062
商隊の荷馬車や辻馬車が往来する街道。しかし、今は人影もなく閑散としている。一昨日、ノーザイト要塞砦騎士団の騎士達や、冒険者ギルドの冒険者たちの遺体が発見され、領主代行を兼任するアレクサンドラは街道を封鎖することを決断し、マーシャルが近隣の村や街の警備隊へ知らせるよう、騎馬隊を向かわせた。
そうして、昨日一日かけて、第五師団に街道沿いを徹底的に捜査、探索。しかし、犯人に結びつくような物は、何一つ発見することは出来なかった。
「(……まさか、私兵が傭兵と偽って潜伏していたとは)」
ウィルが屋敷にてサットドールから手渡された紙切れ。それに、犯人と繋がる事柄が書かれていたのだ。
カーラ・リーガル。デイジー・ハバネル。そしてメリッサ嬢を襲った者は、既に死亡している。やはり、ウィルを襲おうとした傭兵団『黒竜隊』だった。サットドールが手渡してきた紙は、そのことについての詳細、特務師団との明確な繋がりが記された証拠があると思われる場所が書かれていた。
「今日にでも、街道の封鎖を解かねばなりませんね」
遺体の処理や箱馬車の撤去は、昨日の内に全て済ませている。これ以上、街道を封鎖しても意味がないことは、明らかだった。
そう経たない内に、目的の場所に辿り着くと、鞍を乗せた馬が草を食んでいる。その馬の隣で、マーシャルも愛馬から降りた。
「(……エドワード王太子殿下の馬ですね)」
そのまま、茂みの先に向かう。予想通り、リーガル子爵令嬢カーラの遺体が発見された場所に、エドワード警備隊隊長の姿はあった。
「……カーラは、貴族や王族のために民が存在すると断言するような女性だったが、決して他種族を認めていなかったわけではないんだ。ドワーフが造るマジックアイテムに関心を示し、エルフの歌う詩に心を躍らせる。そんな女性だからこそ、私も無理やり王都へ帰さなかった。オズワルド公爵領で、学んで貰いたかった。この世界を動かしているのは、貴族でも王でもなく、国に住む民なのだと、カーラにも気付いて欲しかった」
マーシャルに背を向けたまま、エドワードは語る。馬の嘶きで、マーシャルが来たことに気付いていたのだろう。
「カーラが、私付きの女官として王宮へ勤め出した頃、アレクサンドラが妹の近衛騎士団長になった。女性でも剣技や魔術を極めれば、そのような地位に就くことが出来ると知って、カーラは目を輝かせていたよ。……それから剣術を学び始めて……そういえば、私にも指南してくれと頼みに来たことがあったな。……だから、妹の近衛騎士団が解体されて、あっさりとオズワルド公爵領へ戻ることを決めたアレクサンドラに、カーラはショックを受けていた。今回だって、アレクサンドラに私が喝を入れると鼻息を荒くしていたんだ」
クスリと笑い声が聞こえる。エドワードは、手に持っていた花束を地面にソッと置いた。
「だけど、あまりにも違い過ぎる環境に慣れることが難しかったんだろうな。カーラが疲れていることに気付いていたのに、私は手を差し伸べなかった。アレクサンドラに会う度、衝突していたのに、その理由をアレクサンドラに話さなかった。ちょっと言葉を添えてやれば、あそこまで衝突することは回避できたのかもしれなかったのに……。連れて来たのは私なのに、何もしなかったんだ」
エドワードの後ろで、マーシャルは小さく溜息を漏らす。違い過ぎる環境という言葉に対して、思うところがある。だが、今のエドワードに、それを言うのは酷だろうと、敢えてマーシャルは見過ごした。カーラの死が重く圧し掛かっているのだろう。マーシャルから見える背中が、それを物語っていた。
「エドワード王太子殿下御自身も、環境に馴染むことに必死になられていたのですから、そこまで気に病むことはないのではありませんか」
平坦な口調でマーシャルが告げる。
「心にもないことを口にするな。マーシャルのことだから、自業自得ぐらいにしか思ってないんだろ」
「そうですね。亡くなった人に対して、不平を言っても仕方がありません」
「相変わらず冷静というか、冷酷というか……」
笑おうとして失敗したのか、エドワードは黙り込んだ。そして花束から顔を上げると、そのまま空を見上げる。暖かな日差しが木々の合間から差し込んでいた。
「……何処で間違えたんだろうな? 私は、事件が起こった十九年前まで、メリッサの存在を本当に知らなかったんだ。初めて見た時、メリッサの姿はボロボロだった。餓死寸前とまではいかないが、とても真面な栄養状態ではなくて……。私なりに調べて、側妃シャーロットのことを知ったんだ。そして、ベネディクト伯父上の死因も」
