068
ウィルが目を覚ましたのは、夜明け前。昨日の出来事を思い出し、ウィルはレザーグローブを外し、手の甲に描かれたフォスター神の紋章を見詰める。
「……凄く、めちゃくちゃ言った気がする。フォスターに貰った名前も言ってなかった」
ウィリアム・グラティア。それが、フォスターがウィルに与えた正しい名前。マーシャルはウィルのことを『神の愛し子』と話したが、グラティアは正に『神の愛し児』を指す言葉だった。
「(ここって、寝室? ……なんで、ベッドがあるんだろう? それに……)」
寝室を見回せば、ベッド以外にも色々と家具が置かれ、生活することに支障が出ないようになっている。ウィルが起き上がり、視線を机に向ければ、その中央に封書が置かれていた。
「僕宛? これって……マーシャルからだ」
封書を開けて手紙を取り出すと、奇麗な文字が目に飛び込んでくる。内容は、当分の間ノーザイト要塞砦騎士団の任務で屋敷へ来ることが出来ないこと。家具は、アレクサンドラからであること。華美な家具は好まないだろうと、実用的な品物をマーシャルが選んだこと。
ウィルのことについては、他言しないと三人で誓い合ったことが書かれていた。そして、二枚目には認識の間違いを訂正する文章が並んでいる。
「僕、ちゃんと人だったんだ」
それは、アルトディニアに伝わる神話の一節。大地に住まう人々は、神々が創造したと伝えられているというもの。よくよく考えてみれば、日本でも古い書物では、人は神が創造したものとなされている。アルトディニアでは当たり前のことを、前世の知識がある所為で受け入れられなかった。それだけのことだった。
「拒絶を恐れていては何も成せない。見極める力を持て、か」
意識を手放す前にハワードに言われた言葉を思い出し、ウィルは項垂れる。確かに嫌われることを恐れて、無意識に壁を作っていた。
「人との距離感って、難しいよ。……ねえ、教えてよ。僕は、どうすればよかったの?」
ここには居ない人物を思い浮かべ、ポツリと呟いた。手紙を封書へと戻し、腕輪に収納して、寝室を出て書斎に入る。すると、そこも家具が揃えられており、その机にも手紙が置かれていた。
書斎に置かれた家具は、マーシャルが住んでいた頃に使用していた家具を、そのまま運び込んだこと。物置に保管していた家具なので遠慮なく使ってほしいと書かれている。
「この机、マーシャルが使ってたんだ」
何の変哲もない机だが、マーシャルが使っていたと知ると違って見える。それが、こそばゆく感じられてウィルは、再び手紙へと視線を落とした。
手紙には続きがあり、嫌かもしれないが暫くはバークレーを頼るように書かれている。オーウェンも急ぎ合流させるから、屋敷以外ではなるべく一人にならないように注意してほしいとも。
「また、何かあったの?」
手紙に詳細が書かれているわけではない。しかし、任務で来れないということ、一人になるなと書かれていることを考えれば、自然と思い出すのは特務師団の騎士たちの存在だ。
「(これ以上、迷惑掛けたくないな……。食べ物もあるし、薬草の種を蒔いたり、草取りも中途半端になってるし、オーウェンが来るまで大人しく引き籠っている方が安全なのかな。とりあえず、朝ご飯が先だよね。結局、昨日は何も食べられなかったし……)」
考えが纏まったウィルは、手紙を収納して、キッチンへと向かう。どうやら、外も明るくなってきたようだ。
「なんだか、お腹が変な感じがする。いっぱい食べて、魔力も回復しなきゃ」
キッチンに入り、見回すと矢張り見知らぬものが置かれている。キッチンのテーブルにはテーブルクロスが掛けられ、食器棚や調理器具も増えていた。
「うん。もう、驚かない。皆で住む屋敷と考えたら、これ位になるよ。僕以外は、貴族なんだし。きっと、これが普通なんだよ」
若干、顔を引きつらせながら笑う。
「……はぁ。もう、いいや。ご飯作ろう」
アイテムボックスから具材をいくつか取り出し、調理をしていく。今朝の朝ご飯はスクランブルエッグとマフィン、丸鳥スープだ。
丸鳥スープをコンロに掛けると、その横で、丸鳥の卵をボールに割り入れ、調味料を自分好みに入れていく。フォークを使って白身が完全に切れるまでよくかきまぜて、熱したフライパンに油をしいて、弱火にするとボールの溶き卵をゆっくりとフライパンへ注いだ。
