072
一時間も待たずベアトリスが到着して、ウィルに治癒魔法を施す。高かった熱も下がり、呼吸も落ち着いたものへ変わり、オーウェンも安堵の息を吐き出した。
「今までの疲れが出たのかもしれませんわね」
「今までの疲れ、ですか」
「ええ。色々とありましたもの。ところで、初めてお会いするのですけど、お名前を教えて頂けるかしら?」
「これは失礼を。私の名前は、オーウェン・トマです」
「ベアトリス・マクレンですわ。ウィル君には、しばらく休養が必要ですわね」
屋敷から直接来たのか、ドレス姿のベアトリスは如何にも伯爵家令嬢といった装いだ。部屋の片隅には、ベアトリス付きの侍女の姿もある。
「食事を取った方が良いのでしょうけど、それより睡眠を優先してくださるかしら。きっと、魔力を急激に使い続けた所為もあると思いますの」
「魔力を急激に……。魔法薬で補うことは出来ませんか?」
「ウィル君の魔力量は、きっと私のお兄様より多いのですわ。魔法薬程度では、どうしようもありませんわね」
ベアトリスは小さく溜息を吐くと、そっとウィルの手を取った。
「こんな時に限って、お兄様は任務でノーザイトを離れていらっしゃるんですもの。私にも領地へ帰れとおっしゃって……。間に合ってよかったですわ」
「……クレマン師団長もいらっしゃらないのですか? 確か、ラクロワ師団長と第二師団はノーザイト要塞砦を出ておられるのですよね?」
「ええ。警備隊隊長のエドワード・アシオス様と御一緒にガルドリアへ向かわれたそうですわ。確か次期領主セドリック様のお迎えに出られたとか」
第四師団と第五師団は、師団長をノーザイト要塞砦に残し、領地巡回に出ている。第六師団師団長は、次期当主セドリックの護衛で不在。残りの第六師団も領地巡回に出ている。ノーザイト要塞砦に残っているのは、総長率いる精鋭隊が二百名。特務師団千二百名。そして、第一師団の三分の一である四百名。各師団の団長と分隊が少しずつ。
第三師団は、総数すら公にされていないため、どれ程の数がいるか知られていないが、クレマン師団長が不在となれば、第三師団の騎士たちもノーザイト要塞砦を離れている可能性がある。
「とにかく、ウィル君には食事と睡眠をしっかりとらせてくださいね」
「(……いや、そんなことがあるはずがない)」
「聞いて……。まあ、お顔の色が真っ青ですわ! オーウェン様もお座りになってくださしまし」
「っ。ああ、自分は大丈夫です。しっかりとらせるようにしますよ。ベアトリス嬢は、クレマン師団長の指示に従い、急ぎ領地へお戻りください」
オーウェンは何とか返事をすると、第三師団の騎士を呼び、ベアトリスの警護を頼んで自身は椅子に腰を下ろした。
「……ただの偶然だ。モラン師団長が、そんなことを見逃すはずがない」
自分自身に言い聞かせるように呟くと、オーウェンは今も眠り続けるウィルへ視線を向ける。いつもなら結われている銀糸の髪は解かれ、ベッドに広がっていた。その姿を視界に入れながら、オーウェンはモラン師団長と交わした会話を思い出していた。
「ウィルにも出している指示ですが、街ではウィルから離れないでください。依頼は受けて構いませんが、日が暮れる前に街へ戻れる依頼限定です。ギルドマスターにも事情は話してあります」
「それは、ノーザイト要塞砦騎士団内部の揉め事が関係しているんですか?」
「それだけではありませんが、少しばかり気になることがあるのですよ。疑惑が確定した場合、ウィルに確認して貰いたい事項があるのです。ラクロワ師団長でも構わないのでしょうが、ラクロワ師団長には他にしてもらわなければならないことがあるので。……まあ、杞憂に終われば、それが一番良いのですがね」
「わかりました。ウィルに何か伝言はありますか?」
「そうですねえ。また会いましょうと伝えて頂けますか。今のままでは、当分会えそうもありませんから」
クシャリと髪を掻き上げると溜息を吐き出す。オーウェンには、モラン師団長が言う気になることが、何なのか見当が付かない。特務師団の動きは相変わらずで、師団長たちを退団させろと総長に直談判する者が絶えないと、元同僚から聞いている。ひとつだけ分かっていることは、その全てがウィルに繋がっているということだけだった。
一昨日、高熱を出したウィルは、昨日は終日昏々と眠り続けた。第三師団の騎士たちも気になるようで、数時間おきに確認に来たが、最終的には交代でウィルを看ることになった。
その合間に、オーウェンは入口に置いたままになっていた荷物を自室になる二階へ運び込み、荷解きを済ませた。荷物といっても、その殆どが錬金術に関する書本である。その本を書本棚へ仕舞い、僅かな私服と武具をクローゼットへ移して終わりである。それ以外の私物は、全て処分してきたのだ。
