070
「後、オーウェン・トマだったか。今朝、冒険者登録に来たぞ」
「オーウェンが?」
「明日の午前九時、オーウェン・トマが家に向かうとマーシャルから伝言を頼まれた。依頼も二人でなら受けても良い。ただ、ノーザイト要塞砦から遠く離れる依頼は諦めてくれ」
「わかった。遠くへ行くような依頼は受けないようにする。それじゃ、また来るよ」
バークレーに別れを告げて冒険者ギルドを出ると、ウィルは商店区で食材を買い足し、書本屋に立ち寄って、家へ帰ってきた。朝から感じていた奇妙な視線に、ウィルは溜息を吐く。敵意は無く、どちらかと言えば好意的な視線。それは近付くこともなく、かといって離れることもない。一定の距離を保ち、ウィルの側にいる。
「(……なんだろう? 監視してるって感じでもないし、ただ見てるだけなんだよね。それに、ベアトリスさんの話を聞いた時、ハワードと一緒にいた騎士さん達だし)」
ウィルは庭にあるウッドチェアに腰掛けて、門の先へ視線を向けた。今はウィルに意識を向けているわけではないらしく、どちらかといえば周りに対して意識を向けている様子である。
「うーん。気になるけど、仕方ないかなあ」
何が目的でウィルを見ているのか分からない以上、ソッとしておいた方が良いと判断して家の中へ入った。
「絶対、気付いていたよな?」
「庭から、こっち見てたよな?」
「クレマン師団長でも、少年には直ぐに見つかると話しておられたのだ。少年は、我々では到底敵わない相手なのだろう」
ウィルが家に入ったことを確認して、建物の陰から三人の騎士が現れ、互いを見合う。彼らは、第三師団の騎士たちで、ハワードの命令でウィルの護衛任務に就いていたのだが、途中から護衛対象に自分達の存在を知られていると気付いていた。
「凄い少年だな」
「いやいや、それを言うなら末恐ろしい少年だろ?」
「そうだな。我々も少年に負けぬように、精進せねばならぬな」
そんな会話が、騎士達の間でなされているとウィルは、終ぞ知ることはない。
ウィルは、キッチンに食材を置くと浴室へ向かう。アルトディニアに降り立ってから、のんびりと浴槽に浸かる暇がなかった。テントのシャワーで済ませていたので、久々にゆっくりと湯船に漬かりたかった。
「広いなぁ。このお風呂、どうやってお水を溜めるんだろう?」
ガイに初めて屋敷に案内された時も同じ感想を抱いたが、いざ湯船に湯を張ろうとして、ウィルは手を止めた。
浴室の内部にあるのは、湯を沸かすための火の魔晶石がはめ込まれた装置だけである。辺りを見回しても、何かがあると言う訳ではなかった。何か方法があるのだろうが、ウィルは教えられていない。
「あ、水バケツ」
アイテムボックスから水の湧き出るバケツを取り出し、見詰める。満杯になると自動的に止まるようになっているバケツ。それを、ウィルは手に持つと浴槽の真上で逆さまにした。
「あ、やっぱり。これで正解なんだ」
バケツからは、止めどなく水が湧きでている。そのまま待ち続けると、五分ほどで浴槽は満杯になった。ウィルは、バケツをに収納すると装置を稼働させ、浴室を出る。
「後は、待つだけだね。その間に買ってきた食材の下ごしらえをしておこうかな」
ギルドからの帰りに、ウィルは商店区へ寄り少しだけ見て回った。マーシャルからノーザイト要塞砦が色々な物資の流通拠点と教えられ、興味を持っていたのもある。店の数もさることながら、置かれている商品の種類も数も多い。全てを見て回ることを諦めたウィルは、食材を取り扱う店に狙いを定めて店舗を回り、気に入った食材を購入してきたのだ。
