007
薄明を迎え、門に焚かれていた篝火が役目を終えようとしている。そんな中で、ウィルは、未だ門の片隅に座り込んでいた。
「はぁ……」
もう何度目になるか分からない溜息を吐き出して、ウィルは右方向へ視線を向ける。そこには、壁に寄りかかり、ジッとウィルを見据えているエドワード警備隊隊長の姿があった。
マーシャルに諭されて、ウィルの腕を離したエドワード警備隊隊長だったが、その後は、マーシャルやガイが何を言っても、頑なに動こうとしなかった。
そして、現状のようにウィルを見据え続けているのである。この状態で何時間も過ごしたことで、ウィルは精神的に疲れきっていた。
「(ずっと見てて、疲れないのかな。他の人……マーシャルさんとガイさんだったかな? あの人達は大丈夫そうだけど、エドワードさんは要警戒だよね。でも、冒険者になるなら警備隊とは、仲良くしていた方がいいんだけどなあ。困ったなあ……)」
ウィルは再び吐息を吐き出して、これからのことを考え始める。ノーザイト要塞砦に着いて、そのまま冒険者ギルドへ向かう予定だったが、エドワード警備隊隊長の様子を見る限り、それは難しいように思えた。そうなると引き返すしかないのだが、魔境の中を進んで、何処へ出るのか分からない。
「エドワード隊長、交代の時間だ」
「私は門が開く時間まで、此処に残る」
「勝手な行動をされると、他の隊員が困るんだが?」
「他の隊員たちは交代させろ。時間になれば、私もウィルを連れて屋敷へ帰る」
「嫌がる子供を無理やり連れて行くのは、問題行動だ。許可できない」
マーシャルの姿は、夜明け前に消えていた。昨晩からエドワード警備隊隊長と共にいるガイと、門へ戻ってきたガイと同じ制服を着る青年がエドワード警備隊隊長に話しかけても、相変わらず動こうとしない。
「これは、命令だ。私は此処に残る」
エドワード警備隊隊長は視線をウィルに戻すと、彼等には見向きもしない。ガイと一緒にいる青年は、エドワード警備隊隊長の態度に呆れたような顔を見せた。
「わかった⋯⋯。警備隊の隊員達を交代させてくる」
「お前達も帰っていい」
「それは、出来ない相談だ。文句があるなら、総長に言ってくれ。ガイ、ちょっといいか?」
ガイの耳元で、二言三言囁くと青年は他の隊員たちを連れて門の中へ消えていく。その場には、ウィルを見据えるエドワード警備隊隊長と、その行動を咎めるように見るガイが残された。
朝日に照らされた門は、交代する警備隊の隊員達が出入りを繰り返している。篝火を片付ける隊員やバリスタの点検を行う者もいた。違う服を纏った者達も多くなっているのだが、そのことに気づく余裕すらウィルには残されていない。
「(ヤバい⋯⋯。眠たくて、どうしようもない……)」
一昨日の夜更かし。昨日の日中から夜にかけての戦闘。そして、ノーザイト要塞砦での徹夜。それらの理由で、ウィルの注意力は落ち始め、油断すると睡魔に負けそうになる。
「(攻撃されることはないと、思いたいけど……)」
今更のような気もするが、交代する警備隊員たちに気付かれないように、ウィルは龍刃連接剣を取り出そうと手を動かす。その判断は、決して間違いではなかった。
ざわつく門前で、女性のものと思われる声が聞こえ――。
「許さ……ことで……ありません!」
「待て、カーラ!」
「貴様ぁっ! エドワード様に何をしたぁあっ!」
甲高い怒鳴り声が聞こえ、それと同時に自身に向かってくる殺気と足音に、ウィルは瞬時に横へと飛び退く。そして、閉じかけていた瞼を上げて、眼前に迫りくる影に対して、右手に具現させた龍刃連接剣へ魔力を込め、勢いよく振り抜いた。
ガキンッ
「っ! そ、そんな……馬鹿な……鋼鉄製なのにっ……」
「…………あー、もうね」
