073
箱馬車の中では不機嫌だったウィルも、タマラの店へ着くと、それまでのことを忘れたように店の中へ飛び込んでいく。開店前のひっそりとした店内で、タマラとコックがシチューの大鍋をテーブルに置き、そのシチューを嬉しそうに食べるウィルの姿は子供そのものだ。
ただ、ウィルの食べる量を見て、一緒に食事をしていたオーウェンと騎士たちは絶句してしまったが。
しかし、それもウィルの身体が疲れている時や、魔力が少なくなるとお腹が空くとの説明を聴いて、全員が納得する。つまり、食べた物がすぐに体力や魔力に変換されてしまうのだ。変わった体質だが、そういう特異体質の者が全くいない訳ではない。
大鍋いっぱいに満たされていたシチューを完食しても、ウィルが満腹になった様子は見られなかった。だが、満足したのか、タマラに代金を支払っている。
「美味しかったです」
「今度から来る前に教えとくれ。そしたら、いつも以上に作って待ってるからね」
「え! 本当?」
「あたしゃ、嘘なんか吐きゃしないよ。こんなに美味しそうに食べてくれるんだ。作り甲斐ってもんもあるわ。ねえ、あんた」
「ああ。他にも食べたい料理があったら言うといい。作って待っている」
「ありがとう! また、みんなで来ます! ね、また一緒に来ようね」
心底嬉しそうに話すウィルに、その場にいた誰もが笑みを浮かべ頷く。そうして帰路に着き、屋敷の近くまで来ると箱馬車の横に一人の騎士が並んだ。
「馬を返すついでに、俺、第一師団へ立ち寄って、モラン師団長に少年が元気になったことを伝えてきます。モラン師団長もご心配なさっていると同僚から聞いてますから、きっと喜んでもらえますよ」
それだけ告げると返事も待たず、馬を駆けさせてしまう。箱馬車に乗るウィルとオーウェンは呆然となるしかなかった。家へ到着すると、馭者役をしていた騎士も借りてきた箱馬車を返しに向かい、もう一人は警護の任務へ戻った。
ウィルは、屋敷へ入るとオーウェンをお茶に誘って、キッチンへ向かう。紅茶用のポットと茶葉を取り出して湯を沸かすウィルを手伝い、オーウェンは食器棚からティーカップを出していた。お茶菓子も準備が終わり、紅茶を淹れて椅子に座るとウィルはフゥと息を吐き出す。
ウィルは、以前から気になっていたことを質問するためにオーウェンをお茶に誘ったのだ。それは、オーウェンの使う『時空間魔法』。
ウォルコット・ボネが率いる魔法士たちに襲われる少し前、オーウェンが瞬間的に時空間魔法を使った。何をするために、時空間魔法を行使したのか分からない。ただ、オーウェンが使った時空間魔法の最高位魔法が、フォスターの使った空間転移術だということは、気付くことが出来た。
「……オーウェンって、空間魔法が使えるよね? それも難易度の高い魔術も」
「モラン師団長から聞いたのか?」
「ううん、違う。魔法士さん達に会う直前、オーウェンが一瞬で使ったよね?」
ウィルに指摘されてオーウェンは頷く。記憶媒体を発動させたのだから、ウィルの言ったことは正解だ。
「ああ、確かに使ったが……」
「空間が少し歪んだから、気づいたんだ。なんで、あの魔法士さん達に使わなかったの? 触媒くらいなら簡単に壊せたと思うんだけど」
「魔法士たちの触媒に?」
認識の違いに気付いていないオーウェンは、空間魔法を戦闘に使う話は聞いたことがないと口にすると、逆にウィルの方がきょとんとした顔でオーウェンを見上げた。
「え? どうして、攻撃に使わないの?」
オーウェンはウィルの疑問に首を傾げる。どうすれば、空間魔法が攻撃に使えるのか分からない。ウィルに説明を求めると、ウィルは溜息を漏らした。
「上手く説明できなかったら、ごめん。あのさ、何もない場所。この場合、空中なんだけど、魔法で空間を開くでしょ? その時に歪みが生じるよね?」
「ああ、確かに歪みが出来る」
「その歪みを連続で作り出して、そこに魔物がいたと想定してね。そして、連続した歪みを突然閉じたらどうなると思う?」
「それは⋯⋯壮絶な殺害現場になりそうだ」
「うん。たぶん、それの応用で触媒も壊せるよ」
当然、その歪みの影響を受けて魔物は引き裂かれるだろう。想像するだけでも恐ろしい。空間魔法に、そのような使い方があるとオーウェンは考えたこともなかった。ウィルはオーウェンに伝わったことにホッと胸を撫で下ろすが、オーウェンは自分の使う魔法の壮絶さに驚きを隠せない。そして恐ろしいことに気がついて、ウィルを見詰める。
「時空間魔法が攻撃に使えることを、他の誰かに話したか?」