王宮は広い。まして王太子ともなれば、奥宮に住まうのが常だ。外宮には公務の時以外、滅多に出ることは出来ない。
「前国王であるベネディクト陛下の死因は、審判魔法……ですね?」
エドワード王太子が勢いよく振り返る。マーシャルは、その顔を見ず、その隣に並んだ。
「最期の調停があった日の記録が、全て抹消されています。その日が側妃シャーロットの命日で、数日後にベネディクト陛下が急逝されたと記されていました。ですが、アレクサンドラ様から話を窺って、考えてみたのですよ。審判魔法で、真実が白日の下にさらされたならば、愛する女性にあらぬ疑いを掛けてしまったベネディクト陛下が何を思ったのか……」
前オズワルド公爵の反対を押し切ってまで連れ帰ったシャーロットを、王妃に誑かされ疑ってしまった前国王ベネディクト。真実、愛していたのならば――。
マーシャルは、眼鏡のブリッジを中指で押し上げ、口を開く。
「これは推測でしかありませんが、ベネディクト陛下はご自身に側妃シャーロットを愛していると審判魔法を掛けられたのではありませんか?」
「……ああ」
エドワード王太子は短く肯定すると、深く息を吐いた。
「その通りだ。父上も調停に出席なさっていたらしい。止める暇もなかったと。……折り重なるように亡くなった二人の姿に、出席していた父上も貴族達も、暫く動くことも出来なかったと聞かされた」
「なるほど。……そうして、全ては闇の中ですか。王都の貴族が考えそうなことです」
茂みには、争った時に飛んだ血飛沫が残されたままとなっていた。亡くなった者達には、冒険者ギルドで雇われた者たちも含まれている。この場所とは少し離れた所で、ハバネル伯爵令嬢とマーシャルの部下達も亡くなった。
「全てが公に明らかにされていれば、この様な犠牲は出なくて――」
「お前に何が分かる! 私を置いてオズワルド公爵領へ逃げたお前に言われたくない!」
エドワード王太子は立ち上がり、マーシャルの肩を押して胸倉を掴み上げた。
「何故、私に何も言わず伯爵家を出た!」
「……心外ですね。出たのではなく、出されたのですよ。それに、逃げた訳でもありません。私の意志です。私は、オズワルド公爵の考えに感銘を受けたと話したではありませんか」
「そんなことを聞きたいんじゃない! 私は、お前のことを親友だと思っていたんだ。掛け替えのない仲間だと、そう思っていたんだ! 話し方だって、そんなんじゃなかっただろう! なんで、そんな他人行儀な話し方をする?」
エドワード王太子の顔は俯いているため、マーシャルから見ることが叶わないが、声音が震えている。その旋毛を一瞥して、マーシャルは短く嘆息した。
「何とか言えよ!」
「ハァ……。では、言わせていただきましょうか。…………俺より年上の癖に甘ったれるなよ? そんな風に貴様が甘えるから、俺はオズワルド公爵領へ移住することを決めたんだ。俺が、モラン伯爵家を出て自由になれば、貴様は全力で俺に寄り掛かってきただろう? 次期国王に、そんな甘えが許されると思っているのか? それに、俺は遊び相手として貴様に付けられただけであって、側近として付けられた訳じゃない」
「それでも、私の側にいると言ったはずだ!」
「ああ、言った。だが、先に離れたのは貴様のほうだ。今更、元に戻れるとでも考えているのか?」
マーシャルが辛辣に言い放てば、胸倉を掴む力が抜けていく。
「伯爵家の、しかも年下の子供と戯れるなど王太子としての格が下がる。……確か、そんな言葉だったか?」
騎士訓練学校へ入り、ガイと出会い、視野が広がり始めた頃の出来事だ。今になれば、エドワード王太子の教育係が人族至上主義の者だったのだろうと理解できる。しかし、その頃マーシャルも十五歳の少年だった。
「あれはっ、あれは教育係りが、強引に私とマーシャルを引き離したんだ!」
「その後、俺が部屋を訪ねても扉を開けなかったのは、貴様自身だ」
「それは、お前に迷惑が掛かると思って……」
「俺は、迷惑だとは考えていなかった。だからこそ、何度も部屋を訪ね続けた」
「そんな……。それじゃ、私が間違えたのか?」
狼狽えたエドワード王太子の腕を無言で掴み、胸倉から下ろさせると、マーシャルは距離を取った。エドワード王太子が咄嗟に手を伸ばそうとするが、それは叶わない。マーシャルの視線が、それを拒絶していた。
「どうしてだ? どうして私を拒む?」