夜間もウィルが目覚めた時の為、交代で見守った。しかし、一日経ってもウィルは目覚めず、オーウェンは騎士達と話し合い、今日まで起きなかった場合は、騎士団の治癒士に診てもらうことに決めた。
「こうして見ると、まるでお姫様だな」
起きている時に言えば、きっと目を吊り上げて怒るだろうと予想をしながら椅子へ座ると、オーウェンは手に持っていた書本へと視線を落とす。
その本は、国立錬金研究所から持って来た一冊。国立錬金研究所を辞めた理由は、ウィルに話した通りであったが、何よりオズワルド公爵領に一人残した弟のことが心配だったからだ。
父と義母は、長兄のクラークに執着していた。そんな中で、弟の世話をするのは、乳母と乳兄弟の少年だけ。ジョナサンと二人で送っていた仕送りは全て義母に奪われ、長兄のために使われていた。そのため、乳母の給与と内職で暮らしていると乳兄弟の少年から手紙が届き、オーウェンは国立錬金研究所を辞めて、オズワルド公爵領へと帰ってきた。
その弟も、総長の配慮でジョナサンのいる国立錬金研究所へ旅立って数日が経つ。研究は、国立錬金研究所でなくても出来る。寧ろ、ウィルの側にいる方が勉強になるとオーウェンは、この家を見て思った。
二冊目の本を読み終わり、オーウェンが顔を上げ、室内にある時計へ目を向けると十時を過ぎたばかり。もうそろそろ交代の時間かと腰を浮かしかけた時、ベッドがキシリと音を立てた。
「……んっ……んんー……」
オーウェンが、そちらへ視線をやるとウィルが腕を伸ばしている姿が目に映り、力が抜けて椅子に座り込む。その弾みに椅子がカタンと音を立て、ウィルがオーウェンの方を向いた。
「おはよー……?」
掠れた声で首を傾げながら挨拶をするウィルに、オーウェンは安堵の吐息を吐く。
「身体は、どうだ?」
「んー。平気……お腹空いた」
身体を起こしたものの、ウィルは起き抜けで寝とぼけている様子である。
「食べたい物はあるか?」
「タマラさんのシチュー……」
「タマラ? ああ、『タマラの店』のことだな。少し待っていろ」
オーウェンは、部屋を出てキッチンへ向かう。外を警護する騎士を残して、他の騎士はキッチンで待機していた。その中に入ると、直ぐに騎士が声を掛けてくる。待機していた二人に、ウィルが目覚めたことを知らせ、食事を欲していることを語った。騎士は素早く動き出し、身辺警護に一人を残して居なくなってしまった。その様子を見ていたオーウェンは、隣に立つ騎士に声を掛けた。
「行動力が凄いですね」
「ああ、それは……。ほら、俺等って貴族生まれでも三男とかで家でも居場所がなくて、王都騎士団では実力がなければ捨て駒程度にしか扱われないじゃないですか? でも、オズワルド公爵領は違うんですよね。なんて言えばいいのかな? 温かいっていうか、末端の騎士まで大事にしてくれる。街のみんなも、俺等を頼りにしてくれる。だからこそ、俺等も命を懸けて守ろうと思えるんですよ」
残っていた騎士は、ハハハと笑うと「俺等って、かなり単純なんですよ」と締め括り、外へと出て行った。その後姿を見送り、オーウェンはウィルの部屋へ戻る。ノックして室内に入るとウィルは着替えを済ませ、髪を纏めている最中だった。その様子を見てオーウェンは、ベアトリス嬢の話通り、疲れが出ただけだったのだとホッと安堵の吐息を吐き出す。
「食事は、もう少し待ってもらえるか?」
「あ、うん。もしかして、まだ開いてない?」
「それもあるが、馬車の準備をしている。ノーザイト要塞砦騎士団の箱馬車を嫌がるとモラン師団長から聞いたので、他の箱馬車を頼んだ」
「うー。だって、アレって凄く目立つんだよ? 降りる時、凄く見られるし」
分かりやすい反応を見せるウィルに、オーウェンはクツクツと笑う。基本、ノーザイト要塞砦騎士団の箱馬車に乗るのは、師団長クラス、若しくは要人なのだから、そんな箱馬車から少年が降りてくれば、見られて当然ともいえる。身支度を済ませ終わったウィルは、不貞腐れた顔でオーウェンを見上げていた。
「私をそんな顔で見られても困る。乗せていたのは、モラン師団長たちだろう?」
「そうだけど……。もう、乗らないからね」
「ああ、そういえばモラン師団長から『また会いましょう』と伝言を預っていた」
「……何、そのフラグっぽい言葉」
「ふらぐ? 呪文か?」
「ううん。なんでもない。みんな仕事で忙しいから、仕方ないよね」
そんな会話をしていると、ドアの先から馬車の準備が整ったと声が掛けられる。オーウェンが、ウィルを伴い外へ向かうと、貴族街でよく見かける茶色の箱馬車が停まっていた。その先には馬に跨った第三師団の騎士が待っている。まだ、ノーザイト要塞砦騎士団の箱馬車を選択した方が目立たなかったかもしれないが、第三師団の騎士に罪はない。何といってもウィルは再び護衛対象に指定されてしまったのだから。