「ううん。僕の身近にいる人で空間魔法を使えるのは、オーウェンだけだから誰にも話してない」
「そうか。ならば絶対に誰にも話すな」
「うん。勿論、そこは考えてる。オーウェンなら、無暗に使わないだろうなって思ったから話した」
ウィルも、この魔法の恐ろしさは理解している。今は、これ以上を伝えるつもりがない。時魔法、空間魔法には使い道が色々ある。それこそ、悪人には絶対に知られたくない使用法。ウィルもオーウェンが悪人だとは思わないが、その使用法を話せる相手なのか、まだ分からなかった。
「僕の御師様がね、何事もやり過ぎは良くないって言ってたんだ。魔法も便利なものだけど、全てを魔法に頼っては駄目だって。それは人を駄目にするからって」
最後の龍王である緑龍が言うからこそ、重みのある言葉。龍王たちの能力に依存してしまった人々。そうして、世界は壊れてしまった。それを考えると、ツキンと胸に痛みを感じる。恐らく緑龍やフォスターの苦しげな瞳を思い出してしまうからだ。
「あ、話が逸れちゃったね。空間魔法のことは、ガイ達には話すかもしれないけど、他の人に話す気はないから安心していいよ」
ウィルが笑顔で語ると、今まで訝しげな表情で見ていたオーウェンも表情を緩めた。
「……そうか。そういえば、裏庭に薬草が植えられているが、ウィルが植えたのか?」
「うん。まだ体力回復系の薬――――っ!」
ウィルが突然立ち上がり、慌てた様子で扉を開く。そこには馬を返しに行った騎士が、制服を血で濡らし、息も絶え絶えの様子で壁に寄り掛かっている姿があった。
「直ぐに回復するから!」
「オー……ウェン、殿……」
「何があったのだ!」
オーウェンが騎士に駆け寄り、ウィルが龍刃連接剣を具現させるが、騎士はウィルの手を取り首を横に振った。ウィルは騎士が止めるのも聞かず、治癒魔法の詠唱を始める。
「俺は……いい、ですから……。詰所……へ、行って……。はぁはぁ……。モ……ラン」
「モラン師団長に、何かあったのか!」
「急、襲……を、受け、……重症……後……頼み……ま…………」
『命の根源 噴き出でる力 響く歌声 彼の者の鼓動を呼び戻せ 蘇生』
「おいっ! おいっ、しっかりしろ!」
ウィルの治癒魔法は、光を発するものの発動しない。騎士が死んでしまったからだ。ゲームでは、死んだ者を蘇らせる呪文があったりするが、実際は死んだ者に治癒魔法を掛けても甦ることはない。
騎士の身体から力が抜け、その腕が床に落ちる。カタンと音がした方向へオーウェンが顔を向ければ、ウィルが涙に濡れた目を見開いて、騎士を見詰めていた。
オーウェンは騎士の身体を床へ寝かせるとウィルの肩を掴む。外からも剣戟が聞こえてくる。既に、庭で第三師団の騎士たちが応戦しているようだ。
「ウィル、行くぞ!」
「でも、でもっ! この騎士さんはっ!」
「騎士の気持ちを無駄にする気か! 行くぞ!」
オーウェンは怒鳴りつけるとウィルの腕を引き、廊下へと駆け出す。玄関ホールに置いていたロングソードを掴むと、オーウェンはそのまま外へ飛び出した。
『閃光拘束』
オーウェンは、予め詠唱を済ませておいた光の束縛魔法で、一番近くにいた者を束縛する。第三師団の騎士二人は既に血塗れになり、恐らく長くは持たない。庭に倒れている騎士の数は、既に六人。
それでも、まだ優に十人以上残っている。どう見ても劣勢。オーウェンは舌打ちをするなり、掴んでいたウィルの腕を離して、剣を抜く。
「ウィル。私達が道を作る。お前は、後ろを振り向かずに走れ。そして、モラン師団長を救ってくれ!」
「やだ……やだよっ」
「いいから、行けえぇ――っ!」
「っ!」
叫びながら、オーウェンは駆け出す。ウィルは、龍刃連接剣を用いて跳躍し、騎士たちを飛び越えて裏路地を駆け出した。その後を追おうとする者の前に、オーウェンは立ち塞がる。
「行かせるわけがっ、ないだろうっ!」
ザシュ
「がはっ」
首から血を拭き出しドサリと倒れる騎士から視線を上げ、オーウェンは、特務師団の騎士達を睨みつける。だが、庭の奥で第三師団の二人が切り伏せられる姿が目に映り、頭が真っ白になった。
たった一日二日、交わした会話も多くない。それでも、騎士たちの笑顔を克明に覚えている。ウィルを守るために護衛任務に志願した者達の笑顔。命を懸けて守ろう思えるんですよと、もっと精進せねばならないと、そう言って笑った顔が……。
ウィルと共に、再びタマラの店へ行こうと頷き合った約束が――。
「っ……。元第一師団師団長補佐オーウェン・トマが相手する。貴様ら……、生きて……生きて、帰れると思うなぁぁぁっ!」
永遠に、奪われてしまった。