「今の距離が、臣として適切な距離だからですよ。……それに、エドワード王太子殿下が離れたことは、決して間違いではありません。今の私は、王都の貴族にスキルズテーマーとして恐れられているのですからね」
「私は、マーシャルを怖いと思っていない!」
「それは、エドワード王太子殿下の個人的な感情でしょう」
叫ぶエドワード王太子に、マーシャルは張り付けた笑顔を見せると、エドワード王太子は顔色を変えた。
「もう、遅いのか? 手遅れだと言いたいのか?」
「それは、これからの殿下次第ですよ」
「これからの……私次第だと?」
瞬きを繰り返すエドワード王太子は、必死に考えている様子だ。
「民を思い、民のための王になれ」
マーシャルが手掛かりになる言葉を呟くと、エドワード王太子がハッと息を飲んだ。
「初代国王の言葉……だな。王は民を導くための指標であり、民を守る盾と剣であれ。そうか、そういうことか。ああ、私は、貴族のためにある王じゃないことを必ず証明して見せる。だから、見ていてくれ」
「そうですね。じっくりと拝見させていただきましょうか」
強く頷くエドワード王太子を見て、マーシャルは一安心する。
「情けない姿を見せて、済まなかった」
「……エドワード王太子殿下は、身近な人物の死を体験することが、初めてだったのでしょう?」
「ああ。……辛いものなんだな」
「こればかりは、慣れろという方が難しいですからね」
花束の置かれた場所は箱馬車が横倒しになった場所だった。
「カーラ、せめて安らかに眠って欲しい」
そう言って祈りを捧げるエドワード王太子と共にマーシャルも祈る。敵対していた人物であったが、その罪は正しく裁かれれば、命を奪われるものではなかった。
「それでは、街へ帰りましょう。あまり遅くなると捜索隊が出されてしまいますよ」
マーシャルが声を掛けると、エドワード王太子は名残惜しそうに茂みから離れた。遠くで鐘の鳴る音が聞こえてくる。
「マーシャルは、何か別の用事があって私を探しに来たんだろう? 話は警備隊の本部に戻ってからで構わないのか?」
「ええ、それで構いませんよ」
「……ガイは、マーシャルの素を知ってるんだよな?」
エドワードの馬に並び草を食む愛馬に近寄り、その手綱を掴みながら返事をするマーシャルに、エドワードはため息まじりに言う。
「そうですね。騎士訓練学校からの付き合いですから、勿論知っています」
「なら、そんな話し方をしなくてもいいだろう?」
「これは、私なりの処世術なのですよ。この話し方ならば、相手が勝手に油断してくれますからね」
にっこりと微笑むマーシャルに、エドワード王太子は思わず立ちすくむ。その姿は、確かに無害に見えた。
「……どれほど大きな猫被ってるんだ」
「随分と失礼な物言いですねえ。これも私ですよ」
「いや、素を知ってる私としては、今のマーシャルが怖く見えるぞ」
「……おや、本心ですか」
「スキルを無駄に使うな!」
エドワード王太子の叫びを聞きながら、マーシャルは素早く愛馬に跨る。その姿を見て、エドワード王太子も慌てて愛馬に跨った。
正門まで戻ると、マーシャルが危惧していた通り、騎士が集められ捜索へ向かう準備を済ませていた。
「ワーナー副師団長。このような場所で何をしているのですか」
「すみません。総長は心配無用と言われたのですが、特務師団の方々が――」
「マーシャル・モラン! 貴様が、エドワード王太子殿下を唆し、危険な街道へ連れ出したのだろう!」
マソン副師団長を押し退けて、前に出て来た騎士が声を張り上げると、そのままマーシャルの胸倉を掴む。ワーナーやエドワードが、その騎士を止めに入ろうとする前に、周りが騒めき始めた。
「……やってくれましたね」
大門前広場には商店区が広がり、露店も多く出されている。その前で大きな声を張り上げれば、どうなるか――。
「今、王太子殿下って言わなかったか?」
「そんなはずないだろ?」
「でも、聞こえたわよ?」
「モラン師団長が唆したって、どういうことなんだ?」
「ねえ、何の騒ぎ?」
「王太子殿下とか、唆したとか、どういうことなんだ?」
騒めきが、徐々に広がっていく。その最中でも頭に血が上った騎士は、周りの様子に気付くことなく喚き立てた。
「貴様のような若輩者が、第一師団の師団長を務めるなど、けしからん! 実に、けしからん! エドワード王太子殿下を唆し、危険な街道へお連れした罪、その身で償うがいい!」
大門前広場に騎士の声が響き渡り、民衆たちは沈黙した。