丸鳥の胸肉やモモ肉、燻製肉。羊肉のブロック。野菜と数種類のハーブ。そして、ドライフルーツと小麦粉が今日の収穫だ。流石に米は見つからなかったが、フォスターの話ではアルトディニアにも米に似た食材はあるらしい。
食文化は、地球とあまり変わらない。ただ、日本食に近いものはないらしい。食材も地球で見たことのある物もあれば、見たことのない物もある。大豆があったのに小豆がないと知った時は、ショックを受けた。
アルトディニアにもパン屋や菓子屋、食堂などは存在する。しかし、一般家庭では基本的に全て材料を購入して、自分で作るのだという。
最も主流な食材は、小麦粉だろう。だが、日本で見るような柔らかいパンは殆ど存在しない。黒パン、若しくは固焼きパン、名前通り固く焼いたパンが主流だ。柔らかいパンが食べられるのは、貴族だけ。
ウィルは試行錯誤の上、何とか重曹を作り、ベーキングパウダーの代わりに使っている。お陰で固いパンは保存食用に回し、時間がある時は普通のパンを作り食べていた。アルトディニアにも重曹と同じような物があるのだが、やはり特権階級にしか手が出せない代物のようだ。
浴室から帰ってきたウィルは、キッチンで出際よく食材を切り分けていく。其々を用途別にアイテムボックスに仕舞い、残っているのは小麦粉だけになると、ウィルは手を止めた。
「どうしよう。レシピが分からない」
実は、生パスタを作る為に小麦粉を購入したのだが、生パスタはフォスターが作っていたため、作り方は理解していても、分量が分からない。使う材料は小麦粉と卵、そして油と塩。一緒に住んでいる時に教えてもらえば良かったと後悔しても今更なので、小麦粉を収納して、ウィルはお風呂に入ることにした。どうしても分量が分からない時は重曹を作って、柔らかいパンを作り置きしてもいい。そう考えたのだ。
湯加減を調節し、先に汗を流して浴槽に入ると、ウィルは頭まで沈む。数秒間、そうして勢いよく頭を上げた。
「気持ちいいー!」
約十日ぶりの入浴である。ウィルは身体を伸ばして、天井を見上げ、今までのことを考えていた。
「(濃い十日間だったよなぁ。まさか、この国の王太子殿下に会うなんて想像してなかったし……)」
ウィルの計画では、冒険者ギルドに登録をして依頼を受けて、細々でも充実した毎日を送れると思っていた。勿論、最初から一軒家を借りるつもりもなかった。日本でいうアパートのような場所に住んで、お金を貯めてから、小さな一軒家を購入しようと考えていた。間取りだって、錬金部屋がひとつ、それに寝室とキッチン、浴室があれば、それで満足だったのだ。
「どうして、こんなことになったんだろう?」
ポツリと吐き出してみるが、答えは出ない。恐らく、降り立った場所が悪かったのだとは思う。ただ、人が居ない場所となれば、限定せざる得ないこともウィルは理解していた。
「エドワードさん、ガイ、マーシャル、ハワード、ベアトリスさん、アレクさん、オーウェン……」
そこまで名前を上げて、ウィルは天井から視線を落とす。
「メリッサさん、ちゃんとご飯食べてるかな……ちゃんと寝てるのかな……」
大精霊が一緒にいるのだから、心配する必要はないとわかっている。それでも、見つかったという情報がないということは、何所かに隠れているわけで……。
「御師様に……相談してみようかな」
そう決めると、フォスターお手製の石鹸で体を洗い流して、浴室を出る。龍の住処でパジャマにしていた服を取り出し、レザーグローブの代わりに、商店区で買ってきた布製のフィンガーレスの手袋をつける。しかし、レザーグローブほど布製の手袋はしっくりこない。
「なんだか、変な感じ……。やっぱりレザーグローブの方が違和感がないんだよね。でも、寝る時までレザーグローブって。んー……仕方ないから、つけ替えよう。なんだか、こっちの方が安心するしね」