「よし、後は、ゆっくり混ぜてミルクを入れるだけっ。あー、良い匂い。お腹が空いたよー」
固まってきたところにミルクを注ぎ、手早くかき混ぜる。出来上がったスクランブルエッグを皿に乗せ、フォスター特製のソースを掛けて出来上がりだったのだが……。
「一人は、やっぱり寂しい。けど、これにも慣れなきゃいけないんだよね」
お腹は空いている。食べなければと思うのに、出来上がった料理を見ても、食欲が湧かない。ガランとした家の中に一人きり。そう思うと余計に寂しくなる。
ウィルは、出来上がった朝食をトレーに乗せて、書斎へと戻るとマーシャルからの手紙を取り出し、そうして食事を取り始めた。少なくとも、手紙がある。一人じゃない。そう言い聞かせながら。
家の中に居るから、そのように感じるのかもしれないと早目に朝食を済ませて庭へ出ると、早朝でも遠くに見える大通りには人影が見えて、ウィルは安堵の吐息を吐き出した。
「完全に、ホームシックだね」
龍の住処では、フォスターと緑龍がいてくれた。アルトディニアでは、マーシャルやガイが気を配ってくれていた。
「ハワードが言った通りだったんだね」
今更ながらにハワードが言った意味が分かり、フゥと息を吐き出す。庭を見渡せば、作業の合間に休めるよう配慮されたのか、ウッドチェアとテーブルが置かれていた。残っていたはずの枯草も綺麗に片付けられ、土も耕されている。
「マーシャル。僕のすることが、なくなっちゃうよ」
マーシャルが庭師を呼んで手入れをさせたのだろうと、気を取り直したウィルは裏庭に回り、魔法薬の材料になる薬草から植え始める。
魔法薬といっても、種類は豊富で体力回復系、魔力回復系、スタミナ回復系、状態異常回復系、能力上昇系とあり、ウィルが作る魔法薬は体力回復系、魔力回復系、状態異常回復系のみだ。それでも薬草の種類は、二十種類以上になってしまう。
「うーん。屋敷の前には花も植えたかったけど、場所が足りないかぁ。あっちの畑には、野菜も植えたいし」
出来れば、魔女薬に使う薬草も植えたい。料理に使うハーブも植えたい。そんなことを考えながら、せっせと植えているうちに、太陽が真上に来ていることに気付いた。
「もう昼になったんだ。作業してると早いね」
体力回復系の薬草を植え終わり、区切りも良いので、ウィルは昼食を外で取ることに決めた。手紙のことは気になるが、如何せん一人で食事をしたくなかったのだ。
「一人にならなければ、大丈夫だよね?」
大通りまでの道も、昼間は人通りがある。親子連れの後を追うように大通りへ出れば、昼ということもあり、大勢の人々が行き来していた。
ウィルが知る食堂は『タマラの店』しかない。この時間から開いているのか分からないため、先に冒険者ギルドへ向かうことにした。
小一時間掛かり、冒険者ギルドへ辿り着くと中は閑散としている。食堂は開いているようだが、食事をしている冒険者は少ない。ボードを見ている冒険者と受付カウンターに数人いる程度だ。ウィルは、そのまま食堂へ向かい、カウンター席へ座る。
「いらっしゃい。仕事がなかったのかい?」
「まだ登録したばかりで、よく分からないんです」
「そうかい。まあ、その内、慣れてくるさ。今日の献立はこれだよ」
手渡された紙に書かれた料理の中から、丸鳥のシチューと固焼きパン、ミルクを選び注文すると、コックは奥へ入って行った。
「(そっか。みんな依頼に出てるから、いないのか。じゃあ、今だったらバークレーさんと話せるかもしれない)」
忙しい時間帯に、バークレーを訪問するのは避けたかった。他に食事を取る冒険者がいないこともあり、それほど待つこともなく料理が目の前に置かれる。
「いただきます」
「随分と行儀がいいねぇ。坊やは貴族だったのかい?」
「……違います。それに坊やじゃないです」
「そうかい、そうかい」
分かっているのか、分かっていないのか判断の付かない返事に、ウィルは小さく溜息を吐くしかない。コックと話をしながら食事を済ませ、お金を払うとウィルはその足で受付カウンターへ向かった。