影の正体は、ロングソード。ウィルは、自身に襲い掛からんとする剣身を龍刃連接剣で叩き折ると、黙したまま佇んでいる。ロングソードが叩き折られた女性は、地面に転がった刃先を見て、呆然としていた。
カツン
シンと静まり返った門の前で、ウィルだけが動く。否、他の者は動けなかったと言うほうが正しい。ウィルの放つ魔力によって、この場にいる者のほとんどが、動くことを制限されている。
「……ばっかみたい」
ウィルの頬は、弾け飛んだロングソードの欠片で裂け、血が滴っている。しかし、当の本人は、全てがどうでもよくなっていた。所謂、キレるという状態に陥っていたのである。
そうして、呆然と刃先を見詰めている女性に、ウィルは声を掛けた。
「あのさあ。僕は、一昨日から、ろくすっぽ寝てないの。ご飯も食べれてないの。それなのに、徹夜させられて、眠くて仕方ないのを我慢して起きてるんだけど。おまけに、エドワード様に何をした? 何、それ……。僕は何もしてないし、されたのは僕の方だから。マーシャルさんとガイさんに訊ねれば? そうすれば、貴方のエドワード様が、僕に何をしたのか詳しく教えてくれるよ。ああ、もう……。僕は、エドワード様の部下になりたくて、ノーザイト要塞砦に来たんじゃない! 冒険者になるためにノーザイト要塞砦まで来ただけ! 冒険者ギルドに行きたかっただけ!」
言いたいことを全て吐き出すと、ウィルは大きく息を吐き出した。そうして、魔境へと続く道へ向きを変え、フラフラとした足取りで歩き出す。
「邪魔するなら⋯⋯、もういいよ。他の場所に行って、冒険者ギルド探すから」
「ウィル!」
「もう、その呼び方で僕を呼ばないでくれますか? エドワード様」
「っ!」
覚束ない足取りで魔境に入れば、どうなるか。たとえ強者であっても、すぐに魔物の餌食となるだろう。それを恐れたエドワード警備隊隊長は、ウィルを引き留めようと名を呼ぶが、それを拒絶するように、ウィルは言い放った。
「楽しく過ごせたらいいと思ってノーザイト要塞砦まで来たのに、最悪だよ。僕が何したってのさ? 何で、ここまで警戒されなきゃならないの? 何で、いきなり斬りつけられなきゃならないのさ? そんなに、僕をノーザイト要塞砦へ入れたくなければ、最初っから追い返すか、ここにある沢山の兵器を使って、敵対行動を取れば良かったんだ! そしたら、こんなことされなくても、すぐに立ち去ったのに……」
「ウィリアム君、違う、誤解だ!」
「へえ? ……僕を試すような話し方したことも、スキルを使ったことも全部、誤解で済ませるわけ?」
「っ!」
ウィルは、エドワード警備隊長に対して何もしていない。カーラと呼ばれた女性に、ウィルが斬りつけられる理由もない。ただ、エドワード警備隊隊長の思惑が違っていた。ただ、それだけである。カーラの暴走を止められなかったのは、エドワード警備隊隊長の責任。そうなれば、取れる行動はひとつに絞られた。
「ウィリアム君を襲ったのは、私の直属の部下だ! 彼女は、ノーザイト要塞砦の……オズワルド公爵領の者じゃない。警備の隊員たちに非はないんだ。本当に、すまない」
ウィルに向かって謝罪を述べるエドワードに、周りの者達がはっと息を呑む。そして、一番に動いたのはカーラだった。
「エドワード様! 何故、そのような下賤な者に謝罪をなさられるのですかっ!」
「こちらが一方的に悪いのに、謝罪するなというか!」
「いいえ! エドワード様の手を煩わせる者が悪いに決まっています! この下賤な者がエドワード様の指示に従ってさえいれば、この様なことにはならなかったのですから!」
「カーラ!」
「双方、其処まで!」
その場に響きわたる声に、居合わせた者たちが敬礼をする。カーラの顔は、その場に現れた人物を見て歪む。対照的に、エドワード警備隊隊長は、何故か安堵した顔を見せていた。