結局、ウィルはレザーグローブに戻して食堂に向かう。食材は買い込んだが、結局のところ、食欲が湧かず、オーウェンが土産として買ってきてくれた焼き菓子を皿に取り分けて、紅茶を淹れた。それらをトレーに乗せてウィルは自室へ戻る。
朝は十分に部屋を確認することもなく外へ出たが、カーテンも取り付けられ、机には羽ペンやインクなどの小物類まで用意されている。その机にトレーを置くと、ウィルは椅子に座り収納から宝玉を取り出して、緑龍を思い浮かべ魔力を流し込んだ。
「御師様」
『随分と情けない声を出しおる。儂の弟子は、こんなことで根を上げるほど、脆かったかのう?』
「……見て、たんですか?」
緑龍の……龍王の眼は、アルトディニアの全てを見渡せる。だからこそ、永き間アルトディニアを守護することが出来たのだ。
『うむ。見ておったぞ。其方が龍術を使う所も、ばっちり見ておった』
「そ、それは……。僕の修行不足です。ごめんなさい」
『そうじゃのう。其方は、ちと優しすぎるきらいがあるからのう。……どうやら、特別依頼とやらを受けとるようじゃが、そんなことで其方に成し遂げられるかのう』
ウィルは、緑龍の言葉に項垂れる。自分の考えが甘いことは、よくわかった。龍の住処でも修行の最中、散々注意されたのだ。それでも、と思うことは許されないことなのか。
「魔人に、闇に堕ちた人を救う方法は――――」
『人の身では出来ぬ。弁えよ』
「っ。すみません! ごめんなさいっ!」
ぴしゃりと撥ね退けられ、息が詰まる。それでも謝罪が出来たのは、緑龍が目の前に居なかったお蔭だろう。それほど、厳しいものだった。
『ウィルよ。これから先、其方はあらゆる負の心を知るじゃろう』
「負の心?」
『そうじゃ。竜人族の小童に、己の秘密を知られると思った時に『恐れ』を感じたじゃろう? 他にも負の心は、数多あるのじゃ。そのひとつに『恨み』がある。儂は、フォスター神の抱える闇は『恨み』じゃと話したな? その恨みは、『悲しみ』から生まれ出たものじゃ。其方に、その悲しみを晴らし、恨みを消し去ることが出来るかの?』
「……出来、ません」
切々と語る緑龍の言葉に、ウィルは自身の驕りを見せられ、唇を噛み締める。二千年の時が経とうとも、恨みを捨てきれない多くの者が存在しているということを、たった十日間で忘れていたのだ。失う者の存在が大きければ大きいほど悲しみも大きくなり、恨みも深くなる。
『つまりは、そういうことなのじゃ。その娘子も他の者には理解できぬような深い悲しみを抱えておるのじゃ。ならば、魔人と化す前に、死なせてやるのも其方の言う情けというものではないのかのう? それで、その娘子の心は充分に救われるじゃろうて』
「……はい」
アレクサンドラの『殺してやるのも、また情けなのだよ』という願い。
ノームの『アタシ、キエテカマワナイ。メリッサ、タスケテ、オネガイ』という願い。
メリッサの『私が魔人化してしまう前に、私を殺して。ノームが堕ちる前にノームを助けて』という願い。
各々の気持ちが痛いほど伝わってきたからこそ、ウィルは迷っていた。足りていないのは、ウィルの方だ。全てを終わらせるための覚悟が足りていなかった。
『どうやら、決まったようじゃのう』
「はい。僕は……、僕は――」
緑龍との会話を切断したウィルは、立ち上がるとフラフラとした足取りでベッドへ横になる。思っていた以上に、緑龍との会話で緊張していたらしい。横になったウィルは、己の手を見詰めていた。
「……ねえ、ノーム。君は、きっと怒るんだろうね」
ベッドにポタリと雫が落ちた。




