り付けて男に話し掛けた。
「ねえ、おじさん。交渉って、何かな?」
「この剣より高価な品物とだったら、交換してやるよ。なんなら、てめえでも構わんがねえ。ひひひっ」
「ふーん。じゃあ、僕の耳飾りでいい? 地味な見た目だけど、マジックアイテムなんだ。きっと、僕や剣より高価だよ?」
男の舐め回すような視線と下品な笑い声に鳥肌が立ったが、ウィルは笑顔を崩さず交渉を続ける。元々、相手も交渉するつもりがない。嘘を吐いているのだ。此方も騙していいだろうとウィルは考えた。この耳飾り、鑑定すれば国宝級のマジックアイテムで価値は計り知れない物だが、残念なことにウィルは知らなかった。
「ほう? マジックアイテムか。見せてみろ」
「うん。いいよ」
ウィルが耳飾りを外すと、どうなるか。ウィルを知っている者、魔力が探知できる者ならば、恐らく悲鳴を上げて逃げ出していただろう。しかし、この男は知らなかった。
「ごはっ!」
「ぐっ。ウィル、早く、耳飾りを着けろっ!」
ハワードでさえ、膝を屈することになるのだから、男が無事であるはずがない。ウィルがハロルドの剣を取るために男に近寄れば、口から泡を吐き、白目をむいて昏倒している。ウィルは、その男の手からハロルドの剣を取ると、収納へ仕舞い込みハワードへ駆け寄った。
「これで、剣が取り返せたね?」
「ああ、そうだな。しかし、ひとつ外しただけで、これほどとは」
ハワードは目眩がするのか、目頭を押さえている。帰りは、身を隠すことなくマーシャル達の待つ民家まで辿り着くことが出来たのだが、ハロルドも男と同じように気絶していた。再び水を掛けて起こし、今度こそ貧民街を脱出する。
「それで、これからどうする?」
「魔境へ行く」
「そうですね。街に被害が出ないようにした方が良いでしょう」
アレクサンドラが頷くと、ウィルは早速歩き出す。そう遠くない位置に、魔境へと続く門が見えていた。
砦に焚かれた篝火が近付くにつれ、ハロルドの歩みが遅くなっていく。それをマーシャルとハワード、二人がかりで無理やり歩かせている状態だ。
門前へ辿り着くと扉を警備している警備兵が、此方へ駆け寄ってくる。その顔は、疲れているように見えた。
「よくぞ、ご無事で……」
警備兵の視線は、マーシャルへと向けられている。微笑みを見せるマーシャルに皆、安堵の吐息を吐いた。
今まで、一番後方を歩いていたアレクサンドラが前に出ると、一斉に警備兵たちが敬礼する。
「扉を開けよ!」
「はっ!」
アレクサンドラの号令に寄って、警備兵たちが歯車を回し、扉が音を立て開いて行く。もう明け方に近い時間だと言うのに、魔境は瘴気に閉ざされていた。そして漂ってくる濃い瘴気の気配にウィルは、その身を震わせる。警備兵も異変に気付いたのだろう。徐々に、その扉から後退っている。
「よいか。……我々が魔境へ出たら、扉を閉めよ。我々が帰還するまで、誰が来ても開くな」
「そ、そんな! そんなことをすれば!」
異常な瘴気の気配。それは人の身には毒となる。それ故に、警備兵は反論したが――。
「これは、命令だ!」
「っ! ……どうか、御無事で!」
アレクサンドラの声が響く。凛としたその姿に警備兵たちは、最敬礼でアレクサンドラ達を送り出すしかなかった。




